火災後から様々な人からご連絡いただきました。
また、多くの方からご支援もいただき、本当にありがとうございます。
生活に関しては、涼華さんのご両親のおかげで特に問題なく過ごさせていただいています。
とても穏やかな毎日です。
 
とりあえず今後の活動は全く未定の状態です。
しかし僕の人生は予想外の展開が多いですし、流れは天に任せるようにしています。
 
ちなみに、あえて秘密にしていたことがあります。
また、あまりにも馬鹿げた話なので、この話は涼華さんだけにしか伝えていませんでした。
 
もし、周囲に伝える機会があるとすれば「世界がよくなったことを実感した時」と思っていたからです。
 
だからこそずっと黙っていたのですが、突然の出来事で活動が休止状態になりました。
いままでのように活動できなくなったこともあり、活動の裏話をお伝えいたします。
 
ちなみに僕は「神様や有名人の生まれ変わり」などの話を好んでいませんし、あまり信用していません。
 
また、前世などに関しても半信半疑です。
「前世は存在しない」とは断言できません。
しかし「前世のようなものがあるかもしれない」という程度にしか思っていません。
そもそも前世が「凄い人」だったとしても、現在の自分が「ごく普通の一般人」であれば、「前世が歴史上の有名人だったとしても、だからどうしたの?」になってしまいます。
 
たとえばスピリチュアル系では「前世が天皇だった」や、「前世が天照大御神だった」など名乗っている人がたまにいます。
本人は本気で信じていると思うのですが「ただの痛い人」にしか思えません。
また、もし仮に前世の話が「事実」だったとして、現在の自分は「全くの別人」ですから、基本的に意味がありません。
 
ただし、前世の影響が現在の自分にも何らかの影響を及ぼしている可能性は否定できません。
前世の記憶を鮮明に覚えている人も世界各地に存在していますし、前世の記憶を甦らせる催眠療法などもあるからです。
 
そのため、「全く意味がない」とはいえませんが、最も大切なことは、現在の自分が今回の人生で様々なことを経験して、何を学び、どれだけ成長できるのかだと思います。
 
ちなみに「生まれ変わり」や「前世」などと似たような話で「救世主」のような話もあります。
 
人類の歴史を振り返りますと「(自称)救世主」が何人も登場しています。
特に多いのは「私はイエス・キリストの生まれ変わり」と名乗る人かもしれません。
また、「仏陀の生まれ変わり」や、宇宙神の生まれ変わり」などと名乗る人も多いです。
 
本人が名乗ることは自由ですが、やはり「痛い人」にしか思えません。
そのような人たちは新しい宗教団体を独自で立ち上げる傾向が強いようですが、なぜか騙されてしまう信者も多いことが不思議です。
 
そもそも救世主という存在は「個人(人間)」ではありません。
そのため、特定の人間が「私が救世主」と名乗れば、その人は間違いなく「偽者」です。
 
なぜならば、「救世主とは何か?」が根本的に理解できていないので全くお話になりません。
そのような人が人の上にたてば、独裁者になるだけでしょう。
 
そして、人類の長い歴史を眺めれば理解できますが、どれだけ優れた王様だったとしても、遅かれ早かれ必ず滅びます。
その原因は「人間だから」です。
 
つまり、人間が王の座に座ろうとすれば、争いの歴史が繰り返さるだけあり、調和された世界は実現しません。
 
「それでは救世主の正体とは一体どのような存在なのか?」ですが、「愛そのもの」になります。
 
世界をまとめる王様がいるとすれば、その存在は人間ではなく「愛そのもの」だけです。
 
だからこそ、「愛の王国(愛の世界)」は、愛を大切にして、愛のもとに集う国民(人間)によって作りあげられます。
 
ちなみに「神(神様)」を王様にすることも、ひとつの方法かもしれません。
 
西洋の概念では、到来を待ち望んでいる世界のことを「神の王国」と表現している場合もあります。
神の王国は、神を信仰し、神のもとに集う国民(人間)によって作りあげられます。
 
そのため「神」と「愛」の違いは言葉の表現の違いだけであり、「神の王国」と「愛の王国」は思想的には同じです。
 
ただし「神」と表現した場合、問題があります。
その問題とは「神とは一体どのような性質なのか?」という点です。
 
世界各地には「様々な名前」の神様が存在しますが、「性質」も様々です。
一部には悪神や邪神なども存在します。
 
ですから神様の全てが素晴らしい存在というわけではなく、重要なのは「信仰する神は一体どのような性質なのか?」です。
 
神の性質が「愛そのもの」であれば、愛を信仰することは、「神」を信仰することと同じになります。
 
つまり、神の王国も、愛の王国も重要なのは言葉の表現ではなく「どのような性質の王国なのか?」であり、理想的な世界の実現を願う人たちによって、構築されていきます。
 
冷静に考えれば理解できると思いますが、人間が王様になれば、いつか必ず滅びます。
 
まず、現実的な問題として、人間には肉体には必ず寿命があるため、「永遠の統治」は絶対に不可能だからです。
人間として活動するかぎり、肉体的な死からは逃れられません。
 
そして、世代交代のために後継者を作ったとしても、後継者は「別人」です。
たとえば、王様の子供だとしても、王様とは「性質(性格)」が違います。
その人それぞれに個性の違いがあるからです。
 
そもそも、どれだけ優れた王様だとしても、人間ですから何かしら「欠点」があると思います。
誰でも長所と短所を持っていますし、生涯をかけて、学びながら成長していく必要があります。
むしろ完璧な存在であれば、わさわざ人間として活動する必要がありません。
 
そして、特定の個人が強い権力を持てば、自分の「欲望」を満たす方向に走る危険性があります。
また、強い権力であれば、その権力の座を奪おうとする人間も出てきますので、権力争いの問題も発生するでしょう。
 
ですから、世界の王は人間がなるべきではありません。
 
むしろ人間が王様になろうとするからこそ、「いつまでたっても調和された世界は実現しないまま」といえるでしょう。
 
そのためにはどうするのか?
 
