★★★2-16
暖かな陽の光が部屋いっぱいに広がっている。
目を開けた時、一瞬自分がどこにいるのか分からなかったが、バスタオルの上に置かれた小さなメモを見て、キャンディは昨夜の記憶をゆっくり手繰り寄せた。


 バスルームは部屋を出て左だよ


テリィの字―・・ここはテリィの家だ。
(・・そうか、この家に着いた途端眠っちゃったのね・・)
キャンディは体に掛っていた毛布を脇に寄せ、「・・テリィ・・?」小さな声で呼んだ。
静寂が広がるリビングに、人の気配はない。
「―・・二階で寝ているのかしら・・?」
低いソファテーブルの上には、バスタオルの他にパンとスープ皿が伏せるように置かれている。
室内をキョロキョロと見回している内に「――ギョッ」目も当てられない身なりの自分に気付く。
「なにこれっ・・ゾンビはどっちよ、トホホ・・とにかくシャワーを浴びてこよう・・」

朝はとっくに始まっていたようだ。
濡れた髪を朝陽に乾かしてもらおうと、朝風に誘われるままテラスへ出る。
遠くに海が広がっていた。

「わぁ・・すてきな場所」
足元にいくつかの吸い殻を見つけると、キャンディは口をへの字に曲げた。
「もう、まだ煙草を吸っているのねっ、こんな所で吸って葉に引火したら危ないじゃないっ」
テラスの上に被さる様に木の枝が伸びている。枝の本体を目で辿ると、それは大きなくすの木だった。
小鳥たちがこずえにとまり、気持ちよさそうに歌っている。
「あそこから見る景色の方が、きっともっときれいね!」
キャンディは小鳥の仲間に入れてもらおうと、太い幹に手をかけた。

 



キキキーッ 
ボンネットが凹んだ車が猛スピードで戻ってきた。
忘れ物をしたのではない、代役を蹴ったわけでもない。
なぜか船の出航が一日延びていたのだ。
朝方、衣装を回収する為鍵を開けてもらえないかと劇場の守衛さんに声を掛けた時のことだ。
待っていたという口ぶりで告げられた内容が、あまりに信じられず、確認の為港へ急行した。
船員の話では、豪雨と列車事故の影響で燃料の搬入に遅れが生じているとの事だったが、到着予定日に変更はないらしい。乗船して待っていても構わないと言われたが、帰るに決まっている。
干天の慈雨と言うのも妙だが、思いがけずあと一日キャンディと過ごせる猶予が与えられたのだ。

急いで玄関を開けリビングに駆けこんできたテリィは、慌てた様子で室内を見回した。
「・・キャンディ―!」
いるはずのキャンディがいない。
(――!!・・まさか、二階の手紙を読んで、もう出て行ってしまったのか・・!?)
二階を探そうと一歩踏み出した時、女性物の靴につまずいた。
手つかずで残されているテーブルの上のパン。
「――まだ、いる・・」
テラスの窓から入って来た風が、こっちだと言う様にテリィの髪をさわっと揺らした。
新緑の隙間から漏れてきた鼻歌が耳たぶに触れた時、テリィの体にやっと新鮮な空気が入ってきた。
「・・・フっ・・・早速特等席を見つけたか、あいかわらずだな」
テリィはキャンディに気が付かれぬようゆっくり木を登り始めた。


