日米同盟と英米同盟に関する比較意見が毎日新聞の電子版に掲載された。<ニュースリンク>今日はこの記事について論じたいと思う。日米同盟と英米同盟は確かに異なるものだが、同盟関係という枠だけでイギリスと日本の対米外交を比較するのはおかしい。日米同盟の重要性を認識しながらも、そこからいかに日本外交総論を論ずることができるかが重要である。
記事の主な概要としては、イギリスと日本の外交政策に対する違いについてだ。イギリスは1)戦争が必要な時は積極的に行う軍隊の力と政治の決断力がある。2)文化的にも政治的にも欧米のバランサーとしての役割を担う能力と担ってきた歴史がある。3)英米同盟に関し、国民に説明し説得しようと試みている。という以上三点が主な議論である。そして結論としては、そもそも日米と英米の同盟を同じ土俵で比較・評価しようということ自体が間違っている。そして日米同盟に対して日本の政治家が独自の"忠犬の哲学”を持ち、発信することを求めている。
確かに小松氏が論じているように、日米同盟には哲学というものが感じられない。それは日米同盟というのはそもそも終戦後、冷戦構造の中で日米双方の利害が一致し生まれたもので、どちらかというとアメリカからの押し付けの傾向が強い。日本には米軍の基地がおかれ、日本はgeo-political上重要な東アジアの要と見られている。それは日本がというよりは、日本の位置が、といったほうが分かりがいいと思う。その延長で、日本が戦後経済発展を経る過程において日米同盟は政治・経済の安定に寄与したと見てよいだろう。しかし時代は変わり、冷戦が終結し東アジア諸国の経済的・政治的プレゼンスが相対的に高まってきた。米軍も東アジアから縮小・撤退の傾向にあり、日本の外交・防衛政策は新たな転換点を迎えている。
そもそも日米・英米の比較をする時に、それぞれの置かれている政治状況を考慮しないわけにはいかないだろう。日本とイギリスの一番の大きな違い、それはやはり地域の歴史と欧州連合EUの存在無しには語れないだろう。まず地域の歴史に関しては、日本と東アジア諸国との関係よりもイギリスと大陸欧州諸国の方が近年長く、濃密な交流をしてきている。世界大戦を交えながらも、世界に欧州哲学を発展させ、植民地を作り、共に戦争を戦い・・・欧州という一つの枠組みの中で世界にアピールし、認められてきた。それと比較して、日本を含む東アジアは太古の歴史こそあれ、近代では非常に交流が少なかった。政治的にも協力関係を持って何かことにあたるということはほとんどなかった。それは一つに超大国中国の存在がある。東アジアに哲学はあるが、それはつまり中国哲学と同じであり、域内にはそれを自らのものと主張することに反発があるのではないか。
また欧州と東アジアの決定的な違いはEUの存在である。イギリスは加盟が遅れはしたが、EUに加盟した。国内世論として、大陸との協力、主権の弱体化に対して根強い抵抗感があるが、現実問題としてイギリスはEUのコアの一員である。いかにアメリカとの関係が大切とはいえ、もはやEUという束縛抜きにはイギリス外交は語れなくなってきている。余談だがイギリスがEUの中で、積極的にプレゼンスを保ちたい分野として、防衛政策があるということだ。第一にイギリスはその能力面においてはEU内ではもっとも秀でている。政治的にも他の経済などの分野では主導権を握れないという状況を考えると、EU内に発言権を残したいというのであれば防衛政策で勝負に出るのは自然の成り行きかもしれない。それがコソボ紛争であった。しかしEUはあれだけの規模の戦争を戦うだけの戦力がない。アメリカ抜きには戦争はできないというのが現状である。しかし技術を外交戦略でカバーした良い例かもしれない。
