誰にでも心の傷はあるのだからと、私だけがつらい思いをしてきた訳ではないのだからと、それを慰めにもしたし、自分に厳しくする理由にもしてきました。「トラウマを癒す」とか「自分を大切に」とか、もう10年以上もやっているつもりだったけれど、まだ足りなかったみたいです。先日のある講座で、癒されていない幼少期の悲しみに気がついてしまいました。その時は人前だったせいか涙は出なかったのですが、翌日に色々と思い返していたらその頃の自分が可哀想過ぎて、一人きりで気が済むまで泣き尽くしました。

 

自分自身に寄り添ってあげるためにインナーチャイルドワークも過去に何度かしたけれど、今回私がとても救われたのは「誰かに本当にわかってもらえたから。」でした。苦しかった経験って、相手に心理的な負担をかけたくなくて笑い話にしてしまったりするし、近い関係の人だとしても、同じ経験をしていないと心から共感してもらうのは難しいものです。それに関しては問題は感じていません。

 

ただ、例え自分自身で自らのことを癒そうとしても、あまりにその傷が深い時には限界があるのかも知れないと思いました。そう感じてしまう程、そのカウンセラーさんの共感と励ましの力は偉大でした。実は、彼女も子供の頃に私と似たような理不尽な扱いを家族から受け、同じように戦う経験をしていたのです。

 

彼女はこう言ったのです。私はその苦難な状況を、逆に自己を幸せにするために利用できたのだと。良い方に活かせたのだと。・・・私も自分ではそのことをわかっていました。でも、そんな風にちゃんと言葉にして伝えてくれたのは、この方が初めてだったのです。自分の人生全てをやっと肯定してもらえた、そんな気持ちになりました。今まで認めてもらえなくてずっと苦しかったんだなと気づいた時、本当の意味でようやく家族の呪縛から解放されたことを感じたのです。

 

誰もが、それぞれの課題を抱えて頑張っている。だからこそ、時にはそれを誰かに認めてもらいたい、そう思うのは自然なことです。決して甘えなんかではありません。叱咤激励してくれる人達も大切だけれども、ただただ共感してくれる人、わかってくれる人も、とても必要。だからこそ、この世界に異なる経験を持つ大勢の人々がいてくれて、よかった。