体感器を背負った面白いヤツラ~パチンコ・攻略プロ達の青春回顧録 -8ページ目

体感器を背負った面白いヤツラ~パチンコ・攻略プロ達の青春回顧録

1990年代バブル経済末期、世間の流れとは関係の無い処で暗躍していたネタプロ(攻略プロ)達のアップダウンな日常風景

黄門ちゃまで調子よく稼いでいた僕は次にアレマンにも手を出すことにした。

だけど、このアレマンっていうのは少々これまでとは勝手が違っていた。


と云うのも、これまでのエスケープや黄門っていうのは単純な止め打だったのに対して、アレマンは『直撃ネタ』だったからだ。

『直撃』・・・簡単に言うと打つ球を当り乱数にかすらせると云ったらいいのだろうか・・・。

やっていた人からすれば『ああ、あのコトか』とスグにでも判ってもらえると思うんだが、やったことのない人に巧く説明するのは僕には出来そうもない。


簡単に云うと、打つタイミングを微妙に調整したり(もちろん、キカイが当りのビートを刻んではいるんだけど)、球筋の照準をあるストロークにあわせることによって直接当りの乱数を直撃させるのだ。

これ以上はどう説明したらいいか判らないが、とにかく『針の穴を通す』様な作業が必要なんだと思ってもらえたらいい。(その代り、爆発的な稼ぎが出る)


だから、何?って言われたら困るんだけど・・・、要するに家で練習しました(練習台を用意したのってアレマンとパワフルの2台だけ)。

その為には実機(アレマンの台)が要りますよね?

それを確か20万位で買ったのを憶えてる。


今の様な液晶画面でも何でもない素っ気ないパチンコ台の中古物件が20万よ!?

あんなモン、普通なら5千円かいいとこ1万ぐらいだよ。

なのに、どうして20万もしたのか?


当時全国のネタプロ達がこの台を練習用に探してたから値が高騰したんだ。

つまり、それだけ難易度が高かったって事だろうし、また、全国的にターゲットにされてたんだろうね。


兎にも角にも台を入手して練習した結果、攻略手順を身につけた僕は抜きまくりました。

連日、狂ったように・・・。

なんせ、時給約1万は余裕ですから。

最大時給は2万ぐらいまでは引っ張れたと思うけれど(理論上)、現実にはマア時給1万前後で抜くのが当時の”常識”だったと思う。


時給1万(それも抑えて)のスゴさって判る?

朝から打って昼過ぎにはもう片手(5万)なんて余裕で出ちゃってるんだから。

うまく近くの店を使い分ければ1日に2軒で(5万+5万)日当10万のネタなわけですよ。

しかも、100%勝てるわけ・・・て言う事は、店を巧くローテさせないといけない。

ところが、店が無いのよ、このアレマンを設置してる店が!!


という事で、ネタプロ達は地元の店だけでは飽き足らず県外へ『旅打ち』に出る事になるんでありんす。


次回、『アレマン旅打ち編』に続く・・・。



エスケープでキカイ攻略を憶えた僕が次に触った台が平和の『CR黄門ちゃま』。

周期は4,8秒の2or3発打で、日当は3~4万と言ったカンジだろうか。

攻略法会社や雑誌では”1日で5万、10万当たり前!!”みたいな煽りを入れてたりしたけど実際には3ツ、4ツぐらいが相場だった。(因みに当時は、¥4貸・¥2,5戻しが主だった)


それでも、コノ黄門、エスケープに比べればズット楽だったし面白かった。

何といっても日当が倍近くになったし(コレが1番大きい・笑)、エスケープに比べてクギがマトモなので回りがイイ(黄門は丁度その頃の旬の台だった)上に、設置店が山ほどあったので打つ店に困らなかったのだ。


設置店が多いという事は攻略をする上で重要な要素だ。

と云うのも、同じ店ばかりを使うわけにはいかないので(ほぼ100%勝ってしまうから)、アチコチの店をローテーションさせながら上手く回していかないといけないのだが、設置店が少ないと車で1時間~2時間離れた店まで行かないといけないし、また、アマイ店(常連客や店員の空気)が無ければ冷や冷やドキドキしながら打って、神経を擦り減らさなければならなくなる。(当時のエスケープはそういう末期状態だったので打つのがキツかった)


