日本にいるときにツインに関する話をお友達としていて出てきた表現がなかなか面白いので、忘れないうちにシェアしておきます。
私はこのブログで、ツインは最後に分離した魂という表現をしていますが、ヴィジョンで伝わっているイメージとしては、ふたつの別々の魂ではなく、部分的に役割分担を担った「ひとつ」という感じです。
例えば、2本の足が身体から延びて、それぞれの靴に入っている。ちょうどそんなイメージです。それぞれの足は、別々の靴に入っているから、体験も異なります。もしかしたら片方はものすごくきれいにケアされて、ペディキュアでピカピカかもしれない、けれどもう片方は水虫……ということもある。←これ、友達と話していたときのまんま伝えてます。異論もあるかとは思いますが、そのまま進ませていただきます(笑)
靴にはサイズもあるし、ヒールの高さがどうとか、水虫の薬が肌に合うとか合わないとか、蒸れるとかにおうとか、もういろんな問題が山積みなんですね。靴やソックスを取り替えるなど、いろいろ試行錯誤するわけです。
2本の足は、向かっている方向は同じです。そして、それぞれの体験はそのまんま体全体の体験ともなります。2本の足が向かう先の景色を、身体は見ることができるし、2本の足の痛みや悦びを身体もそのまま体験してますね。
ツインもちょうどそんな感じで、ふたりの体験は別々でも、魂は両方を体験している。そして成長しているわけです。右足は前に、左足は後ろに進めないように、ツインも別方向には進めないようになってる。少なくとも出逢った段階で、それは顕在意識にもはっきりわかるんじゃないかなと思います。
ちょっと覚書きっぽくてすみません。が、そのとき咄嗟に出てきた水虫とペディキュアという表現がわりと気に入ってるので(笑)、紹介してみました。もちろん、比喩ですからね。必ずしも、ツインの片方が水虫だって言ってるわけじゃないですからね~!!
ただ今となってみると、例えば2本の足が左右対称の形で、多少のサイズの違いがあれど、形や肉付きが似ているところなんかも、ツインの容貌やエネルギーの絡み方と重なる部分もあります。
まあ、箸休め程度に大らかに受け止めてくださいませ。
With Love xoxoxo