みちる | 恣意的なblog.

恣意的なblog.

僕は歩く。

michiru

白い建物に挟まれ、日差しがあまり届かない公園のような広さが取られているその敷地は、ひんやりとする外気に面した肌から体温が奪われてしまうような、そんな蕭条たる場所だった。建物の外壁には、蔦とも苔とも区別できない黒緑の禍々しい模様が所々描かれたように纏わり付いており、その形容し難いさまは辺りに重苦しい空気を放ちながら、異質な空間を象っているかのように感じられた。

その男はこの場所に来たことをすぐに後悔し、建物の中に戻ろうと考えたが、歩みを止め、辺りの様子を眺めて過ごすことにした。そこには三本の大木が植樹されており、首を上に大きく曲げると、日の当たる上層の枝にだけ、豊かに生い茂る翠緑の葉が見えた。「生きているんだな」男はそうひとりごち、自分の中に渦巻きながら芽吹き始めている対照的な出来事としてそれをとらえた。

季節は移ろい、夏が吹き出す。
初夏は紐解く季節。

突然、男は意味ありげに首を傾げた。それは緑を探すことをあきらめ、狭い視界から遠ざけようとする仕草に見えた。なあ、俺の中にいる誰かよ、俺の目を通して何が見えるんだい?立ち向かおうとする俺は存在するのか?誰でもいいから本当のことを教えてくれると助かるんだ。男は誰かの目を通して何かを語らい、充実していた過去を知る。ただ、そこには受け入れ難い現実があった。

流れているから美しいものだということを知っている。簡単な事実を豊かに表現するのは難しい。人括りに語られるものほど多くの要素を持っており、蹴鞠のように密接に絡まり合った表層から目にすることができるのは、その僅か一端ということだ。


いつしか誰かが祈るようになる。そこには光があって、鬱々たるこの場所のどこか隅に、大切な何かが隠されていたことを。きづいて欲しい願いを。きづいてあげられなかった想いを。そして、その光には影が必ず生じることを。そして僕は、男が意識的に視界から遠ざけた理由をそこに知る。やっとわかったんだ。寂しさのそばには柔らかさがあり、悲しみがいたるところに潜んでいる日常の傍には、温かみのある陰の部分が存在するということを。

男は矢面に立ち、何も言わず光を受け止め、誰かのために流れの少ない入り江のような陰をつくった。それだけの話しだ。時に光は眩しく、全てから愛される存在ではないことを知る。暗晦に居場所を見つける人間だっているんだ。僕はそれを今でも学ばなければならない。

そろそろ緑が全力で芽吹き始める。
頼り無い庇護のもと、季節は巡る。
そして、こころがみちる。

その時、俺はいないんだろうな。男はつぶやき、今度ははっきりと自分の目を通して、遠くを見つめた。彼が最後に何を感じ取ったのか、僕には今でもわからない。本当に彼なのか、本当は僕の内なのか、もう永遠にわかることはないんだ。記憶の薄らぎというのは、なんと空しいものなんだろう。僕は必死に思い出すことしかできない。

オイルが焼ける匂いを嗅いでしまったからかな。

とても懐かしく思うよ。