男性の‘性的欲求’って、きっと誤解 | プラチナツインレイとのエネルギー交流が織りなす変容のプロセス

プラチナツインレイとのエネルギー交流が織りなす変容のプロセス

プラチナツインレイとのエネルギー交流からはじまった信じられないような奇跡。
でも現実。
テレパシーの会話、明晰夢、透視、透聴...etc
チャネリング情報を交えながら、プラチナツインレイの謎をひも解いてゆきます。

 
今回は、‘異性観’について、ツインにまつわるあれやこれやのうち、このツインにもあてはまるな、と感じたことを書いてみたいと想います。
 
i) アプローチしてくるのは男性側
ii) ツイン以外の異性には興味がなくなる
 
ハッキリ申してしまいますと、男性側に、‘性的’な反応が生まれてしまうそうなのですね。それがきっとツインならではの化学反応なのでしょう。
 
そうして結ばれた二人は、言葉にできないほどの強烈な快感とともに、エネルギーによる変容の旅へと誘われてゆくのです。この旅へと一歩足を踏み入れてしまったなら、そこから抜け出すことなどできません。それはやはり、男性側からの働きかけが強いからなのです。
 
でもね、これは決して、性的欲求を満たすためだけの行為ではありません。私はむしろ、エネルギーの解放を求めてやまない男性特有の性質なのではないかしら、と想うようになりました。
 
でもこのエネルギーの解放は、男性ひとりの身体ではできない。つまり、女性の身体を媒介にしないと・・・というか、女性のエネルギーとひとつにならないと、男性はそのエネルギーを解放できないのです。
 
男性は本来、能動的な生き物、そして女性は受動的。男性はいつでも外へ外へと情熱を向けてゆくものだとするなら、その情熱を受けとめることによろこびやしあわせを感じるのが女性である、というのが、私個人の考え。
 
男性の内にどうしようもなくうまれくるエネルギーを受け取り、そして解放させてあげる、それが女性の役割なのかもしれない・・・。これが、ツインとのエネルギーの交流をもったことで私が新たに得た気づきなのです。
 
男性の性的欲求を、決してバカにしてはいけない、蔑んではいけない。エネルギーの解放を求めるその行為を、恥などと男性に感じさせては絶対にいけないのです。
 
世間で当たり前と思われている‘性的欲求’に対する見解はきっと正しくない。その欲求に対してよりデリケートなのは、繊細なのは、女性よりむしろ、男性の方なのです。男性にとってはとても切実なエネルギーの高まり。なぜそれを恥ずかしいものとして扱われるような風潮が生まれてしまったのでしょうね。すごく悲しいことと想います。
 
男性は繊細ですよ、ほんとに。
 
女性は男性に守ってもらいたい生き物ではありますが、でも同時に、愛する人のことを、どうしようもないほどいとおしく、抱きしめてあげたい、何かから解放させてあげたい、そんな衝動にかられるのだって、女性ならではの健全な資質なのです。私はそんな女性としてのじぶんの一面が大好きです。
 
 
ツインは、男性性と女性性を統合する役割がある。
 
でも、じゃぁ「統合」っていったいなんなの?私にはよくわかりません。
 
「いままで軽んじられ傷つけられてきた女性性を癒し、その尊厳をとりもどす」みたいなこと?それもわからなくはないのですが、でもそれでは逆に、今度は男性性が貶められてしまいそうで心配。
 
私はこうも想うのです。女性性が辱められることで、男性性をも卑しいものにしてしまった・・。癒され、尊厳をとりもどされるべきは、男性性も女性性もおなじ。両方一緒に、やさしく、たいせつにたいせつに扱われてゆくべきなのではないのかな、って。
 
ツインのこの言葉がとっても印象的でした。
 
「これまで、どこか足りない、たりない、と思っていた感覚を見つけた」

この足りない感覚、というのは、蛇のように身体を駆け抜ける快感のことです。
 
それは、ツインとしか得られないもの。この感覚を、男性は本能的に知っています。それは、男性がこれまで得られることの決してなかった感覚。それを共有できるのは、ツインしかいないのです。
 
だから、ツインと出逢った瞬間に、男性の性的なものが反応してしまう。そして、いちど結ばれたなら、もう他の女性を欲することもなくなるのです。だって、ずっとずっと求めてやまなかったものを、やっとやっと、みつけたのですから。
 
 
もうひとつ付け加えさせていただくなら、男性は決して、快感のためだけにひとつになることを求めているのではありませんよ?エネルギーの交流のなかで私が気づいたのは、「ああ、この人はこのエネルギーのゆきつく先を知っている」ということ。
 
エネルギーの解放と、その先に広がる果てしない感覚へと誘い、もっと先へ、もっと高みへいこうよ、と促してくれるのは男性です。男性は、性の神秘、生命の源、そんな世界を見てみたい、感じてみたい、探究してみたい、そんな冒険心にかきたてられた、少年のように生き生きと躍動感に満ちた存在なんだろうな、って、そんな気がしてしょうがないのですよね。