「人の優しさを受け入れる」、その言葉を聞いてハッとしました。私は「人はみんな優しい」とわかっていたにも関わらず、「迷惑を掛けてはいけない」という方にばかりフォーカスしていました。近い関係である家族に対してでさえ、「待たせてはいけない」「邪魔してはいけない」「機嫌を損ねてはいけない」など、自分への禁止事項がありました。

 

けれども、それは、その人の優しさを信用していなかったから、なのかも知れません。

 

もちろん、意図せず相手をイライラさせてしまうことや悲しませてしまうことはあります。でも、確認してみると、結局は誤解ばかりだったのです。冗談のつもりが本気に取られていたり、忙しくて自分に集中していたら冷たいと感じさせてしまったり、良かれと思ってした気遣いが伝わっていなかったり。

 

人は何かの判断をする時、自分の過去の事柄や感情に無意識に引きずられてしまいがちです。けれど、それぞれの経験は個々によって全く違う訳で、だから誤解は起こってしまって当たり前とも言えます。男女の感覚の違いからの誤解も本当に本当に多い。

 

「言わなければ伝わらない。」それを感じる場面に度々遭遇するのは、恐らく私自身が伝えようとしてこなかったから。相手はわかっているはず、と一方的に思い込んでいたのもその大きな一因でした。皆が「察する人」ではないというのに。そして、例えそういう人でも誤って判断してしまうことも時にはあるというのに。


人はみんな優しいのだから、その人がそんな反応をするのは何か理由があるはずなのでした。相手を悪者にして自分を傷つける必要なんてなかったのです。それに、その人はささいなことで怒るような器の小さい人でも、簡単に傷つくような弱い人でもないはず。なのに、勝手に気を遣って勝手に一人で消耗していました。

 

過去の傷が私を防御しようと護ってくれていた、それに感謝しつつも少しずつ手放していこうと思います。今の自分は過去の私よりも強くなっているから、もう傷つかないように警戒するのではなく、傷ついてもいいから人を信じる方を選びたい。そちらの世界の方が、私にとって居心地良い場所なのだと感じるのです。