自分には、仕事に係る知識量は誰にも負けない自信がある。

 

自分的に面白さを感じられない分野の話題に触れられた時は、ハッタリかまして誤魔化すことは数知れないが、その日のうちに自分のモノにできるよう、人並みの努力はしている。

要するに、勉強! 勉強! 勉強する!!

 

勉強とは、勉め・強いること。

机にかじり付いて、教科書や参考書に埋もれながら、必要な知識を身につける作業、、、

多くの日本人は、学校や家庭でそのように躾けられてきた。

だがこれは、根性論の延長線上にある、インプット型の勉強方法だろう。

 

この勉強方法では、どうしても暗記偏重となり、とてつもない精神力を要する割には、応用問題への対処に苦慮する。

つまりインプット型では、得た知識が生きた知恵に変わりにくい。

似たようなことは、このブログに書いた。

 

 

 

ならばどういった勉強法なら、暗記偏重から脱却し、応用を効かせられるくらいの知恵を得ることができるのか?

その答えは当たり前のようだが、インプットの反対、アウトプットを意識すればよいだけだ。

 

自分の勉強方法はこうだ(iPadのGoodNotes5使用)。

 

(1)その科目・課題に係る教科書・参考書・資料の情報を徹底的に収集し、一読し理解する。

間違ってもここで暗記しようなんて考えてしまうと、ただの苦行でしかなくなるので要注意。

 

(2)(1)で収集した箇所をiPadのノートアプリに貼り付け、体裁を整える。

この体裁を整える作業にこだわりすぎると、ただの苦行でしかなくなるので(以下略

 

(3)余白に自分なりの考察を書き込み、理解を確実にする。

 

たいていの科目や課題は、ここまでの過程、つまりインプットだけでなんとかなる。

問題は、立ち向かう相手(科目・課題)が強敵の場合は、以下のアウトプット手順が必要だ。

 

(4)範囲が広大で用語も膨大な場合は、マインドマップを作成する。

このマインドマップのデザインにこだわりすぎたり、ここで暗記しようなんて考えてしまうと、ただの苦行で(以下略

 

(5)立ち向かう敵がラスボス級に強すぎる場合は、パワーポイントでプレゼン資料を作る。

プレゼン資料といっても大そうなモノではなく、サイズと色を変えた文字と矢印だけの、アニメーションも何もない味気ないモノで充分だ。

この作成やデザインにこだわりすぎると、ただの(以下略

 

(6)(4)と(5)を元にして、誰かに教える。

相手がいなければ、一人二役を演じても効果充分だし、勉強会で発表してもよい。

難しい内容の重要ポイントを再確認するには、教えることが一番だ。

 

 

勉強=暗記だなんて、精神修行以外の何者でもない。

どんなに難解な課題であっても、インプット→アウトプットの流れを踏むと、必要な知識を得るだけでなく、自分なりではあれ、生きた知恵を身につけることが可能になる。

 

(4)以降は段階的にアウトプットの度合いが強くなり、理解すべきことも、覚えるべきこともすべて、自然に身についていくはずだ。

(6)まで到達すると、身についた知識を知恵に変える段階でもあり、勉強をしている感覚はなくなる。

教えることが最高のアウトプットであることを実感できるはずだ。

 

そして、アウトプット(出力)したモノは、お金では決して手に入らない自分の財産になる。

この感覚がたまらなく好きだから、自分は勉強することが辞められないでいる。

(この続きです)→→→https://ameblo.jp/twingogo/entry-12671081240.html

 

 

Mは頑張り屋さんだった。

同じく就職氷河期のなか、大手エアラインの地上職を経験し、彼女なりの紆余曲折を経て、自分と同じ会社で彼女の天職であるグランドスタッフをしていた。

思い出すだけでも憂鬱な気分になるその時代に希望する職業に就くことができたのは、彼女の誰にも負けない強い熱意と、学校での成績が評価されたからだろう。

それを「運が良かっただけだよ」と、やんわり否定する彼女の中に見え隠れする謙虚な人格に、自分はいつの間にか惹かれていった。

 

