前回の記事から読んでみてね
前回の記事で、認めるの苦しいけど…。
仕事とか家庭の事情は置いたとしても、結局のところ地元の友達にとっては時間を作ってまで会いたいと思われる相手(=私)ではなかった。
という事実を認めて、「地元の友達に会いたいと求められる私になろう」と、心に誓い、一部始終を話したところ旦那さんから「それは違うんじゃない?」と言われたのです。
「地元の友達と集まった時に求められるものが違うんだと思うよ。
地元の友達にとって、香里が発信してることや行動してること考えてることは知ってるの?」
「いや、知らない。何も話してないというか、毎回会っても子供が多くてドタバタしてて話せてない。」
「香里はお茶会、ランチ会を開催して満席にしてるし、話を聞きたいって来てくれてるし、会いたかったって言ってもらえてるじゃん。すでに香里は求められてる人なんだよ。
ただ、地元の友達の集まりでは香里がどんなことを考えてるのか、行動してるのか、発信してるのかすら知らない。知らないだけだし、話してないだけで求められてないわけでもない。
そもそも、香里は地元の友達に求められたいの?」
私、完全にポジショニングを間違えてたってことに気がついた!!!!
私は確かに地元の友達からは求められていなかったし、今回集まった時も存在感を出せていなかった。
じゃあ、地元の友達と集まった時に存在感を出せていて求められていたのはどんな人物なのかと言えば、自分の子供も友達の子供も集めて保育士のように手遊び歌とか、くすぐり合いとかを率先して楽しんでやってる子だったの。
私さ、それを見ながら「あ~、明るいな~。子供たち楽しそうだな~。私には出来ないな~。」って、遠くからその様子を見てる軽く自分を卑下してたんだよね。自己肯定感だだ下がり(笑)
その後の友達とのグループLINEではさ、その子がみんなから賞賛されて、感謝されて、話の輪の中心で、求められてて、まさにキラキラと輝く女神のようだったの…。
いや、
ちょ、待てよ。
そもそも、その地元の友達との集まりで求められるポジショニングを取れる人は、子供が好きで、分け隔てなく自分の子供も友達の子供も扱えて、明るく子供と遊ぶのが上手で、子供の写真を撮ったりして、写真をみんなにアップして喜ばれる人物。
私、そもそも論で、そのポジションが欲しいのかと。
そんな人に私はなりたいのかと。
私はそんな風に遊んでくれる人に子供をお任せして、大人同士で話したい派だ(笑)
なれないじゃなくて、全然なりたくなかった(笑)
2週間、地元に帰り、子供中心の友達と一緒にいると、それが1番求められる人であって、それが出来ない私が露呈して自己肯定感がめちゃくちゃ下がる(笑)
なりたいわけじゃないはずなのに、その場にいると分からなくなる(´;ω;`)ウッ…
じゃあ、私は全く求められていないのかというとそうではなくて、ランチ会やお茶会を開催すれば満席になるし、「会いたかった」と言ってくれている人もいるし、「香里さんに会えてお話を聞けて良かった」と言ってくれる人もいる。
私の能力とかが関係あるわけでは決してなくて、本当にポジション。
どの場所に自分を置くかってことが、すごく大事。
ポジショニングを間違えて自分が評価されない場所、今回でいえば地元の友達と子供を連れた集まりに居続ければ、それが出来ない自分ばかりに目がいって自己肯定はめちゃくちゃ下がってたはず。
でも、場所を変えれば、私は「会いたかった」、「話せてうれしい」と言ってもらえる人物になる。
もし、なんか求められていないなとか感じるのであれば、それはただ単にポジショニングを間違えてるだけの可能性が高いかもしれないってことを今回の帰省で学んだ。
いや、今回の事で痛感したけど
ポジショニングはマジで大事!!!!!!
ポジション間違うと自己肯定感めちゃくちゃ下がるからね。
自分が求められるポジションで生きていこう!!!!!!