『【未完】言葉と祈りと愛について 22』のつづきです。
補足情報として『救世』の記事も参考になればと思います。

【有名と無名】

僕は『無名』の存在ですし、あくまでも素人の戯れ言です。
ですから「何か言っている」程度にしか感じない人が大半だと思います。

無名の存在は人間社会において『発言力』が弱いことは仕方ないことです。
そのため、基本的には「聞き流されて終わり」ではないかと思います。

たとえば「スピリチュアル系の能力開発」や、「引き寄せなどの欲望を満たす方法」を伝えた方がよほど興味を持たれると思います。
また、占いや、ヒーリングを無料で提供するようなサービスを増やした方が喜ばれると思いますし、興味を持ってもらえるはずです。

しかし「ご縁のある人に本当に伝えるべきことがある」と信じているからこそ、信念を持って活動を続けています。

ちなみに現代において発言力の強さとは、『社会的な地位』や『数の力』だと思います。
つまり『有名』か『無名』で大きく変わります。

社会的な地位に関しては、わかりやすいのは『専門家』や『医師』などかもしれません。

たとえば健康に関することですが、家族から「身体に悪いから止めた方がいい」と日頃の習慣についてアドバイスされても全く聞く耳を持たないという人がいると思います。

しかし病院で全く同じアドバイスをされた場合、「医者から身体を壊すから止めた方がいいと言われたから止めることにする」とすんなり受け入れるかもしれません。
そして家族から「前から止めた方がいいと何度も伝えていた」と指摘されても「知らなかった」と流すのではないかと思います。

その逆もあります。
家族や、友人から「その薬は身体に悪い可能性があるらしい」とアドバイスされても、「医者は安全な薬と伝えているから大丈夫」と医者の言葉を信じる人が大半だと思います。

そもそも家族や友人は騙すつもりなど全くなく、むしろ親切心からのアドバイスです。
しかし専門家や医者の発言の方が『真実味』や『重み』を感じるからこそ、すんなり受け入れるのかもしれません。

ちなみに現代は『様々な情報』が入り乱れています。

そのため家族や友人が『嘘の情報』を信じているだけの可能性もありますし、医師を含めた専門家などが『嘘の情報』を信じている場合もあるはずです。

たとえば『陰謀論』などは『嘘』と『本当』が混ざった絶妙な状態になっています。
調べたら『本当の部分』もあり、さらに調べると『嘘の部分』もあるからこそ、いままで陰謀論に全く興味がなかった人も、突然『陰謀論者』に変わることもあるようです。

ですから誰からの情報だとしても、すぐに鵜呑みにせず『自分自身の判断』だけは絶対に忘れてはいけないと思います。
そして判断がよくわからない時は、自分が『選択』する前に少しでも多くの情報を探って、『判断材料』を増やすことが大切だと思います。

人間社会は様々な情報が入り乱れていますので、無駄に情報を増やすことはある意味危険ですが、現代は『詐欺行為』などが増加傾向です。
詐欺の場合は『無知な人』を騙そうとしているわけですし、少し情報を調べるだけで「詐欺」と気づくことも多いと感じます。

ですから『情報過多』になることは危険ですが、情報に無知すぎることも危険であり、バランス感覚が大切だと思います。

ちなみに極端な話になりますが、「よくわからないことには気軽に手を出さないことが最も無難」かもしれません。

興味のあることに『挑戦』することは経験や学びのために大切だと思いますが、よくわからないことに手を出す時には『リスク』の覚悟も必要です。
また、『現状維持』を続けることが良いか悪いかは別問題ですが、「とりあえずは無難」という状態が『現状』だからです。

たとえば「触らぬ神に祟りなし」ということわざがありますが、「関わりをもたなければ、余計な災いを招くことはない」という意味になります。

現状を変化させる覚悟があればいいですが、『不確かな情報』に振り回される可能性があるのであれば、焦らずに様子見をしながら冷静に判断することが『最も無難な選択』だと思います。

そして現代社会において、特に強力な力になっているのが『数の力』です。

インターネットが盛んな現代においては、少しでも多くの人を『ファン』や『ユーザー』として集めることができれば、『数の力』を得ることができますので、発言力が強くなります。
また、人間社会での発言力が強くなりますと、ファンやユーザーがさらに集まり、加速的に『数』が増え続けますので、たとえ『個人活動』だとしても巨大な力を得ることができます。

