悲しみを怒りに変えなければ生きていけなかった。あまりに深い寂しさに引きずり込まれないように。見ないように。そうしなければ、私は消えなければいけなくなってしまう。あの頃の「怒り」は、実は、私の味方でした。私を守るために、出てきてくれていました。

 

そのことに気づいた時、「怒り」の気持ちに感謝でいっぱいになりました。怖くて避けようとしていたそれは、できれば排除したかったそれは、本当は必要なものでした。大切な、私の一部でした。

 

あの時は、そう反応するしかなかったのです。なぜなら、私はまだ小さな子供で、どうしたらいいのかわからなかったのだから。自分ひとりでは生きていけない弱い存在だったのだから。けれど、今はもうその恐怖は終わっているし、私は充分に強くなったし、味方もちゃんと見つけられる。悲しみを感じても、もう大丈夫。

 

ずっとずっと長い間、押さえつけられ続けた感情は溜まっていき、いつか吹き出してきてしまいます。心を凍らせてしまったせいで、身体までもが凍ってしまう場合もあります。だから、どんな気持ちも認めてあげて、ちゃんと感じてあげる。怒ったり、悲しんだりして解放したり、言ってはいけないと思い込んでいることを怖がりながらも伝えてみる。・・・そんなリハビリが皆、人生のどこかの時期で必要になるのかも知れません。

 

本当はみんな、怖かっただけ。自分の存在を認めてもらえないのではないか、価値がないと思われるのではないか、必要とされていないのではないか。だから心を武装して、本音を隠してしまう。でも、そうしていたら、いつまでたっても本当の自分を見つけてもらえない。一人になりたくなくて嫌われないようにしていたことが、逆に人を遠ざけていたという事実。そして、もしも偽の自分を好きになってもらえたとしても、いつかはバレてしまうのだから意味がないのです。

 

素直なそのままの自分でいること。本当の自分を表すこと。結局は、それが幸せへの近道でした。