「やっぱりね、遠くまで海が見えるわ。きれーい!」
キャンディが美しい景色を楽しんでいると、「モンキーは健在だな」突然背後から声がした。
「テリィ!!」
不意を突かれたキャンディは狼狽した。まだ当分眠っていると思っていたのに。
「朝食前に、木の上をお散歩ですか?空腹でまた倒れちゃうよ、レディそばかす?」
「もう、びっくりさせないでよ。一緒に食べようと思って。あなたにしては早起きね」
「ああ、港までちょっとドライブに行ってたんだ」
テリィは苦笑しながら横に座る。
「港・・?あそこに見えてる?あ、分かった!新鮮な海の幸を仕入れてきたんでしょ」
「いや、行って帰って来ただけ。単なるドライブ」
言っている自分でも可笑しくなる。せめて衣装ぐらい回収してこいよ、と密かに呆れる。
「・・なんで裸足なんだ?」
「だって、シャワーを浴びたばかりだもの。こっちの方が気持ちいいわ」
ブランコにでも乗っているように、ぶらぶらと前後に動かしている小さな足は、確かにとても気持ちが良さそうだ。
「シャワーを浴びたばかりなんだろ?早速汚れるぜ?」
「靴が汚れているのよ、昨日の事故現場、地面がぬかるんでひどかったでしょ?」
「ハハ、確かにその通りだ!あれは今履くべきじゃないな」
リビングの靴が泥だらけだったことを、今更ながら認識する。
「ところでこれ、ここに置いてあったわよ?」
キャンディはたばこの箱をかざした。
「・・ああ、そうか、こんなところに―」
「確かに一服するにはちょうどいい枝ぶりだけど、こんな所で吸っちゃだめよ?昼寝も危険だわ」
早速出たキャンディのお小言が、テリィは可笑しくてたまらない。
太い幹を背もたれにしてウトウトしてしまう事が確かに何度か有った。
こんなことまで分かってしまうレディなど、キャンディをおいて他にいない。
「この場所素敵ね!あんなに海が光って」
「俺が隣にいると、なんでも素敵に見えるだろ?」
「よく言うわ・・!そういう自信過剰なところ、全然変わってないのね、」
わざと呆れた言い方をしたが、キャンディの胸は騒がしく鳴り出していた。
そんなセリフを聞くと、枝に腰掛けて二人で湖を眺めたスコットランドの夏が一瞬で蘇る。
( あの時もこんな感じだったな・・)
「君だって全然変わってないじゃないか。レディになったって言うから楽しみにしていたのに」
まだそばかすが残っているキャンディの鼻に、ツンと触った。
「もう、失礼ね。私だって大人になったわよ!」
「スカートで木に登っているのに?」
テリィはからかいながらも、やっぱり変わったかな、と密かに思っていた。
白いブラウスにバーバリーチェックのフレアースカート。
開いた襟元には十字架が光っている。
いわゆる大人の普段着で、特別露出が多い訳でもないのに、シャツ越しに感じる柔らかな女性的なラインは、テリィが初めて感じるキャンディだった。
(・・十年だもんな、そりゃ変わるよな・・・)
いい意味で期待を裏切ってくれたキャンディの姿に魅了されるように、まだ濡れている髪に思わず触れた。
「・・髪、切ったんだな」
不意に二人の視線が絡まった。
テリィの熱い視線を感じたキャンディの心臓は、ドキンっと大きな音を立てたのを合図に、鼓笛隊がリズムを刻むように、高鳴り始めた。
「ア、アニーが、いつまでも結んでいると、ハゲちゃうわよってっ」
(――ああ、自分は何てムードがないんだろう。やっぱり成長してない・・)
その返事を聞いたテリィはクックと笑いをこらえるように言った。
「やっぱり変わってないな。髪の色もそのまま!感動するよ」
「相変わらず若くてかわいいって言っているのよね?」
ニッと笑うキャンディに、まさか、と言うつもりだったのに、「まあね」と言ってしまった自分に、テリィはあわてた。
・・なんだろう、この気まずさは。お互い目を合わせられない。
「―・・テリィは、あまり変わってないのね。・・髪の長さ」
キャンディは視線をずらすようにテリィの髪の方をチラッと見た。
「いろんな役をやるから、短髪じゃない方がなにかと便利でね」
「色んな役?」
「ハムレットだけを演じているわけじゃないさ。短期公演が年にいくつもあるんだぜ?」
「そう・・なんだ。雑誌で取り上げてくれないと、私には届かないから―」
知らないテリィがいる。キャンディがほんの少し淋しさを覚えた時
「のばせよ。俺の方が長いってのも妙だ」
テリィはさも当たり前とばかりに言った。
「な、なんで私がテリィの髪の長さに合わせなきゃいけないのよっ」
「恋人だろ?」
「だ、誰がっ!」
「・・違うのか?」
ああ、この決めつけた感じ。やっぱりテリィは変わってない。
「そ、そういうのは、ちゃんと、告白して、、、じゃあそうなりましょうって、段階を踏むものよっ!」
「手紙で伝えたぜ?それを承知の上で君は俺に会いに来て、家にも泊まった。川の流れのごとく自然だ」
「と、とまっ、泊ったって・・っ、何もしてないわ!やめてよ、そういう言い方っ」
「おや?何かして欲しかった?残念だけど、そういう事はきちんと段階を踏まないとね」
「!!あなたね――つ!!」
髪を逆立てるようにムキになっているキャンディの体が、一瞬バランスを崩した。
「おっと・・、」
テリィは咄嗟にキャンディの腕をつかみ「そんなに怒鳴りなさんな、落ちちゃうよ?」とクスクス笑っている。

完全にテリィのペースだ。けれどこんな会話もどこか懐かしい。
「・・傷はどうだ?まだ痛むか?」
まくられた袖口を見て、テリィは不意に表情を曇らせた。
「大丈夫よ、もう乾いてるわ。それよりあのリボン、舞台衣装よね。使っちゃって平気だった?」
「ああ、大丈夫。衣装は何枚かスペアが有るし、サッシュベルトなんかそもそも無くてもいい」
「あ、そうか。テリィの公演は昨日で一旦終了だったわね。当分ハムレットの衣装は着ないのかしら?」
何気ない一言で、テリィは一気に現実に引き戻されていく。
(・・出発が延びたとはいえ、猶予はない。・・早く、話さないと―)
「ねえ、あれは港よね?大型船が停泊しているのが見えるわ。イギリスはどっちの方向?」
テリィは「あっちだよ」と言いながら北東を指差すと、キャンディはその方向を静かに見つめた。
遠い目をするキャンディを見て、テリィは今話そうと決めた。

     

 

       

 2-16 木の上で

 

 

次へ左矢印左矢印

 

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ワンポイントアドバイス

 

今回のキャンディの洋服のイメージ

 

1920年代のアメリカの流行は「フラッパードレス」でした。

↓ひざ丈のスカート、ショートヘアのボブカット、濃いメイク、ジャズ、喫煙~~。

キャンディの装いは、流行を全く意識していないようです。

 

 

 

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