この黄門はホントに思い出が深い。

状況のアマイ店がうんとあったので、それほど苦労することなく毎日稼げた。

また、僕自身もキカイに慣れて要領が良くなっていたせいもあるだろう。

エスケープでは精々月30万位だった稼ぎが一気に月70~80万になったんだから『思い出の1台』になるのも当然だろう。

(エスケープはあまりの辛さから”早退”する日が多かったが、黄門はほぼ週休1,5日でフル稼働だった)


20歳代のアンちゃんに、これだけのカネが入って来たら・・・生活が変わらないわけがない。

毎日のように、スシ(廻ってないヨ)、焼肉、中華、ステーキ、スシ(廻ってないヨ)、焼肉、中華、ステーキ、時々イタリアン・・・白人クラブにフィリピンパブに秘密の**と豪遊三昧の日々だった。

それも途中からはアレマンに乗り換えたから、もう完全に『1人バブル状態(笑)』。


ヨシローやその他の連中は皆、車やブランドモノの服だの時計だのってやってたけど、僕はそういう方面には興味が無かったから専ら食べる事ばかりだったな。(ああ、オンナは少々やったけど)

そんな中世の王侯貴族みたいな生活を1年ぐらいはやったろうか?


段々飽きて来てね。

スシだの焼肉だのって云っても、毎日喰うもんじゃあないよ、アレ。

もうね、見るのも嫌になったモン。

結局は白いゴハンにサンマと味噌汁っていう”原点”に戻っちゃたんだよな(笑)

卵かけゴハンなんかサイコー!!って思ったよ。

オンナ遊びもナンダカ虚しくなっちゃってね、決してカッコつけるワケじゃあないんだけど、もう食傷って云うの?オンナの裸想像しただけで『ウエッ』ってなるようになったんだよ。

毎日、毎日トッカエヒッカエやってればどんな絶倫男だってそうなると思うな。

それでも、週末は遊びに行ってたけどね(笑)。


話がかなりズレたけど、コノ黄門(そしてこの後に出て来るアレンジマン)の御蔭で僕はスッカリ、カタギの生活から転げ落ちて遊び人の仲間入りになった、。

それでも、マダこの時期ならそんなに人生の修正が効かなかったわけじゃあないと思う。

問題は、この次に手を染める事になった『藤商事・アレンジマン』にドップリハマって行ってしまった事だ。


ひょんなことから知り合ったヨシローに僕は攻略のイロハを教わった。

当時の攻略業界はネタバブルで、ヨシローとの出会いのキッカケにもなったパワフル(三共のセブン機ではなく太陽電子のアレパチの方)やアレンジマンを筆頭に黄門ちゃま、野球拳、そして某攻略軍団で有名になった春一番等、今では考えられないぐらいのラインナップだった。


その中でヨシローが僕に教えたのがエスケープだった。

周期は約2秒の単発打で、日当1,5万~2万クラスの(当時にしたら)地味なネタだ。

『パチンコで遊んで一日2万なんて、オイシイなあ』なんて思うかもしれない。

確かにコレがヒラ打ちならそうなんだが、体感器を装着して、ということになるとハナシが全然違ってトテツモナク辛い作業になる。


考えてみて欲しい、2秒に1発づつキカイ(体感器)のビートに合わせて玉を弾くのだ。

そして、コレはやったことが無いと分り難いだろうが、周囲への警戒や目配せがかなりしんどい。

先ず、常連客の視線に注意していなければいけないし(バレる原因のトップは常連客のチクリ)、店員が後ろを通る度に単発打ちからヒラに変えなければならない。


ガラスの反射を利用して周囲を警戒したり、隣に厄介そうな奴が座れば休憩をとってやり過ごしたり(当時はハッキリ、スジと判る様な奴が平然と店内をウロウロしていた)、時折、監視カメラ(当時はクビ振り式がメインだった)の角度が自分の方へ向いていないか確認したり・・・とにかく気疲れするのだ。


それを1日8~10時間もやればグッタリとなってしまい、家に帰ればバタンキュウ状態になる。


だが、このエスケープの御蔭で僕は攻略に必要な事を一通りマスターすることが出来た。後から思えばエスケープはマサシク『攻略の為の練習台』ともいうべき台だった。だからこそ、ヨシローは手始めに、コレを僕にやらせたのだろう。


キカイ攻略を身に着けた僕はこの後、いよいよ当時の花形ネタであるアレマンや黄門に手を出していくんだけど、それは僕にとって、後戻りできない一線を踏み越える事になるとは、未だこの段階では露ほどにも思わなかった。

