この続き。
 
思い切りまでずいぶん時間がかかったけど、今日DAISOで買ってきた幅20センチにも満たないこの空間に、子供の頃の夢を閉じ込めることにした。
 
今はまだ、ごく短いレールと少しばかりの商店を並べただけ。
ここに少しずつ、あの頃憧れた風景のかけらを詰め込んでいこう。

 

 

今日、自民と公明が同意した給付金の所得制限、最悪!

 

声を大にして叫びたいのは、自分たちのような中途半端な高所得者(とみなされている)は、納めている税金に見合う恩恵がほとんど無いこと!

せめて公平にしろよと! お金が欲しんじゃない! そもそもこの給付金自体が愚策中の愚策!

 

イカれた累進課税のおかげで、散々搾取されておきながら、児童手当もない、高校無償化も適用外、地域によっては医療費補助もない、マジふざけんな。

このクラスの所得世帯は、そもそも裕福とは程遠いわ!

 

もらえる家庭とそうでない家庭、、、埋めがたい溝ができるのでは?

このクラス以上の年収層は、国民の数%しかいないことを利用したバラマキ施策だ。

 

子どもの未来応援給付???

もらえない家庭の子どもは何て言うだろう、うちのパパはお勉強とお仕事頑張ったから10万円もらえない、、、よし、僕もお勉強頑張ろう!ってなるか!?

そういう子どもたちは応援しないってことか、よく分かった!

 

喜んで税金払う国になるには程遠い、こんな国、一度ぶっ壊して再構築した方がいいんだ。

 

何度も言う、お金が欲しんじゃない! 自分たちの声をもっと聞きやがれ!

 

ガムとは中高生時代から続く長い付き合いで、今に至っても欠かせないアイテムだ。特にフライトでは(少なくとも自分的には)。

いつだって持ち歩きたいけど、ボトルサイズは嵩張って何かと不便。

というわけで、自分なりのライフハックを導入している。

 

ボトルからザーーーっと移し替える容器は、Nゲージの貨車ケースw

これでカバンに入れても全く邪魔にならない。70粒くらい入るかな。

 

そして普段使い用にポケットに忍ばせるのがフリスクのケース。

これピッタリバッチリ9個入る。ちょうど2日間で消費する量だ。

 


母親からの誕生日プレゼントは、ここ何年かは決まってガム、しかも5〜6ボトルw

地味に、いやすごく助かっている。

 

 

写真・・・フリスクケースは自分のニックネームをいれたオリジナルのもの。貨車ケースはKATOのワキ5000。

 

6年ほど前から、法律によって労働者のストレスチェックが義務化されて、うちの会社でも実施されるようになった。

 

画像は、その結果。

 

ほんとかなあ・・・???

あなたはストレスをあまりかかえていません、問題はありません」だってぇぇぇ??

 

そもそも簡単なマークシート問答では、表面的な結果しかでないのは間違いないし、写真には写ってないけれど、そのような逃げの一文も記載されている。

これってそもそも厚生労働省の帳面消しなんじゃねって声もちらほら、、、

 

本当に労働者のメンタルを考えるならば、専門家との面接を義務化するしかないと思う。紙切れチェックじゃなくて。

もちろんマンパワー的に無理なのは分かるけど、心苦しんでどうしようもなくなって、それからはじめてカウンセラーに相談する社会的システムが出来上がっているのが、残念でならない。

 

 

かわいらしさと鈍臭さが適度にミックスされた愛車TWINGOと過ごして、はや1年。

12ヶ月点検に行ってきた。

 

購入時の整備パック?適用で、オイル交換含めてすべて無料。

TWINGOの健康状態は良好だ。

 

強いて言うならば、バッテリーが劣化気味とのこと。

思いつく原因といえば、頻繁に行ってた長距離ドライブだろうか?

