盛りを過ぎ、枯れかけている花だったが、
妖艶なヴァイオレットと白のコントラストに誘われ、ふらふらと近づいてみた。
「私は、まだまだよ!」と言われてるよな。
コレぞ、有終の美というものか。![]()
なんだか、むわぁー。![]()
まるで真夏のよう。![]()
夕方だというのに、
日中の暑さの残片を
肌で感じる。
季節の変わり目のサインを
察知することも、
以前ほど、容易ではなくなった。![]()
ーけれど、
耳を澄ましたり、
目を凝らしてみれば、
小さなサインが。![]()
ほら。![]()
今、吹いているそよ風が、
太陽の光が、
「そろそろ、
次の季節の準備をしてね。」と
告げているかも。![]()
あっ。
そういえば、以前、
今、所属している和太鼓クラスが
解体の危機であるということを
ちらりと書いた覚えが。![]()
幸い、今のところ、
何事もなかったかのように、
今まで通り、レッスンを継続中。
いったい、あの騒ぎは、
なんだったんだろう?![]()
まぁー。なんにせよ、
続けれることは、ありがたい。![]()
今日、つくづく思ったことが
ありまして。
ーそれは、
人それぞれ、独自の視点で、
物事を捉えているという
重大な事実を忘れがちであるということ。![]()
ある物事を、
何の偏見も持たず、
ありのままみるということは、
とても難しい。![]()
どうしても、独自の視点や
視覚を通じて得た情報が
ありのままをみることを
妨げるからだ。![]()
視覚から得た情報は、強烈で。![]()
まるで、自分の正当性を
裏づけているように
感じることもある。
果たして、
それはいかがなものでしょう。![]()
視覚から得た情報は、
物事を歪ませるという面もあるはずで。
この世界には、
私の知らない無数のレンズが存在する。![]()
自分の見ている世界が
唯一無二ではない。
会話をしていると、
そんなことを、
思い出させてくれる時が、
多々ある。
私にとって、
「これが当たり前やん。
」ということも、
ある人には、「意味わかんな~い。
」というような。
話の共通点が多いとき、
嬉しくなって、ますます話が弾むが、
そうじゃないと、
「どうせ、わからへんし。」と
耳が閉じがち。
でも、でも、こんな時、
独自のレンズをさらに
拡大するチャンス!![]()
レンズは、
大きければ大きいほど、
自分の立ち位置や、
人の立ち位置も見えてくる。
そうなると、
「それぞれの正しさ」を基準に、
物事を判断するのは、
どこか、変だなぁーと。![]()
「正しさ」を主張することよりも
大事なことがある。
「もしかしたら、
自分にも否があったのではないか?」という
謙虚さを持つということ。
そういう「慎ましさ」って、
失くしてしまったのかな?![]()
いい大人が、権力を利用し、
「自分の正しさ」を堂々と貫こうとする。
謙虚さ、或いは、慎ましくあるということ。
それは、弱いことではない。
むしろ、強さが必要とされるはず。![]()
最近の諸々の不祥事から、
本当に考えさせられる。
「人として、大事なものは何か?」と。![]()
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