今回から本題の呪いに関する講座になります。
ただし、「呪いとは全く別の内容」に感じるかもしれません。

だからこそ、視点や価値観が変わるきっかけになればと思います。

まず、「呪い」を理解するために、たとえ話をします。


【たとえ話】
道を歩いていたら「お金」が落ちていました。
銀色に輝くコインです。
「あ、お金が落ちている」と思い、手に取りました。
落ちていたのは『お金(硬貨)』ではなく、『ゲームセンターのコイン』でした。
「なんだ、ゲームセンターのコインか……」とガッカリして、コインを捨てました。


コインを再び捨てるのは問題かもしれませんが、あくまでも「たとえ話」です

この「たとえ話」で何をお伝えしたいのかといいますと、「価値のあるもの」と思っていたことが、「ただの偽物だった」と気づいた瞬間に、「無価値」になります。

たとえば、子供時代から「価値のあるもの」と周囲から教え続けられていたことが「実は呪いだった」と気づく、もしくは「なんだ、呪いだったのか」と判断した瞬間に、「呪いは無力(無価値)」になります。

世界には様々な呪いがかけられています。
もはやどうしようもないほど「ひどい状態」です。

そのため、「全ての呪い」を解除するのであれば、「現在の世界(人間社会)を破壊する必要がある」と思います。

なぜならば、人間社会は「嘘」と「虚像」の集合体でしかないからです。

しかし、その人それぞれが「呪い」に気づき、見破ることができるようになれば、呪いの効果が「無意味」になります。

つまり、その人それぞれが「自分の意思で呪いから逃れることができるようになること」が、ひとつの解決策だと思います。

ただし、周囲の人たちは「自分自身で呪いに気づく」まで、「世界の呪い」から生涯逃れられません。
なぜならば、「呪いに囲まれた世界を生き続ける」からです。

ですから、自分では何も考えずに、周囲から言われた通りのことを真剣に守る人は、はっきりいますと「不幸な呪いに生涯かけられたまま」になるでしょう。

ちなみに人間社会では、「人間社会に上手に合わせる事ができる人」を求めています。

それは「素直に従うコピーロボットのような人間を求めているだけ」のような状態です。

たとえば、大人たちは「個性が大切です」と教えているのに、他の人と違うことをすれば「異常者扱い」をします。
「自分なりに個性を発揮しただけです」と正直に伝えれば、「みんなに合わせなさい」と注意されます。

つまり、結局「個性」は殺されます。

ひどい話ですが、人間社会では「当然」のようになっています。
とても異常な状態ですが、特に日本は「協調性」を重視しますので、「周囲に協調できない人は悪」と判断しがちです。

それは「不幸な呪い」にかけられる人を増やし続けているだけですが、多くの人は「無自覚」だからこそ厄介です。

そのような人たちの決まり文句は「あなたのため」や「あなたのことを思って」などですが、その発言が「もはや呪い」です。
なぜならば「相手の意思を尊重していない」だけであり、「ただの押しつけ」でしかありません。

そして、もし反論すれば「私は真剣にあなたのためを思っているのに」などと怒りだす人もいます。

本当に相手のことを考えるのであれば、「まず反論を受け入れるべき」です。
人間ですから様々な意見があることは当然ですし、「生きている人間だからこそ当たり前」です。

しかし呪われた人間たちは、「自分自身が呪われていることに気づかない」からこそ、身近な人たちを不幸な呪いに巻き込もうとします。

また、それを「正義の思いやり」と信じているのであれば、もはや手に負えません。

反論する人間を「悪の存在」とみなし、「人間社会から排除」もしくは、「人間社会に洗脳」しようと必死に襲ってくるからです。

映画『マトリックス』では、監視システムのことを伝えていましたが、現代の人間社会は、人間社会に刃向かおうとした瞬間に、「社会の敵」と判断して、様々な人間が『刺客(エージェント)』として襲ってきます。
「人間社会への構成プログラム」が自動的に働くようになっているからです。

たとえば警察の職業をしている人は、「仕事」として人間社会のルールに背く人を捕まえようとします。
「人間社会への構成プログラムが自動的に働くようになっている」といえるでしょう。

そして、他の職業の人たちも、「仕事」として「人間社会への構成プログラム」を守らせようとしてきます。
また、多くの人は「人間として当然のこと」と信じて活動しています。

「それはなぜなのか?」といえば、「人間社会というシステム」に完全に洗脳され、「奴隷のようにシステムに従っているだけ」ということに全く気づいていないからです。

それは人間社会に属する人間の大半ですから、「多勢に無勢」です。
「個人 対 人間社会全体」ですから、基本的には戦っても必ず負けます。

ですから、個性であり「自分自身」を大切に守るためには「孤独に逃げる」もしくは「孤独に隠れる」しかありません。

 

ちなみに「信号を守る」、「横断歩道を渡る」なども、人間社会が作ったシステムのひとつにすぎません。

 