お昼寝休憩中に、アイドリングでエアコンやオーディオを惜しげもなく使い続け、ついでにシガーソケット経由でPC充電も当たり前にしてたことが若干悔やまれる。

いやあ、それにしても劣化が早いな、、、まあ日本車の常識を当てはめるわけにもいかないし、近々交換しておこう。

 

遅ればせながら昨日やっとワクチン接種に行ってきた。

1度目だからか、今のところ大きな副反応もなく過ごせている。

ただしパイロットの場合、国からの指示で接種後48時間はフライトが禁止。

 

あしたも独りで過ごす休日。

 

 

写真・・・点検からの帰り道。ホイルもピカピカにしてくれた。

 

ひさびさにTWINGOのお話。

 

乗ってるクルマも飛行機もフランス製。

どことなく設計思想?が似ているところがある。

 

例えばボタン操作。

フランス製の飛行機は、通常状態で真っ暗になるよう作られている。

 

より解りやすく言うと、OVERHEAD PANELと呼ばれる天井にあるパネルには、数えたことはないけれどスイッチやらボタンやらライトやらが、たぶん200以上ある。

飛行機のシステムが正常だったり、パイロットが特別な操作をしない限り、OVERHEAD PANELは真っ暗な状態、つまりライトが点灯しないよう設計されている。

ぱっと見で真っ暗だったら安心してていいよ♬ っていうコンセプトらしい。

メーカーはこれを、DARK COCKPIT PHILOSOPHYと呼んでいる。

 

同じフランス生まれのTWINGOも一緒。

「エアコンスイッチをオンにしたのに効かないんだけど!」とかはよく聞く話。

いやいや、それは勘違い。

日本車とは考え方が逆なのよ。

 

日本人の感覚であれば、オンにしたからライトがつくでしょ?

でも違うの、オンになってるからライトがつかないの。

 

慣れたらどうってことないんだけどね。フランス車あるある。

 

 

 写真・・・エアコンはオン。アイドリングストップはオフ。

 

もともと更新少なめなブログだけど、この1ヶ月間新規投稿がなかったのは、決して忘れていたわけでも怠けていたわけでもない。

飛び上がりたいほど嬉しいこともあれば、心引き裂かれるほど辛く悲しい出来事もあった。

つまりは、誰とも変わらない日常を過ごしていた。

 

働き方改革なんて言葉が誕生して、もう何年になるだろうか。

パイロットという職業も、疲労が安全性に影響するなどの国による調査研究結果(実はこの調査は自分も参加している)や、実際に疲労が原因と推定される事故やインシデントが発生したこともあり、世界的規模で働き方が法制化されている。

 

例えば、さかのぼってXX日以内にXX時間以上飛んではいけないとか、XX時間を超えて働かせてはならないとか、XX日間働いたら必ず連休を取りなさいなどなど、事細かく決められている。

日本の航空会社のパイロットの月間飛行時間の平均は、おそらく50〜60時間であろうか?

もちろんそれは飛行機が動いている間の時間であって、実際にはその前後に時間は必要だし、地上勤務を加味すれば、1ヶ月間の平均労働時間は140〜170時間であろうと推測する。これは一般的な会社員とたいして変わらないと思う。

 

過去のブログにも書いたけど、自分は仕事人間に憧れていた。

 

飛んでいる時は、仕事をしている感覚がない。

自分はこれでお金をもらっているんだと思うと、好きなことを仕事にすることができた人間だけが感じられる幸福感に満たされる。

うがった見解かもしれないけど、お客さんから見ても、仕事と割り切って飛ぶパイロットよりも、フライトが好きで好きで幸せ感じながら飛んでいるパイロットに任せる方が、安心感があるのではないかな・・・。

 

若い頃から転居を繰り返してきて、気がついた時には自分には友だちと呼べる人間がいなくなっていた。

(もちろん心許せる仲間は大勢いる。ん? これを友だちと言うのか? 友だちって何? 相手が自分を友だちだと思ってくれてたら、それでいいのかな。とにかく難しく考えない方がよさそうだ。) 

そして家族と離れて暮らしているのもあり、自分が今、一番自分らしくいられるのは、機長席に座っている時間だ。

 

働き方改革や、飛行勤務時間の制限、、、これは時代の流れではあるけれど、人それぞれではないだろうか。

業種を問わず、仕事が生きがいの人は世の中には大勢いるだろう。

賛否両論は承知だけれど、その人たちにとって働く時間を制限されるのは、人格を制限されることと同じ意味ではないだろうか?