人間ひとりひとりが、愛を求め、愛に従い、愛を繋ぎ、愛を学ぶことです。
 
簡単に表現しますと「常に愛を大切にする」ということです。
 
そして「愛」が王であれば、愛を大切にすることで、「王様」と「国」を最も大切にする国民となれます。
 
だからといって王様は「国民は王に従え」などと強制するようなことは絶対にありません。
個人の自由意思が最も尊重されるからです。
そして、愛を大切にする人は、「自主的」に愛を大切にするだけであり、自由に活動できます。
 
さらに素晴らしいことに、「愛」が王であれば、国も王も国民も「一体(ひとつ)」になります。
階級や格差などありませんし、平等な世界として人間社会も構築されます。
 
そもそもこの状態こそ「本来あるべき世界の姿」です。
 
しかし特定の人間が王様になろうとするからこそ、王と国民は支配関係となり、国民の自由は権力者に奪われます。
そして権力者は、権力の座を守るために必死となり、「平等な世界を最も好まなくなる」はずです。
なぜならば全てが平等になれば、「権力は無意味」になりますし、他者の上に立てなくなるからです。
 
理想的な話をしているようですが、理想ではなく、むしろ「本来あるべき世界の姿」から離れてしまっている人間社会が「歪みに歪んだ異常な状態」といえるでしょう。
 
ですから、本来あるべき姿に戻らなくてはいけません。
 
そのためには、まず自分自身です。
 
「愛の溢れる世界」であり、「自分も家族も生きやすい世界」を願うならば、まずは自分自身が愛を大切にすることは当然です。
 
たとえば「この世界には愛を感じられない」と思っている人は多いかもしれません。
 
その原因が人間関係であれば、周囲の人に愛を求めるのではなく、まずは「自分自身」が愛の存在になることを目指すべきです。
 
「誰か」が世界を変えてくれることを願うのは、ただのご都合主義であり、まずは自分自身です。
 
そして、自分自身が変われば、人類全体の中で「ひとり」は確実に変化します。
 
「たかがひとり」ではありません。
 
個人の集合体が人類全体だからです。
 
ですから、まずは個人(自分自身)が変わろうとしないと、何も変化しません。
むしろ個人が少しでも変化すれば、人類全体に変化が起こりはじめます。
 
たとえば、「善いことをすれば世界は善くなる。悪いことをすれば世界は悪くなる」ということは、子供でも簡単にわかることだと思います。
 
「善悪」はわかりやすい表現ですが、大切なことは善悪二元論からの判断ではなく、「愛」と「思いやり」です。
 
「そこに愛はあるのか?」というシンプルな問題が凄く重要であり、「愛の存在」を判断の基準にすれば、世界は必ず変わっていきます。
 
そして、愛と思いやりを増やせば、世界に愛と思いやりが必ず増えていきます。
 
これは理想論などではなく、「当たり前」の話です。
 
しかし、現代社会では愛と思いやりが薄れているかもしれません。
その原因は、人間が愛と思いやりよりも、我欲を満たすことを重視するようになっているからだと思います。
 
話を戻しますが、愛は肉体的な寿命もなく、欲望のために権力を使わず、権力争いもしません。
 
そして愛は「調和された永続的な繁栄と成長」を国民と世界にもたらします。
 
ですから王様が「愛(愛の存在)」であれば、王は国民を常に愛し、国民は常に愛を愛するようになり、自然と繁栄していく世界になっていきます。
 
王と国民が相思相愛の関係の国こそ「理想的な国」ということは、おそらく誰でもわかると思います。
 
そして、愛での繋がりであれば、お互いで裏切りあうことありません。
 
なぜならば「愛」が王であれば、王は絶対に国民を裏切りません。
常に国民を愛しているからです。
 
もし裏切るとすれば国民の側ですが、その場合は「裏切る」のではなく、「愛から離れる」だけであり、処罰などは一切ありません。
ただし、愛から離れるということは、自分自身の選択によって「愛から離れる」わけですから、愛に戻ることも自由に選択できます。
また、いつでも戻れます。
 
「私は愛を大切にする」と選択して、愛を大切にしながら活動すればいいだけだからです。
 
この単純なことを、人類であり、人間社会はいつまでも気づかないからこそ、争いはたえず、破壊が続き、破滅の道に進んでいます。
 
その原因は「人類が愛から離れる一方だからこそ」です。
 
そして人類は人間本位の考えで、人間独自の世界を作ろうとするからこそ、「自然」との調和が失われ、大自然を破壊し、人間同士での争いが耐えません。
 
ちなみに最近は宇宙開発に向けて様々な動きが増えていますが、地球上の様々な問題を解決せずに、宇宙に手を出そうとすることは愚の骨頂であり、「まずは地球」だと思います。
また、地球外に移住する計画もあるようですが、人類は地球上の破壊に飽きたらず、さらに宇宙を壊しにいくだけのような状態だと思います。
 
さらに『AI(人工知能)』の問題も騒がれています。
愛を大切にしない人間が、人間の知能を遥かに越える存在を作ろうとすることは、凄く危険なことだと思います。
 
とりあえず、人類が愛から離れれば離れるほど、世界は破滅の道に進む一方だと思いますし、人間の暴走が加速していきます。
 
近年は自然災害を含めて異常なことが増えていますので「このままでは危険」と感じている人が年々増えていると思います。
それは終末の時が近づいてきているからこそだと思います。
 
だからこそ「人類は愛に戻る」ということが、唯一の救い道であり、「人類は愛を主体にする」ということが「救世 主(愛)」です。
 
おそらくですが、太古の時代の人類は愛を主体にして、大自然と共存しながら活動していたのではないかと思います。
しかし、人類は知恵を持っていますので、「善悪」という人間独自の判断をするようになっていったのだと思います
また、人間は欲望も持っています。
 
そのため「愛」の判断よりも、「知恵」を重視するようになっていき、その結果「愛(神)」から離れていったのだと思います。
 
そもそも本来であれば、人間は愛に寄り添った判断をできたはずです。
最初から愛を知っているからこそ、「愛とは違う」ということがわかったのだと思います。
「心の判断」ともいえるでしょう。
 
