体感器を背負った面白いヤツラ~パチンコ・攻略プロ達の青春回顧録 -2ページ目

体感器を背負った面白いヤツラ~パチンコ・攻略プロ達の青春回顧録

1990年代バブル経済末期、世間の流れとは関係の無い処で暗躍していたネタプロ(攻略プロ)達のアップダウンな日常風景

店に戻るとパワフルのシマは活況を呈していた。


田舎街の小さなパチンコ屋が今日だけはお祭り状態なのだ。


入口のソファでは沢井がその筋と思しき男と談笑している。


おそらく仲介の相手―つまり、この店のケツを持っている地元のヤクザ―なのだろう。


私は彼らに軽く会釈すると、パワフルのシマへ入り席に着いた。


タクミもヨシローも、そして席の離れたシゲもラストの追い込みをかけている真っ最中だった。


”よーし、俺もやってやる!”


私はハンドルに手をかけ、再び玉を弾きだした。


打ち始めて2,3回デジタルが回った時、ヤクモノ上部にあるスタート穴に玉が貯留された。


ハズレ、ハズレ、と来て後2回転分の玉がフクロウの頭に乗っている(保留玉の様なもの)


私はハンドルから手を離し、買っておいた缶コーヒーを開けた(注)


と同時に、デジタルは3・3・3。


台枠上に私のアタリを知らせるフラッシュが走る。


私は左手でコーヒーを飲みながら、右手をハンドルいっぱいに切った。


【注・・・分かっている人には蛇足ながらこの場面を少し説明すると、要するに私は格好をつけたのだ。パワフルは連続回転であれば4回転目には必ず当たるという性質を持っていたのだが、それを知っているのは当時プロでも少数だった】


休憩を置いたおかげで右手の中指も ”疲れ” がとれたのだろう、最終ラウンドのアースタッチも軽やかに決まる。


横のタクミとヨシローもここぞとばかりに連チャンさせていた。


イヤ、あの時は皆が一種のゾーン状態に入っていたと思う。


前半での慣れない土地でのぎこちなさが取れて、皆、己の腕を思う存分発揮している。


台枠上では引っ切り無しにフラッシュが走り、アチコチでパワフル特有の金属音が流れていた。


まさしく、お祭り状態だった。

















このパチプロ列車には様々な人間達が乗り降りしていた。


いわゆる、アウトローと呼ばれる人種たち。


詐欺師、ヒモ、ヤクザ、暴走族アガリ、商売に失敗して夜逃げしてきた者、教え子に手を出して駆け落ちしてきた元高校教師、親に捨てられたり虐待されたり・・・etc。


皆、何らかの事情で社会とマトモには関われない連中ばかりだった。


こういったアウトロー達の事をことさらの如く擁護するつもりも無ければ、変に美化するつもりもない。


確かに彼らはどこかが欠けていたし、マトモに人間関係が営めない連中だった。


世間から爪弾きにされたって仕方がない連中だった。


それでも、なぜか私は彼らに親しみを感じていた。


多分それは・・・


私の中にも彼らと通底する何かがあったからなのだろう。


”社会的不適合者”


一言でいえば、そういう事なのかも知れない。


何があったわけでもないが、私は子供の頃からどうしても周りの、いわゆる ”普通” の人達と馴染む事が出来なかった。


特に和を乱すような事をするわけではなかったが、いつの間にか集団から外れてしまう、そんな子供だった。


自分のそんな性質のために、たびたび憂き目に遭ったりもしたが、それでもどうにもならなかったのだ。


”自分は他の連中とは違う。おそらくマトモな社会生活は送れない人間なんじゃないだろうか・・・”


いつしか私はそんな自己イメージを心の奥に抱くようになっていた。


当時、世間では ”宮崎勤事件” や ”オウム事件” などが騒がれており、彼らの事をあたかも異常な人間達であるかのような報道がなされていたが、実の所、私はそうは思っていなかった。


”ひょっとしたら、俺だって・・・”