 

先に書いた自分もサンプルのひとつとして参加した、国によるパイロットの疲労調査研究では、自分の疲労度はかなり低いものだった。どんなに難しい悪条件のフライトを終えた時であってもだ。

 

ハドソン川の奇跡のサレンバーガー機長は、娘に「最高の仕事って何?」と聞かれてこう答えた。

「やらなくていいときでも、やりたくなる仕事さ」

 

サリー機長も自分も、良い意味で仕事中毒なんだろうと思う。

今の自分には、家族と過ごす時間がもっと欲しいと願う気持ちと、もっともっと飛びたいという気持ちが同居している。

 

ミニマリストは自分が目指す姿とは違うけれど、書籍を著したり動画配信しているような著名ミニマリストの人たちのほぼ全員が心がけていることのひとつに、自分の定番を決める、というのがある。

 

持つモノ・着るモノ・食べるモノ、、、それらを定番化すると、無駄遣いは減り、身辺がスッキリ整う。

そして何より、選ぶ時間を大きく短縮できる。

定番化することで、他の大切なことに貴重な時間を充てることができる。

ということらしい。

 

自称シンプリストの自分も、本当に必要なモノは何かを見極めて、とにかくモノを減らしていこう!と思いついてはや数年。

去年からは単身赴任の身であることも加勢して、その度合いも高まっていった。

 

所有物の定番化が定着してからは、自分も時間を有効に使えるようになった。

1週間どころか数ヶ月間家を開けることが急に決まっても、その準備に10分もかからないのは、自分の数少ない自慢できることのひとつだ。

 

もちろん選択する楽しみを全て捨て去ったわけではない。

シンプルに生きたいと決めた自分が残した選ぶ楽しみは、この2つ。

家族と出かける旅先と、外食先。

早くコロ助落ち着かないかな・・・。

(この続きです)→→

 

 

民間の乗員養成施設で、パイロットとしての基礎的な資格を取得して6年間という大きなブランクはあったが、決められた訓練シラバスから逸脱することなく、副操縦士になることができた。

これこそが長く思い描いていた、なりたかった自分になれた日だった。

 

古今東西どのような規模の航空会社でも、「この人間は将来機長になれるポテンシャルがあるか?」などの先を見越して、副操縦士要員の採用可否を決定する。

うちのような吹けば飛ぶようなローカルエアラインであってもそれは同様で、自分が副操縦士になってからの「なりたい自分」は、機長としてフライトすることへと変わっていくのは当然の流れだった。

 

年月は目まぐるしく過ぎた。

新しい目標に向けて、会社人間にはなりたくなかったけど、仕事人間にはなりたかった

フライトや勉強につまづきそうになったときは、当時の上司の「男は仕事で輝くんだからな」という言葉を思い出しては、そして飛ぶことを許されず苦しかった日々を思い出しては、必死で食らいついていった。

結婚前にMとした、「年に一度は海外旅行に行こう」といった約束は、すぐに果たせなくなった。

仕事や訓練で海外を訪れる機会は多かったが、その度に「これと同じ景色をMと見たかった」と想い願うのが精一杯だった。

 

さらに年月は目まぐるしく過ぎた。

副操縦士をごく平均的な年数を経験したのち、機長になった。

努力が報われたと思った。なりたかった自分になれた。

自分の仕事面での創意工夫と実績を評価してくれる上司に恵まれ、ほどなく管理職発令を受けたのは機長になって2年目だった。

言い換えれば、なりたくなかった会社人間に、ならざるを得ない毎日を送るようになったのだが、パイロットもいちサラリーマンだと考えると、会社運営や部下の指導に携わることに憧れがないわけではなく、いつの間にかなりたかった自分に置き換わっていた。