日米同盟と英米同盟を比較した場合、私達が考えなければならないのは、その性格上の違いからくる劣等感ではないはずだ。注目すべき点は、それぞれの同盟の、各自の外交政策における位置づけであるはずだ。イギリスがなぜ”プードル”と揶揄されながらもアメリカと行動を共にするのか。それは別に”プードル”になりたいから行動を共にしているわけではない。それが外交政策上もっとも得策だからである。イギリスにとって、EUという枠組みの中で、アメリカとのバランサーを買って出ることはその存在意義を高める上でも得策だ。軍事力・影響力の点からいっても紛争処理に参加することはイギリスの国益に適う。イギリスにとって、英米同盟はイギリス外交の中での重要な支柱ではあるが、それがすべてではない。時には自らの外交目的の為にアメリカを利用しようと狙っている向きがある。
実は日本についてもこれは同じことが言える。日米同盟は決して日本外交のすべてではなく、それは一つの柱でしかない。メディアや世論は自虐的に”対米追従”を揶揄し煽っているが、本当に日本の外交はすべての点においてアメリカ追従だったか?イランやパレスチナとの関係はどう説明するのか?ODA政策は?通商政策は?あまりテロ政策だけに視点を置き、過去の自虐史観を前面に出しすぎて日本の外交を議論すべきではないだろう。確かに日本の外交には意思が感じられなかったようにもとれる。しかし日本が自らの意思、国益に応じて外交を展開できると日本人自らが”確信”できるようになったのは実はほんの最近だったはずではないか。
もし日米・英米同盟の比較をするというのであれば、私はむしろ日本の政治家にもっと日本外交全般についての哲学を持って政治にあたって欲しい。官僚の書いた外交政策も悪くはないのかもしれないが、説明責任が果たせない、という点で政治家が責任を持って思想的にリードすべきだろう。イギリスは一貫した意思をもって外交政策を貫いてきた。そしてそれをうまく世論にアピールし、世界に表現してきた。そこセンスが日本にはかけている。欧米人はその文化的背景からアピールがうまい。日本人も”be nice”ばかり考えてないで、少し行き過ぎでも自国をアピールしていくべきだろう。その為にはもちろん、自己の独創的な哲学を持った首相と外務大臣が必要になってくるが・・・果たして今後どうなっていくことやら。注意深く見守る必要があると思う。
記事の主な概要としては、イギリスと日本の外交政策に対する違いについてだ。イギリスは1)戦争が必要な時は積極的に行う軍隊の力と政治の決断力がある。2)文化的にも政治的にも欧米のバランサーとしての役割を担う能力と担ってきた歴史がある。3)英米同盟に関し、国民に説明し説得しようと試みている。という以上三点が主な議論である。そして結論としては、そもそも日米と英米の同盟を同じ土俵で比較・評価しようということ自体が間違っている。そして日米同盟に対して日本の政治家が独自の"忠犬の哲学”を持ち、発信することを求めている。
確かに小松氏が論じているように、日米同盟には哲学というものが感じられない。それは日米同盟というのはそもそも終戦後、冷戦構造の中で日米双方の利害が一致し生まれたもので、どちらかというとアメリカからの押し付けの傾向が強い。日本には米軍の基地がおかれ、日本はgeo-political上重要な東アジアの要と見られている。それは日本がというよりは、日本の位置が、といったほうが分かりがいいと思う。その延長で、日本が戦後経済発展を経る過程において日米同盟は政治・経済の安定に寄与したと見てよいだろう。しかし時代は変わり、冷戦が終結し東アジア諸国の経済的・政治的プレゼンスが相対的に高まってきた。米軍も東アジアから縮小・撤退の傾向にあり、日本の外交・防衛政策は新たな転換点を迎えている。