人生が変わる時って、なんらかのキッカケがある。

後から振り返れば『ああ、あれがキッカケだったんだなあ・・・』って判るけど、その当時は判らないものだ。

例えそれが人生を大きく変えていくであろう岐路であったとしても、そうとは判らない。

というのも、そのテのキッカケっていうのは小説や映画に出て来るようなドラマチックなことではなくて、ホンのチョットしたこと、些細なことであるからだ。

感覚としては分度器が1度ズレた位の事。

ただ、それが時間の経過とともにドンドンあらぬ方向へと進んで行く。

1度の違いの大きさに気付くころには良くも悪くも人生はスッカリ変わってしまっている。


僕にもそういう人生変更線とも云うべきキッカケがあった。

パチンコ屋である人物の横の席に座っただけ、ただそれだけのこと。

タダ、その人物は所謂『攻略プロ』だったのが普通と違う所なんだけど。


僕はこの人物(仮にヨシローとする)との出会いで人生がガラッっと変わった。

大学を辞め、攻略プロとして食べて行く事になった。

もしヨシローと出会わなければ今頃はお医者さんになって(辞めた大学は医学部だった)、どこかの個人病院の副医院長ぐらいにはなっているだろう。

結婚もして、子供がいて、マイホームの一軒も持ってる頃だろう。

それが、彼との出会いで180度違う人生を歩く事になった


ヨシローとの出会いは今から考えると本当に不思議でならない。

確率的には彼と僕が出会う事なんてほぼ0%なんだから。

あの日の彼との出会いを検証してみると幾つもの偶然が重なっていたことが判った。

(1)そもそも彼と出会ったパチンコ屋というのは、僕の家から車で1時間ほど離れた田舎街にあって、普段なら絶対に入らないような店だった。(確か、嫌な事があってドライブをしていて、トイレかなんかで寄った気がする)


(2)たまたま”ちょっと遊んで行こうかな”と思ってある権利モノの島に入った。(当時僕は曲がりなりにも平打ちの開店回りをやっていて、フラッ入った店で、しかも遊びで権利モノを打つなんてことは年に1度か2度もなかった)


(3)座った席がたまたまヨシローの横だった!


(4)その台は実は有名なネタ台で、その日ヨシロー(や他の連中も)は最後のツブシにやって来ていた。つまり、2,3日ズレていたらヨシローとは出会えなかった。


(5)本当にたまたまだが、攻略手順が外から見ていて判った。つまり、僕も下手くそながらも攻略打ちをしていたので、ヨシローは僕を同業者だと勘違いした。


(6)他愛の無いことに思うかもしれないが、ヨシローと僕は1歳違いの同世代だった。もし年齢が5歳ぐらい離れていたらお互い口をきくことは無かったと思う。


(7)ヨシローはヤクザとの付き合いのない(つまり、攻略グループには属していなかったという意味)、カタギだった。でなければその後、僕は関わらなかったろう。


まだまだ挙げていけば細かいことはあるんだけど、ザッとみても相当な偶然が働いていたと思う。

兎にも角にも、僕は彼との出会いによってその後の人生が大きく変わった。

その時は”チョットした小遣いぐらい稼げそうだな”と思っていたのが、一日5万、10万当たり前のネタバブルに突入してアチコチを豪遊したり、ホテルに監禁したりされたり、スジ絡みで怖い目にあったり、日本全国を飛び回ったり・・・。


あのまま普通の人生でいたら経験出来ない事に色々出会えた。

それが果たして良かったのか悪かったのかはまだ判らないけど、僕の人生が変わったのはホントに些細な偶然からの小さなキッカケだった。


何が言いたいのか?

今の人生が嫌でナントカしたいと考えているキミ!!

人生が変わるキッカケなんてのは”大きなこと”じゃないよ!

それは、ほとんど偶然と云って良い様な小さなことです。

分度器の一度の違い、ズレを見逃さない様にしていれば、必ずキッカケはきます。

今日から毎日、チョットだけ視点を変えて生活してみて下さい。

なにか、なにかが必ず見つかりるから。


見付かったら、怖がらずに掴みに行って欲しい。

ダメだったら・・・またやり直せばいいじゃない!?


今回は攻略時代のエピソードを書こうと思ったんだけど、ナンダカずれちゃったな。

今日は、もう疲れたので・・・。

また、今度・・・。