 

さらにさらに年月は目まぐるしく過ぎた。

もし自分が航空事故の当事者になれば、マスコミは自分のことをベテラン機長と報道するだろう。

部下・後輩の指導も充実し、会社での発言権も増してきた。

なりたかった自分になれた。

 

Mは惜しげない理解と協力を自分に与え続けてくれた。

Mにとっては長い17年間だったと思うけど、自分の体感時間は、ほんの数年間でしかない。

なりたい自分を実現するために、駆け抜けていった。

 

今自分は、子どもの進路や教育のこともあり、家族と離れて単身赴任をしている。

仕事では充実しているかもしれないが、家族の幸せに直接関与することが難しく、もし家族に何かあったとき、すぐに手助けできない環境だ。

そんなもどかしさを毎日感じながら、ひとつの結論が導かれた。

これは、なりたかった自分ではない。Mは口にはしないけど、そういった自分の心境に気付いているだろう。

 

今になって、本当になりたい自分の輪郭がはっきりしてきた。人生の目的が見えてきた。

そのためには少しだけでいいから、考える時間が欲しい。

家族と一緒に暮らしたい。子どもたちの成長を見届けたい。そしてMとの約束を少しでも実現したい。

パイロットであることも、管理職であることも、少しの期間でいいから完全に忘れ去りたい。

本当になりたかった自分になるために。

 

だから今度会社に相談することにした。

自分に少し休養させてくださいと。

あの日話してくれた母親の声が蘇ってきた。

 

 

(「休養しなさい」終了)

パイロットになりたい!

と心底願うようになったのは、大人になってから。

 

物心ついた頃は、むしろ鉄道に心を奪われていた。

 

乗り鉄でも撮り鉄でもなく、自分の場合はモケ鉄

自分好みの街並みに、お気に入りの車両を走らせたかった。

自分だけの街、自分だけの山、自分だけの川があり、その合間を自分だけの列車が駆け巡るなんて、なんと素敵な空間なんだろうと憧れていた。

 

とはいえ鉄道模型のレイアウト作りには、場所と時間、そしてお金が必要だ。

子供にとっては、その夢を叶えるハードルはとてつもなく高く、ただレールを敷いただけのカーペットの上に、空想する景色を重ね合わせる日々を過ごしていた。

 

いつの間にやら少年は大人になり、その空想を具現化できるようになった。

場所と時間も確保でき、なんとかやりくりして費用を捻出し、子供の頃の夢を叶えようとレイアウト作りに取り掛かったのが7ヶ月前だ。

仕事明けに急いで帰宅したくなるほど、街づくりは最高に楽しかった。

これだよこれ、小学生の頃、自分はこれがやりたかったんだ!って。

 

写真は、全体的に20%程度の完成度に過ぎない。

これから木々や建物が増え、レイアウトに活気が生まれ始める、いわば一番楽しい期間が始まる頃だ。

 

でも作業が遠のいている。

列車を走らせることもほとんどなくなった。

この3ヶ月間、街づくりが完全に止まっている。

 

この様子を見て、子供の頃の自分は何て言うだろう?

きっと寂しがるだろうし、もしかしたら罵詈雑言を浴びせられるかもしれない。

場所も時間もお金もあるのに、もったいないじゃないか! なんでほったらかしなんだよ!? ぼくのバカ!!

 

ごめんな、子供の頃の自分。

もしかしたら自分、Nゲージのレイアウトが欲しかったんじゃなくて、空想したり夢を見ていることが楽しかったんだ。

いざ夢が叶いそうになって、それに気づいてしまった。

本当にごめんね。

でも君が大人になったら、もっと素敵な夢が叶うから楽しみにしときなよ。

 

なんだこの胸の苦しさは・・・。

 

 

写真・・・まだまだ作りかけだけど、近々解体予定。ごく小さいジオラマに作り替えて、子供の頃の夢をそこに閉じ込めることにした。