パイロットという職業がすぐそばにありながら、そこは自分の手が届かない、最も遠い世界でもあった。

気持ちを振り絞って、踏み出そうとするほど苦しくなり、胸が痛かった。

そんな透明な自分にMがかけてくれた一言は、今でもしっかりと脳幹にまで刻まれて、死ぬまで忘れることはないだろう。

「ここで諦めたら一生後悔するよ」

 

それから約1年後、自分は別の航空会社の副操縦士として発令を受けたその日に、Mと入籍した。

なりたかった自分になれた。

 

 

(続く)

 

TWINGOは小さいながらも4ドア(業界ではハッチバックも入れて5ドアと呼ぶらしい)。

後席は、成人男性が乗るには窮屈すぎる空間だけど、後席にドアがあるのとないのでは、使い勝手がまったく違う。

 

例えば荷物。

助手席に乗せきれないサイズのものを後部座席に置く場合など、2ドアタイプだと、前席シートのわずかな隙間をぬってくぐり抜けさせるテクニックが必要になる。

こんなちょっとしたストレスも、後席ドアがあることできれいさっぱり解消。

地味にうれしいポイントだったりする。

 

そして今日、TWINGOに秘密の収納空間を発見した。

それは後席シートの下。すこしばかりの荷物を片付けられる空間があるじゃないのw

説明書には、こんな記述あったっけ?

かつて体重増加に苦しんだ時期があり、会社から支給されたスラックスが履けなくなるほどだった。

そして、パイロットの制服も喪服も、真っ黒なのは同じだからという理由で、サイドアジャスターのある喪服のスラックスを履いていた。

 

実は家庭の事情から単身赴任をしている。

40を過ぎての独り暮らしを始めて、半年が過ぎた。

 

自分で言うのも不自然だが、男の独り暮らしにしては規則正しい生活を送っている。

休日であってもアラームで目覚め、必ず朝食を摂る。

朝食といっても、牛乳に浸らせたコーンフレークとコーヒーだけ。少しばかり頑張りが必要と思う日には、これに既製品のフルーツパックをつける。それだけ。

 

昼食は、正午を挟んだフライトがある日は、会社が用意してくれるクルーミールを食べる。素人目にも栄養バランスは考慮されているメニューで、500〜600キロカロリーのヘルシー弁当だ。これをフライトの合間か、飛行中に食べる。

休日には昼食を摂らない習慣がついてしまった。

 

夕食は、午後6時を挟むフライトがある日は、会社が用意してくれる軽食を摂る。

おにぎりやゼリードリンク、パックジュースの類。

 

お昼も夕方もフライトから離れている時だけ、外食に頼っている。

料理がまったくできないわけではないが、自炊することは滅多にない。

 

体調は極めて良好。

健康的な痩せ方をしてるね、と人から言われることが増えた。

そして、履けなかったはずの制服スラックスが履けるようになっていた。

しかも、ずいぶんなゆとりというおまけ付きで。

 

妻や娘の手料理が食べられないのは本当に寂しいけど、ひとつの悩みは解消できた。

 

今悩んでいるのは、急激な視力の低下だ。

生まれてからというもの、両眼2.0を切ることがなかったのに、この頃遠くの文字が読めなくなった。

人に相談すれば、誰しもが加齢が原因と言う。

そう言えば、戦闘機パイロット出身の同僚がいるが、その人も飛行中はメガネが必要になりつつあるという。命懸けの鷹の目を持った人種でさえそうなのだ。年齢には勝てないらしい。

 

航空身体検査基準は結構シビアだ。

普通の生活送るにはどうってことない視力低下でも、要メガネになる。

自分もそう遠い未来ではなさそうだ。

自分が民間の乗員養成施設を修業した当時は、超がつくほどの就職氷河期だった。

当然、選ばなくてもパイロットの就職があるはずもなく、さまざまな仕事を経験しながら機会を待っていた、何度も潰れそうになりながら。

 

そういった生活を続けて数年後、27歳の時に、とあるエアラインに地上職として就職することができた。パイロットの資格があり、その知識が活かせるのならばということで、自分なりにのびのびと働いていた。