安全のために交通ルールは守るべきかもしれません。

しかし「交通ルールそのもの」が、「人間が地球上に勝手に作ったルール」でしかないということです。

 

たとえば、大自然に囲まれた山の中には、「信号」や「横断歩道」など存在しません。

 

誰もいない森の中を歩いていた時に「信号機」が設置されていた場合、信号機を律儀に守る人は「頭が悪い」と思います。

 

誰もいない山の中を歩いていた時に「横断歩道」があった場合、あえて横断歩道を渡る人は「頭が悪い」と思います。

 

なぜならば、誰もいない場所で、「人間が作った交通ルールを守る必要性など全くない」からです。

 

屁理屈を言っているようですが、そもそも地球上には信号機や横断歩道など存在していません。

 

規則など何もなかった「自然界」を、「人間の住みやすい場所」にするために人間が壊し、さらに、人間が勝手に作った「ルール」と「システム」で占領しているだけの状態です。

 

これは「事実」を伝えているだけですが、全く気づいていない人が多いかも知れません。

 

天伴は山の中を歩くことが多いですが、人間社会と距離をおくほど「いかに人間社会が狂った状態なのか」を実感しています。

 

ただし、人間社会においては、基本的に人間社会のルールを守るようにしています。

 

なぜならば、「人間社会への構成プログラム」が監視していますので、下手な行動は「命取り」になるからです。

たとえば、警察に逮捕された場合、「法律」で身動きがとれなくなります。

 

法律も人間が作ったシステムでしかありませんが、現代の人間社会では「法律が最強」なので、とても厄介です。

 

しかしながら心の中では「法律などくだらない」としか思っていません。

「そもそもこの世に法律など存在しない」と知っているからです。

 

 

ちなみに映像では「人間社会(システム)の方向性に従わないとどうなるのか?」というメッセージを伝えています。

 

主人公は真っ直ぐ進むだけですが、「人間社会(システム)と真逆の方向」です。

また、「システムと逆に進む」ということは、「全ての人間たちが進む道の障害になる」という覚悟が必要です。

だからこそ、通行人は容赦なく、主人公にぶつかってきます。

そして、目立つ存在には、警察の目が光ります。

 

それが、盲目的にシステムに従っている人間たちの「仕事(監視)」だからです。


たとえば、あなたを含めて100人の人間がいるとします。

あなたは「現在の人間社会は生きづらいだけで、何かおかしい」と気づきはじめました。
しかしあなた以外の99人は「人間社会を守ることは人間にとって正しいこと」と信じていたとします。

この時に、あなたの意見に賛同する人は「誰もいない」ということです。
あなた以外の99人は、あなたのことを「人間社会を乱す反乱分子」と判断するでしょう。

そして、あなた以外の99人は「あなたは間違っている」と指導、攻撃、洗脳、排除などあらゆる手段で、あなたの「心」を人間社会という「牢獄」に閉じ込めようとしてきます。

その時にあなたができる選択は「素直に従う」か「自分を信じて逆らう」のどちらかですが、いずれにせよ「戦っても負ける」ので、「洗脳に従う」か「逃げる」しかありません。

もしあなたが必死で戦い、「99人を倒すことができた」としても、人間社会には「数十億人」います。
今度は他の人たちが、あなたを狙ってくるだけです。
残念ながらどうしようもありません。

ちなみに、洗脳されることを選べば「呪い」が続きますが、人間社会は「あなたの戻り」を優しく出迎えてくれるでしょう。
そして「元通りの生活」に戻るだけです。

しかし、「人間社会から逃げる道」を選んだ人は、人間社会の異常性に気づきはじめ、「人間社会という呪い」から少しずつ覚めていくと思います。
いままでとは「視点」と「価値観」が変わりますので当然です。


ただし、「理解をしてくれる人は周囲にいない」かもしれません。

そのため「孤独な道」になる可能性が高いです。

余談ですが、世の中で「天才」と呼ばれる存在の多くのは、人間社会では「変人扱い」されながら活動していると思います。
「理解してくれるレベルの人」が周囲にいないので、仕方ないことかもしれません。

 

ただし、人間社会で「成果」をあげたり、「認められる」ようになれば、変人扱いが「天才扱い」に昇格します。
 

しかしながら、基本的には「自分自身」を信じて、ひたすら孤独で活動していると思います。

たとえば、天才に対して「人間社会に合わせなさい」という呪いをかけたら、天才の足を引っ張るだけです。

そして「天災を凡人に厚生する道になるだけ」でしょう。

 

ですから、「私は私」と信じて、自分自身を信じて活動することが、とても大切なことだと思います。

 

現代の人間社会は、「人間社会そのものが呪い」です。

「自由に活動できる」と信じている人も多いと思いますが、「制約の中で与えられた自由は、見せかけの自由でしかない」ということに気づくべきでしょう。

 

ちなみに「反社会的な人間を作るための講座」ではありません。

「本来の人間としての在り方に戻るための講座」です。

 

そのためには、まず「洗脳という呪いにかけられている」ということに気づくことが大切だと思います。