たまたま私は反社会的な行為に及ぶ事はなかったが、それは運が良かっただけの話であって、ちょっと間が悪ければ何らかの事件を起こしていてもおかしくはない。


普段は善良とまでは行かないまでも、世間一般の人間として生きてはいるが、それは仮面を被っているだけの事なのだ。


そんな事をボンヤリ考えていたら、いつしか辺りは薄暗くなり、休憩時間も終わりになっていた。


私は座席のシートを元に戻し、車から出ると、再度店の中へと戻って行った。




休憩札を入れたのは単に指先を休ませるためではない。


それなら、コーヒーでも飲んで一服すれば良いのだから。


流れを変えたかったのだ。


完全確率の概念からすれば、私のやっていることはバカげたオカルトだと笑われるだろう。


休憩を挟んだからといってアタリの幅が長くなってくれる(連チャン確率が上がる)わけでもなければ、急に腕が上がるわけでもない。


むしろ、せっかく眼と指先がアースタッチのリズムを覚えている状態を中断するなんて、良い流れを悪くする様なものだ。


そんな事は分かってる。


分かっているのだ。


だが、いよいよとなった時・・・結局、人間が拠り所にするのは確率論やデータなどではなく、精神的な部分なのではないだろうか・・・。


休憩札を入れてもらい席を立とうとする私に、気持ちを見透かしたタクミとヨシローが眼で言葉をかけてくれた― ”一息入れてこい”



~~~~~~~



ガラスドアを開け、私は店の外に出た。


夕陽が映えてきれいだった。


気取ったことを言うようだが、こんな生活をしているとのんびり夕陽をながめることでさえ心に染み入る。


好きで始めた事だから誰に文句を言うつもりもないが、やはり心のどこかに引っ掛るモノはあった。


来る日も、来る日もキカイのビートを追いかけて・・・


朝から晩までパチンコ台と睨めっこ。


1人の時はもちろん、こうして仲間と一緒であっても口一つ利くこともなく、ただ黙って打つだけ。


気取りついでにもう一つ言えば、まるで果てしない砂漠を旅している心境だった。


ひょんなことから乗ったパチプロ人生という列車。


”この列車は一体どこへ向かっているのだろう? オアシスのある豊かな土地だろうか、それとも干上がった荒野だろうか・・・”


駐車場の隅に止めてある車の中で、シートを倒し、私はボンヤリと物思いに耽っていた。












私が波に乗って連チャンを継続させていると、一発長打の後静かにしていた(ハマっていた)ヨシローがアタリを引き、次いで5分もしない内にタクミもアタリを引いた。


これで3人揃っての連チャン状態だ。


その時点ですでに17~18連チャンさせていた私は、気持ちの余裕もあってか半分お道化ながら、2人に言った。


『丁度良かった。そろそろ飛ぶ(連チャンが終わる)だろうから2人にバトンタッチで選手交代だな』


もちろん本気で言ったワケではない。


出来ればマダマダ連チャンを継続させたいところだが、私の腕は平均15連チャン程度だったので、そろそろ飛んでもおかしくない、そこを踏まえての戯言だった。


店のドア・ガラスからは、いつの間にか落ちかかった西陽が斜めに差しこんでいた。


そろそろ勝負も最終コーナーにさしかかっていた。


ヨシローやタクミだけじゃない、いつの間にか他のメンバー達もほとんどが連チャン状態にあった。


おそらくヨシローもタクミも、いや皆がここら辺りからラストスパートをかけて来るだろう。


閉店までの残り時間を考えれば(1回の初当りで10連チャン以上の権利消化時間を考慮して)、今から引ける初当りはギリギリ後2回。


とするならば、今ココで連チャンを飛ばしてしまうのは非常に痛い。


なぜなら、私は今の長打でようやく皆に追いついたところなのに、ヨシローやタクミを含めた他のメンバー達は、ここから更に出玉を伸ばして行き、差をつけられてしまうからだ。


できれば、今当ったばかりのタクミやヨシローと一緒にもう後10連チャンほど抜いておきたい。


ここまでで既に18ツほど連チャンさせているということは、28連チャンということか・・・。


自宅で練習していた時でさえ20連チャンオーバーというのは、よほど調子が良い時にチラホラ出る程度だったのに・・・。


アレコレ思案した挙句、私は台枠ランプを点け、店員に休憩札を入れてもらった。














いったん間を置いたのが良かったのだろう


10連チャン以降も調子は崩れず、11,12、13、14,15、と順調に引っ張ることに成功した私は、ようやく皆と同じ前線に追いついた。


同じ連チャン採りでも、マイナスの穴を埋めるのと皆と一緒にプラスを計上していくのとでは(気分が)全然ちがう。


”波に乗った” とでも言うのだろうか、自然とアースタッチも軽やかになり、最初の緊張感などスッカリ消えてしまっていた。


その時点で、ほとんどのメンバーはちょっとした壁―(ようやく当てても4~5連チャンで飛ばしてしまったり、10連チャン以上の長打を出してもその後にドハマりだったり・・・)―にぶつかっていた。


ただ一人、赤髪を除いては。


それまで私は自分のことで精いっぱいだったので気付かなかったが、赤髪の奴はもしかしたら朝からズッと連チャン状態を継続しているのではないか?


台枠上部を走るフラッシュを眼で追うと、行きついた先のほとんどが奴の台だった。


横に座っているタクミに盤面越しに聴いてみると・・・


”YES” ニヤリとしながら、半分呆れたような顔つきで答が返ってきた。


ということは・・・


奴が朝一の初当りを引いてから今まで約6時間。


出玉交換(注)や小休止などのタイムロスを差っ引いても、ゆうに5時間は連チャンさせている事になる。


【注・・・”出玉交換”→当時はドル箱規制により、足下に置けるドル箱数が決まっていて、それ以上の出玉はその都度カウンターで交換しなくてはいけなかった。ちなみに、今の様に店員が運んでくれたりはしなかったので、いちいち自分でやっていたのが面倒だったし時間のロスでもあった】


この間、一度も飛ばさずノンストップで抜き続けているというのか!?


1時間で平均8つの権利消化だとしても5時間で40連チャン!


調子のいい時のタクミでも、ストレートで40はキツイだろうに・・・


沢井が言っていた ”関西でも指折りのパワフル・プロ” というのもまんざら誇張ではなかったのだ。


実は後々知り合いになった関西の同業者の口から赤髪の話が出た事があったのだが、彼が言うには、赤髪は相当な有名人で、ことパワフルに関しては関西NO1ではないかという話だった。


沢井の知り合いというからには、ある程度は腕のある連中が集められてくるだろうとは思っていたが、まさか赤髪がそこまでの人物だとは、この時は夢にも思わなかった。