 

やがて世間は、少しづつながら景気の回復を見せはじめ、当時の職場でも副操縦士候補者として新人パイロットの募集をかけることとなった。

そしてパイロット免許を持っていて、その会社のことを分かっているはずの自分には、声がかかることはなかった。

 

採用担当者から漏れてきたその理由は、社内での職種異動は制度化されてないからということだった。つまり自分の能力どうこうでないということで、以前と変わらず自分なりに楽しみながら仕事をこなしていた。

 

やがて採用試験を勝ち残った数名が入社してきた。

アパートに帰ってひとりで泣いた。

言葉にできない惨めさを感じたのは、その日だった。

27歳にもなって、急に母親の声が聞きたくなった。

話を聞いてくれたあと、最後に「休養しなさい」と言ってくれた。

 

翌日、人生初の有給休暇というものを取得した。

何もせずにベッドに横たわっていると、色々なことが頭に浮かび、そして消えていった。砂に書いた文字が波に流されて消えるイメージだった。

 

気づいた頃には涙は枯れ果てていて、仕事仲間から食事会の誘いがあった。

休養してなければ、断っていたと思う。

そこで出会ったのがM、後に妻となる女性だった。

 

 

(続く)

 

 

つい最近1万キロ達成したTWINGOも、あれよあれよと1万5千キロに。

直線距離にしたら、余裕でTWINGOの故郷パリまで到達するじゃん! なんて何の意味もないこと思いつく始末。

 

TWINGOを選んだ理由は、何としてもルノーがいい!とか、フランスかぶれだとか、まったくそんなことはない。

 

もともとクルマに興味が薄く、前に乗ってたクルマは広島出身だからという理由だけで選んだMAZDAのAXELA。

15年付き合ったそいつが機嫌を損ねて、さあどうしようと考えていた時、偶然街で見かけたのがTWINGOだった。

 

TWINGOが持つキュートさと鈍臭さの中間加減が、なんとなーく物理的にも心理的にも自分のスタイルにピッタシじゃん! なんて変な勘違いをしてしまったのが、TWINGOを選んだ大きな理由。

 

とはいえ、いわゆる外車にカテゴライズされてる以上、周囲からはこう言われがち。

 

「さすがパイロットだもんね、お金あるもんね。」

 

いやいや勘違いされても困る。

確かに職業別収入ランキングでは、航空機操縦士は毎年ダントツの1位を誇ってるけど、あれはアレ、これはコレ。

まずは自分のプロフィールを見てほしい。

ドがつくほどのローカルエアラインパイロットが、そんなに稼げる訳が無い。

 

そもそも最近の国産軽自動車、オプションやら何やらハイグレードなものに仕上げると、軽く200万はする。実はTWINGOとそう変わらない。

 

大昔にマルセイユでレンタルしたTWINGOは、車種ランクでは最下位のスーパーエコノミー。フランスでは大衆車のTWINGO

 

乗り心地が優れているわけでもないし、とにかくエンジン音がうるさい。

オートクルーズだって、下り坂では簡単に10キロ・20キロオーバーするテキトーさは、さすがフランス製としか言いようがない。

 

そう偏見たっぷりに断言するのにも、ちゃんと根拠はある。

自分が乗ってるフランス製飛行機のオートパイロットは、ハイテク気取ってるくせして、実はあんまり賢くないからw

 

なーんて欠点ばっかり並べてるけど、やっぱりTWINGOは可愛くて楽しくて嬉しい存在。

たった半年で15000キロも乗り回したのは、やっぱりそういう理由かな。

プロのパイロットになるためには、勉強すべき内容が本当に多岐に渡る。

 

なのでいつの時代にも、勉強の方向性を間違えて底なし沼にハマってしまう訓練生が存在する。

そう言い切れるのも、まさに自分が底なし沼で溺れかけた経験があるからだ。

 

例えば滑走路には、水はけをよくしてブレーキ効果を得るために、グルービングという溝が彫られている。

グルービングについては、その構造や施工法、摩擦係数などの物理的な理屈なんかは、ひと通り教え込まれるので、訓練生たちは勉強する。

 