そして愛から外れた判断は「愛とは的外れ」になるわけですが、もし的外れになったとしても、的外れになっていることに気づけば元の状態に戻ればよいだけです。
「もし愛から離れた時は、少しでも早く愛に戻りましょう」ということです。
 
しかし、ある時から一部の宗教では「的外れ」のことを「罪」と表現するようになったようです。
さらに「人間は生まれた時から罪深い存在」と教えるようになったようですが、人間を愛から遠ざける最悪の洗脳だと思います。
 
全ての人間は常に愛されています。
 
そもそも男女が愛しあって生まれた存在は「愛の子」ですから、愛そのものです。
 
そして、もし愛から離れた時は愛に戻ればよいだけです。
しかし、愛に戻らない人が増え続けた結果が現代の状態だと思います。
 
愛が失われた世界は「闇」に覆われていきますが、闇に覆われれば覆われるほど、「光」を求める人が増えてくるはずです。
その光の存在こそ「愛」ですが、世界が最悪な状態になった時に、人類は「世界を救うのは愛しかない」と気づくかもしれません。
 
その時が「救世 主(愛)」の復活であり再来です。
 
実は「愛」はすでにあります。
むしろ世の始まりから終わりまで「常にある」わけです。
 
だからこそ唯一神は「私は『在る』というものだ」と語ったとされています。
しかし、愛を見失った人は、神も見失ってしまったのだと思います。
 
そして「愛(神)」の存在に気づかない人たちは、「いつの日か、神が遣わす救世主が現れて世界を救ってくれる」と信じて、いつまでも「その時」を待ち続けているようです。
 
ただし「愛(神)は常に共に在る」わけですから、どれだけ待ち続けても「救世主」などという人物は出てこないでしょう。
 
「馬鹿げた話」と思うかもしれませんが、人間社会がいつまでも気がつかないだけです。
特に宗教の教えに洗脳されているほど、意味が全く理解できないと思います。
 
ちなみに「愛が王様だとすれば、一体どこに王様はいるの?」と疑問に思うかもしれません。
 
「空間の全て」です。
 
空間は目には見えませんが、永続的な繁栄と成長を促す働きが自然と働いています。
日本では「弥栄(いやさか)」などと表現している人もいます。
 
そして、その大いなる存在に気づいた人は「神」と呼ぶようになったのだと思います。
西洋などでは「万物を見通す目(プロビデンスの目)」として表現されています。
 
自然界を眺めるとわかりますが、自然現象を含め、植物、動物は自然と繁栄しています。
数が増える、減るなどはあるかもしれませんが、自然とバランスが保たれています。
 
現代は自然界のバランスが崩れていますが、人間が人間独自の世界を重視して、自然界に様々な悪影響を増やしていることが、大きな原因になっていると思います。
 
また、おそらくですが、人間が常に放っている『想念』が、良くも悪くも様々な影響をもたらす原因になっている可能性が非常に高いと僕は思っています。
 
「病は気から」ということわざがありますが、想念(精神世界)が、現象界(物質世界)に大きな影響を及ぼすからです。
 
ちなみに最近は「ポールシフト」の問題も懸念されています。
 
ポールシフトとは地球の軸が移動することですが、北極と南橋の位置が突然大きく移動すれば、「地球上に壊滅的な被害が発生する」と伝えられています。
また、もし人類が絶滅する可能性があるとすれば、ポールシフトが原因の可能性があるようです。
 
実際に地球の軸は少しずつ移動しているようですから、ただの妄想話ではありません。
そのため、いつの日かポールシフトのようなことが起こるかもしれません。
 
しかし、終末の時のポールシフトとは、「物質重視の世界」が終わり、「精神と物質が融合された新しい世界」に変化することだと思います。
 
簡単に表現しますと「いままでの世界は終わり、愛の世界へと軸が突然変わる」ということです。
 
「愛が軸になったとしても大した問題ではないのでは?」と思うかもしれません。
 
しかし「愛が基準」となることで、『根本的な部分』が変わってきます。
そのため、いままで通りでは上手くいかなくなってくる人が増えると思います。
 
たとえば、いままでは「力」で無理やり何とかできたとしても、これからの世界は「力」で何とかしようとすれば、鏡のように「力」が自分自身に跳ね返ってくるかもしれません。
 
そのかわり「愛」を大切にすれば、「愛」が返ってくるようになるのではないかと思います。
 
実際にどれほどの状態になるのかは、「その人それぞれで体験することが違う」はずです。
なぜならば、その人それぞれの人生がありますので、人生で経験する内容もその人それぞれで必ず違います。
 
そのため、他者とは比べようがありませんが、「生きやすくなる人もいる」と思いますし、「大変な状態になっていく人もいる」と思います。
それは「全て本人しだい」だからです。
 
現代の人間社会では「愛は無力」や「愛は無価値」のような風潮が強いかもしれません。
しかし、「愛」が基準となる世界に逆転(ポールシフト)するはずです。
 
だからこそ、これからの世界は愛と思いやりを大切にするべきだと思います。
 
ここからは馬鹿げた話になります。
 
「日本から救世主が登場する」という話があります。
また、ひとつの話だけではなく、伝説や予言などを含め、世界各地にいくつかの話が存在しています。
 
重要なキーワードは「日本」です。
 
実際どうなのかはわかりませんが、日本は重要な役目があると思います。
 
特に世界全体で考えますと、日本は「心(精神性)」という面で見本となり、世界を導く存在といえるでしょう。
 
だからこそ、大きな自然災害などの被害にあった場合などでも「困った時でも日本人はお互いに助け合い、精神性が素晴らしい」と、世界から注目されることが多いと思います。
 
また、今回火災の被害にあった僕自身も皆様に助けていただきました。
 
人類が失ってはいけない「心」という存在を、世界に伝える日本は「大和の国」であり、日本人は「大和の民」と呼ばれるように、人類全体の大調和を導く存在として、重要なお役目があるはずです。
 
