このブログ中でも何度か発言しているが、私は、東大ダメ人間の会というTwitterサークルの代表もやっている。
つい先日のことだが、私個人のTwitterアカウントにとある質問が飛んできた。「この手の批判は飽きるほど受けたと思いますが、東大生なのにダメ人間って矛盾しているのでは?」というものだ。
おっしゃる通りこの意見は何度も受けているので、私はいつも通りの回答を返した。
「ダメ人間」に限らず、「コミュ障」「非リア」「ぼっち」などの言葉は、他人に対して使う場合と、自分に対して使う場合で、若干ニュアンスが異なる。東大ダメ人間の会のメンバーの場合、ダメ人間という言葉は、客観的な「能力の欠如」ではなく、主観的な「苦手意識」(コンプレックス、という表現の方が分かりやすいかもしれない)について言及しているので、東大生だろうがなんだろうが、自分にコンプレックスを抱いていさえすれば、「ダメ人間」たり得るのだ。
「能力の欠如」と「苦手意識」の違いは、以前の記事『<コミュ障>、<やさしさ関係>、<コミュニティ弱者>1』で詳しく述べているので、よければご参照いただきたい。
さて、この回答を返した後、相手から返事が来た。その内容は「東大生のとっての世界は東大だろうから、東大の中で劣っていると感じたら、その人が自分のことをダメ人間と思ってしまうのは分かる。でも、身内でわいわいするのではなく、広めていこうと思ったら、東大に行きたくても行けなかった人たちの嫉妬を受けるのは当然だ。東大に行きたくても行けなかった側からすれば、東大の癖にダメ人間を自称しているのを見るとイライラするし、逆もまた然りならお互いがお互い知られないように生きるのが一番ではないか」というものだった。
たしかに、これは至極まっとうな意見である。実は、この批判も私は過去に何度も受けてきたのだが、それに対してきちんとした反論を返せたことがない。私自身、自分の考えが整理できていないし、自分の行動が正しいのかどうか決めかねている。そして何より、東大ダメ人間の会の代表として、この議論をあまり大きなものにしたくないという思いがあったため、今まで意図的にこの意見に触れるのを避けてきたのである。
だが今回、東大Twitterサークル研究会の活動を始めたことで、Twitterサークル、そして東大ダメ人間の会の活動に対し、メタ的に言及できるだけの環境は整ったのではないかと思う。今なら、冷静で学術的な議論をすることができるのではないか。そして、この問題は、東大ダメ人間の会だけでなく、他のTwitterサークルの運営においても重要な意味を持っている。やや個人的な事情ではあるが、今回からしばらく、「嫉妬」や「自虐」、「見下す」などの言葉をテーマに話を進めていきたい。
さて、私と相手の意見の対立の一番のポイントは、本当に「お互いがお互い知られないように生きるのが一番」なのかどうか、という点だ。もし「お互いがお互い知られないように生きるのが一番」が正しいならば、私が東大ダメ人間の会などという団体の活動をネット上に広めていることは責められて然るべきである。
私はそうは思わない。むしろ、お互いがお互いのことをきちんと知ろうとしなければならない、と思う。いや、これは言い方が正しくないだろう……私は、東大ダメ人間の会の活動を通して、実際の東大生のことを「知ってほしい」と思う。その中で、私のような東大生の側も、自分の事を、客観的、相対的に測れるようにならなければならない。東大生が、世間一般の基準から見て、普通の人よりもある程度は、「試験で成績を取る能力が高い」という点、これは残念ながら無視できない事実である。
東大ダメ人間の会のような、多くのTwitterサークルの活動、例えば、自分を卑下するような言葉を声高に叫ぶ活動は、言ってみれば、階級闘争なのだ。しかも、それは「弱者」の座を争って行われる階級闘争なのである。
私は、いかなる立場の人間であろうとも、自分が「社会的弱者」の地位に固定化するために、「社会的強者」のラベルを自分と対立する誰かに押し付けるような行為は、できる限りやるべきではない、と思っている。また、そういった行為を、できるだけ世界から減らしていきたい、と思っている。これは私が、実際に精神疾患の人と話し、精神保健の勉強をしてきた中で、作られてきた考え方である。私にとって東大ダメ人間の会の活動は、「東大生」というラベルに押し付けられてきた様々な「恵まれた」イメージを、ちょっとずつ他の人の元へ返していく行為でもあるのだ。東大生だろうと、「苦しむ」権利、「悩む」権利がある。その権利を奪おうとする様々な言説を、ネット上に作られた「空気」の力で押し返したい。そのためには、東大ダメ人間の会という団体が、ネット上に出ていく必要があった。その結果、嫉妬を受けることもあるかもしれないが、それもまた、必要なことだ、と思う。お互い、自分の欠点や利点を相対化して測るためには、他者との摩擦が必要になるからだ。
今回は序論ということで、ここまでで終わりにしたい。
次回以降、「弱者」の座を巡る階級闘争の仕組みについて詳しく見て行きたいと思う。
代表 べとりん