当時は区別することができなかったけど、本当に覚えるべき内容はそんなことじゃない。

パイロットにとってグルービングは、その有無がどう運航に影響し、どういうメリットやリスクがあるのか知ることが重要なのであって、施工法や設計などは、別のプロに任せればよいのだ。

ところが自分は、それらをすべて覚えようと必死になっていた。何が最優先事項なのかが、まったく解っていなかったからだ。

 

グルービングだけではない。

飛行機のシステムや関連法規、気象理論や医学的知識などなど、教科書・参考書や授業で習った内容をすべて覚えようとしていた。

こんなの無理だって解っているのに、文字通り寝る間を惜しんでいた。

受験勉強の延長線上のどこかに、取り残されていたらしい。

 

勉強=暗記。勉強はつらいなあ・・・。

そう信じこみ、ある意味無駄な知識を詰め込んでいることに気付かなかった自分にも、とうとう試験の日がきた。

 

そして国土交通省のチェッカーに、講評でこう言われた。

 

「たくさん勉強しているのは分かります。ただし知識が繋がっていないところがあります。MUST to KNOWBETTER to KNOWをしっかり区別して、考えるパイロットになってください。」

 

スレスレの合格はいただいたものの、この日を境に自分は勉強方法を根本的に見直すことにした。

考えに考え抜いた結果、パイロットに求められる知識は、自分が思うに以下の2種類に集約される。

 

 ・何が起きても乗客乗員を地上に連れ戻すために必要な知識

 ・何かが起きた時、プロとして説明責任を果たすために必要な知識

 

この2つに直結する知識のみを、自分はMUST to KNOWに位置付けて、自分なりの考察を付け加えることにした。

 

そしてそれ以外の知識はすべてBETTER to KNOWとし、ノートにまとめるだけでよしとした。最悪、マニュアルのあの辺に書いてあったよな・・・、程度の扱いだ。必要な時にあらためて調べることができれば、それで充分。

 

パイロットが暗記すべき知識は、実はそんなに多くないことに気付くと、余った脳のキャパである変化が起きた。勉強を勉強と思わなくなったことだ。

 

もちろん正しい知識を積み重ね、アップデートし続けることを勉強と呼ぶのだろうが、そこに自分なりの言葉で再構成して考察を加えることは、カッコつけて言えば自分のプロとしての哲学を作り上げる過程とも言える。

その内面的報酬は大きい。

 

パイロットという職業が好きになったのはその頃だ。

今の職業をひっくり返したいとか、現状を打破したいという気持ちがあるわけではない。
でも、もし今から30年前に戻れるとしたら、とにかく勉強をやり直したい。
 
30年前といったら、自分は中学生だった。
 
自分も通った公立の中学校は、社会の縮図と表現されるらしい。
もちろん地域性が強く反映されるけど、勉強好きな子・嫌いな子、スポーツ好きな子・嫌いな子、、、色々なタイプの人間がごちゃまぜになっているのが公立中学校ということらしい。
 
それが高校進学という社会的振り分けがなされると、そこはもはや社会の縮図ではなくなる。学力や能力が似通った集団となり、その後の人生の多くを方向づけるのが高校生活ということになる。
 
そして中学卒業時の能力によって振り分けれた集団は、その能力に応じた教育しか受けられないという理屈が成り立つ。
よって高校のレベル次第では、世間で言う一流大学への進学は、本人が思い直していくら後悔しても、それは本人の努力の向こう側にあり、限りなく不可能となる。
 
つまり高校卒業後の人生は、中学生時代の努力にかかっているといっても言い過ぎではないだろう。
 
その中学生時代、自分はまったく勉強してこなかったw
進学先も中途半端な進学校、気付くのが遅かった。
 
自分はずいぶん回り道をしてパイロットになった。
あまり知られていないけれど、パイロットという職業は、学歴(より正確に言えば、どの大学を出たか)がほとんど重視されていない。
機長になり、会社で若手を指導する立場になって強烈に解ったことは、パイロットに必要なのは学力でなく、正確な優先順位を付けられる能力と、思い切った取捨選択ができる合理性、そして余計なプライドを持たないということだ。これらについては別の機会に譲る。
もちろん、世間で言う高偏差値大学出身者がパイロットに不向きなわけではない。彼ら彼女たちは、正確な優先順位を付ける能力と、思い切った取捨選択合理性を身に付けているからこそ、その学歴を築くことができたはずで、その意味では優秀であることは間違いない。
ただし彼ら彼女たちは、そのプライドを捨てられるだろうか?
 