ですから、日本から救世主のような人物が登場するのかは重要な問題ではなく、あえて日本という国に生まれた日本国民のひとりひとりの在り方がとても大切だと思います。
 
そして、日本という国にこだわらず、「天の下に全てはひとつの家族」という「八紘一宇」の想いを持ち、世界全体が家族のように一丸となることを願って活動することで、新しい世界に変化していくはずです。
 
愛に寄り添う人たちが地球上で作りあげる国こそ「地上天国」であり、もはや国境などありません。
「愛」が『新世界秩序(ニューワールドオーダー)』となるからです。
 
しかし、人間が世界を統治しようとすれば、管理社会が強化され、個人の自由が奪われていきます。
なぜならば人間が作りあげる世界は「支配」によって人類を管理して、強制的にコントロールしようとするからです。
 
実は「愛」とは真逆の方向性の「新世界秩序」が存在しますが、それは「少数のエリートによる管理社会の実現と強制的な支配」です。
 
そのため、これからの世界は「愛」か「強制的な支配(愛以外)」の二極化が激しくなると思います。
 
ちなみに日本に登場する救世主という予言で、有名な内容が「ポール・ソロモンの予言」かもしれません。
 

 

 

 
1991年にポール・ソロモン氏が日本に来日して、テレビ番組で公開チャネリングをしたようです。
そしてチャネリング中に、日本に登場する「謎の人物」の予言をしました。
 

 
番組の中でポール・ソロモン氏は、質問されました。
 
「日本から出現する世界的指導者とは誰か?」
 
この質問に対して、次のように答えています。
 
“we have said that a light come from japan, and will help in the enlightenment of the world”
「私たちは日本から光が来ると言いました。そして、世界の啓蒙を助けるだろうと」
 
そして、その人物に関して触れています。
 
「今(1991年時)はまだ若い男性で、まだ準備ができていない。」
 
ポール・ソロモン氏はその男性の名前を秘密にして、ヒントを伝えました。
 
「このヒントだけなら教えられる。彼には『アオキ先生』という武術を教える師がいる。そのアオキ先生は、武術だけでなく、(武術を通して)哲学を説いている。彼は日本の北から現れる。そして、『愛』と『全てのものは一つ』という法則を説いていく。彼が説く 『愛』 の教えは宗教ではない。宗教の壁を破ることが世界の平和をもたらす」
 
番組の中でポール・ソロモン氏は様々な質問に対してチャネリングをしています。
 
ただし「日本から出現する世界的指導者」が特に注目されてしまったらしく、いつのまにか「日本から救世主が登場する」という話に内容が変えられてしまったようです。
 
そもそもポール・ソロモン氏は「救世主」とは一言も言っていません。
「愛という教えを説く人物が登場する」という程度の話です。
 
 ですから「いつか日本に救世主が登場する」と期待していた人にしてみれば期待はずれかもしれませんが、「救世主はただの勘違い」ということです。
 
そもそも「特定の誰か」が、世界を救ってくれるというのは「甘い考え」ですし、それこそ夢物語です。
地球上の問題ですから、地球上の全ての存在に連帯責任があります。
 
つまり「人類全体に連帯責任がある」わけですから、「特定の誰か」が問題ではなく、本来であれば「全員(人類全体)」で解決することが大切です。
 
ちなみに「私には無関係」と思う人が大半かもしれません。
 
選択は本人の自由ですから、強制は一切ありません。
また、自分の大切な人生です。
そのため、自分の自由に人生を過ごしても、怒られることはないでしょう。
もちろん神様も怒りません。
 
ただし、「似た者同士が自然と集まる」という流れのように、「自然の働きにおいて、人類の選別のようなことが常に行われている」ということを頭の片隅に覚えておいた方がよいと思います。
 
「似た者同士が自然と集まる」ことのことを「波長の法則」などとも呼ばれます。
 
簡単に説明しますと、その人それぞれが波長を放っており、自分が放つ波長に近い波長が引き合うように繋がり、自分の波長に合った世界を体験することになります。
 
「波長の法則など存在しない」と信じることは自由ですが、自分の人生を振り返ると「似た者同士が集まっていた」ということは、何となく実感できるかもしれません。
 
そのため、普段から他者を利用したり、傷つけたりしている人の周囲には、似たような波長の人が自然と集まっている可能性が高いと思います。
 
特に問題がない時はそれなりに楽しく活動できるでしょう。
しかし、何か大きな問題が起こり「助けて欲しい」と願った時、周囲には助けてくれるような人が誰もいないかもしれません。
なぜならば、日頃から他者の存在を大切にしていないと、結局は「自分自身のことを大切にしてもらえない状況を、自分自身で作り続けているようなもの」だからです。
 
他者に対して「恩を売れ」とは言いませんが、日頃の行いはいつの日か自分自身に返ってきます。
 
もし他者を利用したり、傷つけるような行為をしているならば、一日でも早く改心して、思いやりであり、愛を大切にするべきだと思います。
 
話を戻しますが「ポール・ソロモンが伝えていた人物は一体誰だろう?」と探していた人が多いようです。
 
ヒントは「その男性は若く、アオキ先生という武術の師がいる」ということと、「日本の北から現れる」という程度です。
 
「日本の北」ということで、「おそらく東北地方の出身だろう」と予想した人が多いようです。
 
そして「アオキ先生」に関してですが、有名な武道家に『青木宏之』という人物がいたらしいので「おそらく武道家の青木先生の弟子だろう」と予想されていたようです。
 
ちなみ最近は「その人物はおそらく東北出身だろう」ということで、「日月神示の続編(偽物)を書いている人物」と信じている人も多いようです。
その男性は神様関係の名前で活動されていますし、全国でライブ活動をされているようなので、スピリチュアル業界では有名な人だと思います。
ただし、その人が放っているエネルギーを感じれば違和感を感じると思いますし、日月神示の続編という本に関しても、日月神示の名前を語るだけの「偽物」とわかるはずです。
そのため「なぜわからないのだろう?」と不思議でたまりませんが、盲目の信者たちは上手く騙されているようです。
 
