今日は友人がイタリアに向けて旅立つということで、といっても本当は別の大切な用事があって、東京大学前で落ち合い時間を過ごした。東京には台風接近ということだったが、確かに雨は多く降っていたがそれほど大型台風の接近という感じではなくまったく平穏な一日だった。



実は私、今回東京大学”初上陸”。さすが日本の最高学府ということもあり、その校舎には風格があり、歩いている学生もどこか頭のよさそうな雰囲気がかもし出されているようだった。この東京大学、近年の独立行政法人化で内部でかなり市場経済の原理を入れた改革がすすめられているとのこと。大学も新しい競争の時代に入ったということか。大学グッズを売ったり、大学での研究から生まれた商品を売ったり、生協の独占に終止符を打たせたり・・・もっとも、大学グッズを作って売るなどということは北米では以前から行われており、こういう試みが日本であってもいいのかなとは思う。また大学の校内では、夏目漱石の小説の舞台になったという”三四郎池”や国会図書館に告ぐ蔵書数を誇る図書館など、大学には趣があり私の中にある日本の大学のイメージを覆すようなものが多く見られた。





さてこの友人とは日本に帰国してから知り合った。途上国開発系の勉強会で知り合ったということもあり、やはりそこら辺の話で盛り上がった。考えてみると発展途上国の開発問題についてこうして誰かと熱を込めて話したことは今までなかったかもしれない。もちろんセミナー等で出会った学生など多くの人とこの問題については話してきたが、これだけ物事をクリティカルな視点で分析することができる人は他にはいなかったし、自分の考え方ともちろん違う面も多々あったが、大きなところで合意することができたのはかなり新鮮だったと言える。内容としては、どうして開発という課題に興味を持ったのか、自分の開発に対する捕らえ方、興味地域について、どうやって世界から貧困を無くしていくか、現在の開発の課題について・・・など多岐に渡る。



彼女は私なんかよりもこれまで開発の現場に様々な面で関わってきている。それに比べると私のこの課題に対するコミットメントは少ないようにも映る。しかしこの問題に対する私の思いは誰とも引けを取らないものだと思っている。私が考えるに、開発問題というものに対しては、まず途上国の自助努力を真の意味で高めるように援助が傾斜していかなければならないということだろうか。様々な形での経済支援、教育支援、コミュニティー支援などが行われているが、結局のところ私がもっとも重要視するところは現地のガバナンスの向上への貢献が挙げられる。結局のところ、民主的で自国の将来を自国民の立場に立って考えられるような政府が存在しなければ、途上国の開発というのはおぼつかないだろう。また途上国産品に対してのフェアーな貿易制度を通じても自助努力を促す形での援助を行うことはできるだろう(注:先進国の農業補助金は開発援助拠出額よりも大きい。だがある意味これは正当な措置だともとれる。だから難しい。)。結局のところ、ドナー国というのは自国の経済が悪くなったり政策が変更されたりすれば、援助対象国から引き上げることも可能である。そうしたケースも起こりうるわけだから、究極的には援助される側が自国の国民の生命財産を守るという課題に真剣に取り組まなければならない。援助の主従関係や依存構造を作り出しているのは、決してドナー国の責任だけというわけではなく、非援助国の責任という面もあるのである。







余談だが・・・なんと私がオタワに移り住んだ日である大停電の日(2003年8月14日)に彼女も同じくオタワに居たという事実を知り愕然。世界って狭いなぁと感心する。ただそれと同時に、同じ街に同じ時に居ても話すことも知り合うことも無くすれ違ってしまう人なんてホントに多いんだろうなぁと感慨にふける。



というようなことをつらつらと語りながら、気が付いてみると日が変わっていた・・・台風は過ぎ去った?のかそれとも目に入ったのか?東京はいたって平穏である。こうしたことをガンガン議論しながら、自分の将来進むべき方向性がどうあるべきかを模索しているようなそんな気がする。