パイロットの仕事は地味。
国内線・国際線・飛行機や会社の大小問わず、決められた路線を決められた時間に飛ぶこと。それだけ。
勉強することは山のようにあるけれど、そこに創造性は乏しい。
底辺をうろつきながらパイロットになった自分でさえそう思うのだから、高学歴者のプライドはそれを許容できるだろうか?
 
天才は生まれつき。秀才は本人の努力の結果。そういう言葉がある。
もともと医師でパイロットになった人間を何人か知っている。
そのうちの1人は、司法試験に向けて勉強中と人づてに聞いた。
この人が天才なのか秀才なのかは解らないけど、はっきり言えることは、その人は勉強がもともと好きで、高校は超進学校だったということ。
 
30年前、自分の可能性をもっと広げておくべきだった。
自分は成り上がりのパイロットでしかない。
 
 
(写真)
帰ってきたiPadワークデスクはまだ買っていない。
 

 

自分にとってiPadは、仕事や勉強に絶対必要なもの。
それこそいろんな資料やアイデアが詰まった、芸人さんのネタ帳くらい大切なもの。
 
そいつが今使えない状態。。。
わずか数十センチの高さから落下しただけで、画面に虹色ストライプが入り、あれよあれよと言う間に画面が死んでしまった。
相当打ちどころが悪かったようで、安物の簡易カバーじゃ守りきれなかった模様。
 
この際、少しだけでもデジタル離れしてリフレッシュするのもいいんじゃない? との声も聞こえてくるけど、修理見積もりが5万円弱という金銭的ダメージも相まって、凹みまくり。
 
ただいまAppleの配送修理依頼中。
 
というわけで、まな板化したiPadに、ツボ押し専用棒になったApple Pencilが残された。
なんもできね。
 
 
(写真)
殺風景な玄関で、早く早く!と、宅急便の集荷を待ちわびる図。
 

 

ミニマリストには足元にも及ばないけど、モノを減らして身辺も心もシンプルに生きたいと願い始めたのはいつの日か、、、気づけばそれは定着してしまった。
 
持つモノ、着るモノ、食べるモノ、、、これらすべて自分の定番が決まりさえすれば、煩わされることが無くなる。
そして、その他の本当に大切なことに時間を多く使えるようになった。
モノを多く持つこと=幸せではない。これは真理だと思う。
 
それでも今、欲しいモノが2つある。
ひとつは今風に言うワークデスク、、、勉強に使う机が欲しい。
今うちにあるのは、15年ほど前に購入した、ずっしり丈夫なカフェカウンター。
 
今の学生たちと変わらず、自分もかつてはカフェで勉強するのが定番だった。
でもうちの近所にゃ、こじゃれたカフェなんぞ一軒もない。
じゃあ、おうちカフェを作ろう!そしてそこでコーヒーの薫り楽しみながら勉強しよう♬ 
なんて40過ぎたおっさんに似合わないキモいことを考えて、カウンターチェアなんか追加で買ってはみたものの、落ち着かないことこの上ない。
中途半端な体型の自分には、勉強に不向き。疲れる。
 
そもそもおうちカフェなんぞこじゃれた空間をそれらしくするためには、こじゃれたモノモノが付きもの。これは自分のポリシーに大きく反する。
 
というわけで、そう遠くない未来に、カウンターとチェアは手放して普通のワークデスクにする予定。
 
もうひとつ欲しいモノ。
それは家族と過ごす時間。 
チャイナウイルスのせいで会えない日々がもどかしい。
 
 
(写真)
殺風景な自分の部屋。
手前にはソファベッド。これもモノを減らす工夫だったりする。