ちなみに自分自身で「私がポール・ソロモンが伝えていた救世主」と名乗る人は多いようです。
ただし「アオキ先生ではなく、アオキ先輩がいた」や、「日本の北が出身ではないが、たぶん私のこと」など、ヒントとは少し違うようですから「(自称)私が救世主」ばかりに感じます
 
とりあえず「その人物は誰か?」がわからないままのようですし、1991年のテレビ放送からいまだに登場しないままになっています。
 
そのため、「チャネリングの予言の内容が違っている」や、「予言は嘘だった」と判断する人が増えているかもしれません。
 
ちなみに僕がポール・ソロモン氏の予言を知ったのは、涼華さんと出会ってからなので2017年でした。
 
涼華さんと出会った時から「僕は世界を少しでも良くしたい」と伝えていました。
 
そもそも2006年の頃に、なぜか突然「世界を良くしたい」と思ったことがきっかけです。
ただし、世界を良くするための方法が全くわからなかったので、その方法を探していました。
 
そして偶然足を運んだ『大伴神社』で、神主様と出会い、「祈りの旅」というご縁をいただきました。
祈りなどをしたことはありませんし、神社に関しても無知な状態です。
しかし、「日本各地でお祈りすれば、少しでも世界は良くなるのだろうか?」と思い、全くの無知な状態から日本全国を巡るようになりました。
 
日本各地をどれだけ巡っても、世界がよくなっている実感は全く感じられなかったことが本音です。
たとえば、地震の発生を防ぐために、各地の『要石』を巡ったりしたこともありますが、何かしらの効果があったのかはわかりません。
 
とりあえず「実感はないけど少しでも何らかの役に立っているなら…」と信じて活動していました。
 
しかし活動開始から数年後、旅に使用していた自動車が突然壊れ、さらに旅費を稼ぐためにしていた仕事が忙しくなりました。
 
そこで祈り旅は休止することになったわけです。
 
僕にしてみれば「祈りの旅が僕の人生のお役目だろう」という想いを信じて活動していました。
 
しかし、予期せぬ展開で活動が突然休止状態となったため「僕の役目は祈りの旅ではなく、お祈りごっこをしていただけなのか……」と悲しくなりました。
 
それ以降も神社にはたまに足を運んでいましたが、「祈りの旅は自分の役目ではなかった」ということを知ってしまった後なので、必死に各地を巡らないといけないという想いは減ったと思います。
 
ただし、「世界を少しでも良くしたい」という想いは持ち続けていました。
 
また、自分が学んだことをご縁のある人に少しでもわかりやすく言葉として伝えられるように、常に考え続けていますし、それは現在も変わりません。
 
そのため、誰かに出会うたびに「僕は世界を少しでも良くしたいと思っています」と、子供の夢のようなことを言い続けていました。
 
ちなみに祈りの旅は、全く予想外の場所で効果を発揮していたようです。
それは「祈りの旅を記録していたブログ」の存在でした。
 
僕は旅中に足を運んだ場所の情報と、神社の写真をブログに公開していたのですが、そのブログの情報を参考にして、僕の活動を追っていたのが涼華さんです。
また、富山県の僕と、熊本県の涼華さんが直接交流できるきっかけになったのは、ブログのコメントでのやりとりでした。
 
そもそも祈りの旅をしていなければ、涼華さんとの出会いはなかったと思います。
ですから、結果的に「祈りの旅は無意味ではなく、未来の展開に繋がっていた」と思います。
 
そして祈りの旅を開始してから約10年後に涼華さんに出会ったわけですが、涼華さんに僕の想いを伝えると「世界を救うことができるよ」と言ってくれました。
 
僕を気づかってのお世辞もあったかもしれません。
また、涼華さんは僕のことをずっと探し続けてくれていたようなので、強い思い入れを含めた期待もあったと思います。
 
しかし、僕はごく普通の人ですし、強力な霊能力などを持っているわけではありません。
 
ですから、「世界を救うことができるよ」と涼華さんが言ってくれた言葉は嬉しかったですが、僕自身は全く信用していませんでした。
 
だからこそ、「もし本当に世界を救えるのであれば、何か自信を持てるような証拠が欲しい」と思い、インターネット上などから様々な情報を検索しました。
 
そこで見つけたのが「ポール・ソロモンの予言」でした。
 
見つけた時は「救世主がいつか日本から出てくるのかな?」程度でしたが、ヒントの部分が気になりました。
 
1991年頃は若い男性
アオキ先生に武術を習っている
日本の北
 
僕の年齢を知っている人もいますが、基本的にブログでは公表していません。
そのため、初公開に近いですが、1991年の僕は16歳で高校生の頃です。
 
高校時代の学年主任の先生は「青木先生」でした。
青木先生は体育の教師です。
ただし、僕の高校時代は「武道」の授業もあり、青木先生は武道も担当していました。
 
青木先生からは格闘技を習ったわけではありませんが、武道の授業で剣道を教えてもらっています。
 
そして青木先生には、個人的に何度もお世話になっています。
恥ずかしい話ですが、高校時代の僕は恋愛絡みのトラブルでヤケになり、日本酒の一升瓶の半分を一気飲みして登校し、なぜかその状態で職員室に行きました。
青木先生に「天伴、お前酒臭くないか?」と言われたわけですが、もちろん日本酒を飲みまくっているわけですから当然です。
 
ちなみに僕はお酒に凄く弱く、飲めないに近い状態ですから、完全に酔っ払ってフラフラになっていました。
おそらく気を失ったのだと思いますが、気づいたら保健室のベッドで寝ていました。
目覚めた時は頭痛がひどく、学校の保健室で二日酔い状態です。
 
夕方頃に何とか帰宅しましたが、学校にお酒を飲んで登校する生徒は前代未聞です。
数日後、父親が学校に呼ばれました。
 
僕はヤケになっていましたし、停学か退学になるつもりでした。
しかし青木先生が僕のことをかばってくれて、停学などもなく「いろいろ辛いこともあるだろうけど頑張れ」の一言で終わりです。
学年主任が、未成年であり、飲酒して登校した生徒を何の処罰もなく許してくれることは、本来ありえないことだと思います。
 
