世の中には色々なタイプの人間がごまんといるが、
人間watchingが好きな私は、
基本的に身近に関わる人間を、
好き嫌いで判断しないことにしている。
人との関わりは学びのきっかけととらえるので、
関係性が難しいほど学びも多いと
考えるようにしている。
ただ家族ともなれば、
近すぎて本当に煩わしかったり、
甘えが出たりで困難極まることがある。
寡黙な夫はほぼ自分の本音をこちらに表現しないので、まるで何を考えているのか分からないことも多いが、失言極まりない姑のもとで育ったと考えると、
無口なのと聞こえないふりが上手なのは
仕方がないのかもと思うようになった。
私も姑との関係が泥沼化していたころ、
愛する夫にさえ、[この母親(姑)と息子(夫)は私を奴隷のように利用したのでは…?]と疑ってかかるほど、心が傷つきうらぶれていた。
後になって、まるで苛めのような姑の嫌がらせは、
舅が他界した寂しさや嫉妬からくる心貧しい八つ当たりだったことや、
こちらの人権が無視されたような姑の発言も、
農家ならではの昔から受け継がれた奴隷制のような嫁いびりの文化の名残であったことが分かり、
決して許せる訳ではないけれど、妙に腑に堕ちた。
姑本人は自分の価値観や観念を客観視できるほどの知的な思考を持っておらず、
未だに自分独自のフィルターを通して物事を観、
世間に対する偏見極まりない発言も平気だ。
現実離れしたその様子は、まるで昔話に登場する愚かな老女のようだ。
観念が古すぎて[時代劇じゃああるまいし💢😠💢]と発言に腹が立つことは頻繁にあるけれど、
私が諭したところで通じないので、
異星人👽だととらえることにして、
私の日常を汚されない程度に距離を保って過ごしている。
驚くべきは彼女の傲慢なメンタルの強さだ⚠️。
時折夫が姑に注意することがあっても、
話題をするすると他にずらしつつ、
全くもって性根にいらない👻。
感心するくらい独特な存在感だ😩⤵️。
彼女がこの世を去った後、家族間でしか通じない
たくさんの姑らしいおもしろ語録が語られることだろう。
孫である息子達は姑のことを、
始めからああいう存在と捉えていて、
話の道理がどんなにおかしくても
[それがおばあさんらしさ☝️]だと受け止めている。
家族の関係性の中で、子供達の受容力は
本当に広く豊かなんだなぁと感心した💯。
息子達に対しては、
私はよっぽど嫌なことがない限り
こちらの価値観を押し付けないことにしている。
性の違いもだし、やはり生きる時代が違うので、
価値観が全く違うからだ。
息子達の会話を横で聞いていても、
ITの話題などは専門用語を始め
私にはちんぷんかんぷんで、
下手に加わろうと質問すると鼻で笑われてしまう⤵️。
個性的な人間の集合体である家族も、
個々にお互いを認め合い、
それぞれのテリトリーを侵さない距離をはかりつつ、
お互いの思いやりさえ忘れなければ、
うまくやっていけるんだと思う。
家族愛などと美しく表現はしにくいけれど、
困ったときは支え合い、
生きてきた時代や文化の違いを理解しつつ
個性を受け止めて共に過ごせば、
学べることも多いもんだと
やっと思えるようになった。