そもそも日米・英米の比較をする時に、それぞれの置かれている政治状況を考慮しないわけにはいかないだろう。日本とイギリスの一番の大きな違い、それはやはり地域の歴史と欧州連合EUの存在無しには語れないだろう。まず地域の歴史に関しては、日本と東アジア諸国との関係よりもイギリスと大陸欧州諸国の方が近年長く、濃密な交流をしてきている。世界大戦を交えながらも、世界に欧州哲学を発展させ、植民地を作り、共に戦争を戦い・・・欧州という一つの枠組みの中で世界にアピールし、認められてきた。それと比較して、日本を含む東アジアは太古の歴史こそあれ、近代では非常に交流が少なかった。政治的にも協力関係を持って何かことにあたるということはほとんどなかった。それは一つに超大国中国の存在がある。東アジアに哲学はあるが、それはつまり中国哲学と同じであり、域内にはそれを自らのものと主張することに反発があるのではないか。
また欧州と東アジアの決定的な違いはEUの存在である。イギリスは加盟が遅れはしたが、EUに加盟した。国内世論として、大陸との協力、主権の弱体化に対して根強い抵抗感があるが、現実問題としてイギリスはEUのコアの一員である。いかにアメリカとの関係が大切とはいえ、もはやEUという束縛抜きにはイギリス外交は語れなくなってきている。余談だがイギリスがEUの中で、積極的にプレゼンスを保ちたい分野として、防衛政策があるということだ。第一にイギリスはその能力面においてはEU内ではもっとも秀でている。政治的にも他の経済などの分野では主導権を握れないという状況を考えると、EU内に発言権を残したいというのであれば防衛政策で勝負に出るのは自然の成り行きかもしれない。それがコソボ紛争であった。しかしEUはあれだけの規模の戦争を戦うだけの戦力がない。アメリカ抜きには戦争はできないというのが現状である。しかし技術を外交戦略でカバーした良い例かもしれない。
日米同盟と英米同盟を比較した場合、私達が考えなければならないのは、その性格上の違いからくる劣等感ではないはずだ。注目すべき点は、それぞれの同盟の、各自の外交政策における位置づけであるはずだ。イギリスがなぜ”プードル”と揶揄されながらもアメリカと行動を共にするのか。それは別に”プードル”になりたいから行動を共にしているわけではない。それが外交政策上もっとも得策だからである。イギリスにとって、EUという枠組みの中で、アメリカとのバランサーを買って出ることはその存在意義を高める上でも得策だ。軍事力・影響力の点からいっても紛争処理に参加することはイギリスの国益に適う。イギリスにとって、英米同盟はイギリス外交の中での重要な支柱ではあるが、それがすべてではない。時には自らの外交目的の為にアメリカを利用しようと狙っている向きがある。
実は日本についてもこれは同じことが言える。日米同盟は決して日本外交のすべてではなく、それは一つの柱でしかない。メディアや世論は自虐的に”対米追従”を揶揄し煽っているが、本当に日本の外交はすべての点においてアメリカ追従だったか?イランやパレスチナとの関係はどう説明するのか?ODA政策は?通商政策は?あまりテロ政策だけに視点を置き、過去の自虐史観を前面に出しすぎて日本の外交を議論すべきではないだろう。確かに日本の外交には意思が感じられなかったようにもとれる。しかし日本が自らの意思、国益に応じて外交を展開できると日本人自らが”確信”できるようになったのは実はほんの最近だったはずではないか。
もし日米・英米同盟の比較をするというのであれば、私はむしろ日本の政治家にもっと日本外交全般についての哲学を持って政治にあたって欲しい。官僚の書いた外交政策も悪くはないのかもしれないが、説明責任が果たせない、という点で政治家が責任を持って思想的にリードすべきだろう。イギリスは一貫した意思をもって外交政策を貫いてきた。そしてそれをうまく世論にアピールし、世界に表現してきた。そこセンスが日本にはかけている。欧米人はその文化的背景からアピールがうまい。日本人も”be nice”ばかり考えてないで、少し行き過ぎでも自国をアピールしていくべきだろう。その為にはもちろん、自己の独創的な哲学を持った首相と外務大臣が必要になってくるが・・・果たして今後どうなっていくことやら。注意深く見守る必要があると思う。