また、高校はアルバイトが禁止でしたが、ある時に「天伴ちょっとこい」と青木先生に呼ばれました。
そして「お前、ガソリンスタンドでバイトしているだろう?」と言われました。
ガソリンスタンドのバイトは顔がすぐにわかりますし、隠しても仕方ないので「はい、バイトをしています」と答えました。
すると「今回の件はオレの胸の中だけにしまっておく。ただし…」と言われ、「ただし、お前は今年の体育委員長をやれ」と言われました。
「……はぁ?交換条件かよ?」と思いましたが、いろいろとお世話になっていることもあったので「わかりました」と体育委員長を受けることになりました。
 
また、ある時に突然金髪で登校したこともありますが、「天伴、髪を黒く染めてこい」の一言で許してもらえたこともあります。
 
めちゃくちゃなことをやっているようですが、僕は不良ではなかったですし、「ちょっと加減がわからなかっただけ」です。
 
他にも青木先生には様々な面で助けていただいているのですが、「なぜ僕のことを何度もかばってくれるのか」は謎でした。
 
ちなみに現代は離婚が多いですが、当時に関しては離婚はごく稀なことだったと思います。
僕の両親は中学生時代に離婚していますが、青木先生は片親に育てられていることも気遣ってくれていたような気がします。
だからこそ、高校時代の青木先生は「様々なことを助けてくれた恩師」という想いが強く、いまでも忘れられない先生です。
 
 
高校の卒業アルバムに書かれた、担任教師たちからの「はなむけの言葉」です。
他の教師の名前を隠すことも考えましたが、僕が通っていた高校は約20年前に廃校になっています。
また、卒業から約30年経過していますので、教師たちも定年退職しているはずです。
わさわざ当時の教師たちを探す人はいないと思いますので、あえて隠す必要はないと判断しました。
 
学年主任だった青木先生は寄せ書きの真ん中に「愛と思いやり」と書いています。
 
高校時代にお世話になった僕は、高校卒業から数十年後に「愛と思いやり」と伝えるようになっているわけですが、この時から全て繋がっているのかもしれません。
 
ちなみに僕の担任教師は「まごころを忘れない」と書いていますが、人生を振り返ると、様々な伏線が用意されているように感じます。
 
そして日本の北に関してですが、僕は富山県出身です。
現在は熊本県に滞在していますが、涼華さんと出会わなければ富山県で生涯過ごすつもりでした。
日本地図を眺めますと、富山県は日本の真ん中あたりですから「日本の北」ではありません。
しかし、地方で表現しますと、富山県は「北陸地方」になりますので、「北陸出身です」と名乗る場合もあります。
ポール・ソロモン氏は海外ということもあり、北陸のことを「日本の北」と表現したのかもしれません。
 
ポール・ソロモン氏は「ヒントだけなら」とわざと前置きしていますが、1991年に高校生、高校時代の青木先生、北陸出身という情報は、僕しか知らないことです。
 
ですから「もしかしてポール・ソロモン氏は僕だけがわかるようなヒントをあえて残してくれたのでは?」と思いました。
 
ちなみに2017年に涼華さんに出会った時は、僕は「愛」のことが全くわかっていませんでした。
むしろ「僕は愛など求めていない」という状態でしたし、愛に全く興味がありませんでした。
 
ですから、僕自身も数年前までは準備ができておらず、全く自覚がなかった状態です。
 
「愛など求めていない」という僕に対して、涼華さんは「愛が最も大事」と耳が痛くなるほど伝えてきました。
また、涼華さんと出会った頃の僕は「心」を閉ざしていたのですが、心を開くきっかけ与えてくれたのも涼華さんでした。
 
僕自身は「愛など求めていない」と言いながらも、「愛がわからないと、この先に進むことができない」という気がしていたため、愛について深く考えるようになりました。
 
さらに、ポール・ソロモン氏は『愛』と『全てのものは一つ』という法則を説くと伝えています。
僕自身も「それは一体どのような法則なのだろう?」と、真剣に考えるヒントになりました。
なぜならば、もし僕へのヒントのために「アオキ先生」などのことを教えてくれたのであれば、「全てのものは一つという法則に、いつか必ずたどりつけ」というメッセージに感じたからです。
 
ちなみにスピリチュアル系などでは「全てのものは一つ」といえば「ワンネス」という答えになると思います。
昔の僕も「全てのものはひとつとは、ワンネスのことだろう」と単純に判断したと思います。
 
しかし、実際のところワンネスを知ったところで「あまり意味がない」と感じます。
 
僕自身、自分の肉体と世界の境界線が消えて、世界全体と一体となる「ワンネス体験」をしたことがあります。
だからといって世界が良くなったわけではありません。
「あ、これがワンネスの感覚なんだ」と体験したにすぎないからです。
 
ちなみにワンネス体験に関しては人類全員ができるわけではなく、一部の人が偶然体験する程度だと思います。
そしてワンネス体験をすれば、感動をするかもしれませんが、あくまでも一時的な体験であり、その後は価値観や視点などが少し変わる程度でしょう。
また、翌日から世界が大きく変化するわけでもありません。
 
ですから「全てのものは一つ」はワンネスから、さらに奥深く探求することが大切だと思います。
また「法則」についても「それは一体どのような法則なのか?」も考えなくてはいけません。
 
ちなみに裏話ですが、涼華さんに出会う前の僕は「真理」を追及していました。
この世界に働く普遍的な「理(ことわり)」を知りたかったからです。
 
涼華さんと出会った最初の頃ですが、当時の涼華さんは様々な存在とチャネリングをしていました。
 
この話は「妄想話」程度に思っていただきたいですが、涼華さんが「イエス・キリスト(サナンダ)様とも繋がることができるよ」と教えてくれたので、僕は「イエス様にひとつだけ質問していい?」と涼華さんにお願いしました。
 
僕がイエス様に尋ねたかったことは「真理とは何ですか?」という質問でした。
 
イエス様の返答は「真理は言葉で語るものではない」という一言でした。
 
真理について長年探求していた僕にしてみれば衝撃的な一言です。
「え?真理とは言葉で語るものではないのか?」と驚き、それ以来、「それでは真理とは一体何?」という疑問を持つようになりました。
 
