考えることと悩むことは別の物です。もしかしたら、これらを一緒に混ぜてしまっている方もいるかも知れないと思い、今、こうして綴っています。私は、ある時から悩み事はもうなくなったと感じ、周りにもそう公言していました。でも、ふと思ったのです。もしかしたら、現在の今の私の状況も、他の人から見たら悩んでいることになるのかも、って。例えば、家族のこととか友人との出来事とか。人はこれらも「悩み」と呼ぶのかも知れない、と。

 

私は思考することが好きで、色々な題材についてよく頭の中で思い巡らせていますが、考えても変わらないこと、どうしようもないこと、想像不可能なことについては、思い浮かんでもすぐに消してしまいます。なぜって、それは自分を痛めつけてしまうだけだから。逆に、対処できることについてはとことん突き詰めています。

 

例えば、将来どうなるかは自分次第だし、わからないので不安を持つ必要はないと考えています。最悪の事態を予想してみて、それに対する準備をするのなら建設的で賛成ですが、そうではなくて、怖くなるばかりならば想像する必要はありません。それは、実際にそうなった場合、その時に考えればいいと思うのです。全ての状況は今とは変化しているはずですから、ここにいる私がどんなに頭でこねくり回しても意味がないと思うのです。悲観的になる必要は全くありません。

 

昔のトラウマについては難しいところですが、癒される可能性があると感じる際には思い返して改めて見直して、一人で感情を吐き出すこともあります。辛い環境に置かれた時は頑張る方ですが、限界を感じたら去ります。そういった場合、身体か心どちらかに支障をきたしてくるので壊れてしまう前に逃げます。体がメッセージを発してくれるのでそれに従うのみです。

 

私の中での悩みの定義は、考えても仕方のないことをネガティブな気持ちで思い続けること。対して私がしているのは、解決策を見出すために様々な方向から検討してみること。加えて、今に集中すること。だから、現在の自分には「悩み」と認識されるものがないのです。