それから数年後、あくまでも少しずつですが「愛」について学びが増えていき、探し続けていた「世界を良くする方法」が何となくわかってきました。
 
一言でいえば「愛が全て」になります。
 
真理に関しても、この世に普遍的なものがあるとすれば、それは「愛」であり、愛の理が「真の理」そのものだと思います。
だからこそ、言葉で語るようなものではないのかもしれません。
 
また、僕が長年探求して気づいたことは、「人間は生涯をかけて愛を学ぶ」ということでした。
 
愛を学ぶとは「終わりのない答え探しの旅」であり、だからこそ生涯学び続けることができ、本人が学びたいと願うかぎり、生涯成長できるということです。
これは本当に素晴らしいことだと思います。
 
ちなみに人間社会では「真実」という言葉が気軽に使用されていますが、僕が最も使用しない言葉が「真実」です。
 
なぜならば人間が信じている世界は「幻想のようなもの」ですから、幻想の世界に真実など存在しません。
 
もし真実があるとすれば「愛だけ」だと思います。
 
ですから「真実」という言葉を多用したり、「これが真実の情報です」と語るような人は、はっきりいえば「何もわかっていない」ですし、そもそも問題外に感じます。
 
とりあえず「世界を少しでも良くしたい」と願い、そのための方法を探していた僕は、最も重要な「愛」に気づいたことで、「答え」がわかってきました。
また、ポール・ソロモンが伝えていたは『愛』と『全てのものは一つ』という法則についても意味がわかってきました。
 
さらに人間が持っている「創造性の発揮(創造主の力)」に関しても気づきがあり、愛によって世界全体を再構築できることがわかりました。
それが、「天界を地上に降ろす方法」ですが、人間の手によって地球上に地上天国を実現できるようになります。
 
その方法に気づいたきっかけは祈りの旅でした。
僕は無知な状態から活動を開始したため、「祈りとは何?」と苦悩の連続でした。
常に自問自答をしながら日本各地を巡っていましたが、祈りの「利点」は自分の身体のみしか使いません。
お金なども一切不要ですし、祈りは誰でもできることだと思います。
そして僕が気づいたことが、誰にでも簡単にできる日常の「祈り(意乗り)」の方法でした。
「祈り(意乗り)」の方法がわかれば、誰でも必ず世界を変えていけますし、日常生活の全てが世界に対するボランティア活動になっていきます。
 
だからこそ、ブログでは「愛について」という内容を書く機会が増えました。
 
説明が下手なのでわかりづらかったことは申し訳ありませんが、「少しでももっとわかりやすい説明」を目指して、何度も似たような内容を書いていました。
 
読者の人にしてみれば、毎回似たような内容を何度も書いてつまらないと思われたかもしれません。
また、僕自身も「毎回に似たような内容は飽きられるだろう」と思っていたのが本音です。
 
しかし、もし世界が少しでも変わる可能性があり、世界の平和に繋がるのであれば、たとえ飽きられようとも「希望」を信じて活動を続けるしかありません。
また、僕があきらめたら「そこで終わり」だからです。
 
ブログでは「無料講座」と伝えていましたが、僕がわかる範囲のことは惜しみなく伝えてきたつもりです。
 
偶然ブログを目にしてくれた人だとしても「その人の今後の活動に少しでも役立てば…」と願っていたからです。
また、たとえ偶然だとしても、ブログの記事を目にしてくれるならば、それは「ご縁があるからこそ」だと思っています。
 
もしわからないことがあれば、直接尋ねていただければ、僕がわかる範囲のことであればお答えします。
 
しかし、僕が伝えようとしていたことは『救世』のテーマにある程度書き残しています。
未完の部分もありますが、これからの世界のための参考に少しでも役立てばと思います。
 

 

 

 
ちなみに人間社会で伝えられている内容とは違うことも多いため、理解が難しいこともあるかもしれません。
しかし、人間社会が伝えていることは、人間本意の考え方ですし、「愛が基準」になっていないことが大半です。
ですから、嘘や洗脳だらけだと思います。
 
僕の伝えていることは、洗脳などではありませんし、「本来あるべき自由への道」のための方法です。
だからこそ、フォロワー様を含め、信者などを増やそうとしませんでしたし、グループ活動などもしないようにしていました。
 
あなた自身が「主役」だからです。
 
妄想話のようですが、いつの日か伝えていた内容の「意味」がわかってくると思います。
 
ご縁のある人の未来のために少しでも役立てばと思います。
 
ちなみに余談ですが、僕自身興味深く感じていたことがあります。
ただし、あくまでも妄想程度の話です。
 
【1】
元号が「令和」になったことで、歴史上から姿を消していた「大伴氏」が突然有名になりました。
僕は直系の子孫ではないと思いますが、「大伴」の名を継ぐ子孫です。
大伴氏は天孫降臨の際に登場した「天忍日命」の子孫とされていますし、昔は天皇の側近だった一族とされています。
僕は天皇には仕えていませんが、本来の「王(天の王)」を導くためのお手伝いをさせていただいているつもりです。
そのため「令和」の切り替えは「世のために活動をするタイミングになった」というような気がしていました。
 
【2】
「救世について」の記事をブログで書き始めたきっかけは、新型コロナウイルスの流行からです。
当時は「能力開発について」などの講座を考えていた時でしたが、新型コロナが騒がれはじめ、「もはや能力開発などを伝えているような場合ではない」と強く感じました。
説明が難しいですが、自分自身の中でスイッチが入ったような状態となり、「いまこそ書かなくてはいけない」と思ったことがきっかけです。
そしてそれ以来、冗談をあまり書かなくなりました。
 
ブログの記事は「世界を救うための方法」や「愛について」という内容がメインとなりましたが、「つまらない」と感じて離れていった読者の人も多かったと思います。
ただし、離れていく人がいることは仕方がないと思っていましたし、「真剣に伝えるべきことがある」ということを優先させていました。
 
そして僕自身は「いつか伝えられなくなる時がくる」と数年前から何となく感じていたので、「これだけは必ず伝えておくべき」と思って書いていたのが「【未完】言葉と祈りと愛について」でした。
ですから、数年前から「いつか」のための準備をしていたのだと思います。
 
【3】
大本の出口王仁三郎様は「ミロク(弥勒)」のことを「567」と表現していました。
「567」の意味に関しては様々な説がありますが「567はコロナ(567)のことだったのでは?」という声もあります。
弥勒は「慈愛に満ちた者」という意味もあるようですが、新型コロナの流行がきっかけで、人間の本性や、その人それぞれの人間性(内面)が表に出やすくなった気がします。
また、僕自身も新型コロナの流行がきっかけで、活動内容の切り替えのタイミングとなりましたので、何か意味があるのかもしれません。
 
【4】
ブログの記事で、出口王仁三郎様のことを何度か書くことがありましたが、王仁三郎様は宗教団体「大本(おおもと)」の開祖のひとりです。
「大本教」ではなく、あえて「大本」という名称にしているようです。
 
僕は出口王仁三郎様と大本に凄く興味を感じたことがあり、京都府にある大本の本部に何度か足を運んでいます。
また、大本の本部の近くにある「出口家の墓」に、個人的に墓参りをしたことがあるぐらいです。
 
「大本」は「OOMOTO(OMOTO)」と表記されますが、僕は「大伴」ですから「OOTOMO(OTOMO)」になります。
「霊界と現世は反転することがある」ようですが、「OMOTO」が反転すれ「OTOMO」になりますので、「何か意味があるかもしれない」と思っていました。
 
ちなみに出口王仁三郎様の本名は「上田喜三郎」ですが、大本で活動するようになってから「出口王仁三郎」に改名されています。
注目するべき点は「王仁」の部分です。
「仁」は中国思想において「愛」の意味になります。
ですから「王仁」は「王は愛(仁)」という意味であり、おそらく王仁三郎様は「答え」を知っていたのではないかと思います。
 
【5】
僕は涼華さんと出会った頃から「天伴」という名前で活動するようになりましたが、「天伴」は約20年前に閃いたネーミングです。
「いつかこの名前で活動しよう」と思っていたのですが、実際に活動を開始したのは2017年からでした。
 
そして、熊本県の天草地方で活動するようになりましたが、天草は歴史上でキリスト教に強く関係がある場所です。
昔はキリスト教の神父のことを「バテレン(伴天連)」と表現したようですが、ポルトガル語の「パードレ」が「バテレン」の語源らしいです。
そのため、「伴天連」の関係があった土地で、「天伴」という名前で活動するようになったわけですが、「ただの偶然ではない気がする」と思っていました。
そもそも僕がキリスト教に興味を持ち、キリスト教の知識を増やすきっかけになったのは、天草に来たことがきっかけです。
むしろ天草に来なければ、キリスト教にはあまり興味がなかったので、流れが用意されていたのかもしれません。
 
僕はキリスト教の信者ではありませんが、伝えている内容はキリスト教や、ユダヤ教に近いのではないかと思います。
 
そもそも「宗教の教え」を伝えたいわけではありませんし、「愛」を大切にすることを伝えようとしているだけですが、精神世界、スピリチュアル、哲学、仏教を含む様々な宗教、神道、気功、魔術、催眠、オカルトなどについての知識もそれなりに持っています。
個人的な趣味と興味でしたが、いつのまにか様々な知識を吸収していたよう気がします。
 
【6】
特殊な能力の診断などをしていましたが、僕自身の特殊な能力として、「人間の頭頂部を眺めれば光の柱が見える」ことと、「人間の心臓付近を眺めるとハート(心)が開いているかを確認することができる」というものがあります。
 
自分自身に対しての使い道はないのですが、他者との交流で役立つことはありました。
 
たとえばクリスタルチルドレンや、レインボーチルドレンなどの次世代の子供が一目見るだけで判断できますので、そのような子供たちが生きやすいような世界になるようなお手伝いをできればと思っていました。
 
また、現代社会では心が閉じている人が多いと感じますが、心を開いて交流できるような世界になること願っていますし、「人間が心が開くためにはどうすればよいのか?」についても、何となくわかってきました。
 
ちなみに先日のことですが、「頭頂部の光の柱の見方」を知人に教えたことがあります。
3時間ほど直接お会いしていたのですが、その時は知人にも頭頂部の柱が見えるようになったようです。
しかし数日後に知人から連続があり、「あの時は光の柱が見えたのに、現在は光の柱が全く見えなくなった」と伝えられました。
おそらくですが、ご一緒にいた時間が長かったので、一時的に知人にも特殊な能力が使えるようになったのかもしれません。
 
自分で言うのも何ですが、頭頂部の光の柱や、ハート(心)の状態が目視できるのは、かなり特殊なタイプだと思いますので、「何か意味があるからこそ」と思っています。
 
【7】
皮肉なことですが、今回の火災の被害がなければ「この話」はずっと秘密にしているつもりでした。
しかし活動休止の状態となりましたし、天から「いまこそ伝える時」というメッセージを感じたのでご紹介しました。
妄想話かもしれませんが、僕自身はポール・ソロモン氏のヒントのおかげで、「いつか答えにたどりつかないといけない」という目標を持って活動することができました。
 
そして、1991年から該当する人物が登場しないままのため、「ポール・ソロモンのチャネリングはデタラメ」と伝えている人もいます。
僕がポール・ソロモン氏が伝えていた人物なのかの確証はありませんが、僕自身は「ポール・ソロモン氏のヒントのおかげ」と感じていますし、「チャネリングはデタラメではなかった」とお伝えしたいです。
 
ただし、もし僕が該当する人物だったとしても、僕が世界を救えるわけでもありません。
 
「愛」が世界を救うからです。
 
僕はあくまでも「そのための方法」を伝えるお手伝いをさせていただいているだけにすぎません。
ですから、突然僕が消えても何も問題はありません。
 
ぜひ愛を大切にして活動する人が少しでも増えることを願っています。
「想い」は繋がっていくからです。