「人間的に素晴らしい人だからこそ数多くの人が集まってくる」などであれば理想的だと思います。
ただし、実際は「良くも悪くも目立つからこそ人が集まってくる」という場合が多いかもしれません。

『目立つ』ということは、「存在が目立つからこそ」ですが、現代社会の傾向としては『刺激のある存在』が好まれる傾向が高いかもしれません。

たとえば他者の悪口などはモラル的に好ましくありません。
しかし他人が他者の悪口を言っている姿を見ることが「面白い」と感じる人もいますし、他者の争いや、トラブルを眺めることを楽しむ人もいます。
自分自身には被害が及ばないからこそだと思いますが、『見世物』としては刺激的に感じるからこそだと思います。

「そのような人が大勢いるのか?」と疑問に思うかもしれませんが、芸能人などのニュースがわかりやすいと思います。

マスメディアは世間の注目を浴びるのは刺激的な内容ということを知っているからこそ、『人間関係のトラブル』をネタにすることが多いです。
そして実際に興味を持つ人が多いからこそ世間で話題となり、場合によっては騒ぎが多くなっていきます。

これも『数の力』ですが、話題になるような目立つ『火種(ネタ)』さえ用意すれば、そこに自然と人が集まり、火の勢いが加速的に増していくわけです。

このような方法は、ある程度『計画的』に起こせます。
特に現代の人間社会においては、情報が拡散するスピードが早いため、「知名度を上げたければ少しでも目立つことをすればいい」という単純な理論が通用します。

ちなみに真面目な人ほど『正攻法』を大切にする可能性が高いため、「目立つことは難しい」と思うかもしれません。
しかし目立つ方法とはそんなに難しくありません。

たとえば人が大勢集まる場所で、『風船』を破裂させれば、必ず注目を浴びます。
突然の風船の破裂音で驚く人がいるからこそです。

他者を驚かせるためにわざとするのであれば『迷惑行為』です。


ただし、迷惑行為かもしれませんが『目立つ』という目的は一瞬で達成しています。

また、葬式会場に白いタキシードで登場すれば、「不謹慎な人間」と周囲から批難されると思いますが、葬式会場の隅でひたすら静かに黙っているだけでも、嫌でも目立ちます。
「私の存在は全く気にしないでください」と伝えても、黒い喪服だらけの中に白いタキシード姿の存在は「気にしない方が無理な話」です。

つまり『目立つ』とは決して難しいことではありません。

地道な活動が身を結んで注目されることもあると思いますが、『最短最速』を最優先するのであれば、「他の人がやらないようなことをあえて実際にやる」という方法が一番簡単です。

そのため『犯罪行為』まではしないかもしれませんが、「犯罪ギリギリのラインまでであれば問題ない」と判断したり、むしろ「犯罪ギリギリのラインの方が刺激があり、周囲から注目を浴びる」と思っている人もいるはずです。

特に現代は個人が『動画配信』などで稼げるような状態ですから、「稼ぐためには注目を浴びて、人を集めることが正解」という風潮も強くなっていると感じます。
方法を失敗すれば周囲から批難されまくる『炎上』に発展することもありますが、むしろわざと炎上させて注目を浴びることを狙っている人もいます。

一般的には「目立ってどうするの?」と思うかもしれません。
しかし現代において『数の力』は、人間社会で活動するためには『有効』ですし、「方法を問わず、とにかく数の力を集めたい」という人が多いと思います。

たとえばTwitter、Instagram、Facebook、LINE、YOUTUBE、ブログなど様々なツールがありますが、商売に関する活動をしている人であれば「とにかく少しでも登録者数(フォロワー)を増やしたい」という状態かもしれません。
なぜならば商売の『宣伝』にも繋がりますし、『数の力』の強さを知っているからこそだと思います。

ちなみに僕の活動においては登録者数を増やすための宣伝はしていません。
そもそも昔の僕は「数の力を求めることを実際にしていた」ので、経験もしていますし、計画的に様々なことを試していました。
むしろ経験済みからこそ、無駄に数を集めるような活動からは手を引き、現在は宣伝活動をほとんどしていません。

ただし、「経験済みだからこそ現代において数の力がとても有効なことは理解している」つもりです。
なぜならば集団心理というのは『数』が多いを信じやすい傾向が高いからです。

たとえば『10000人のファン』を抱えている人と、『10人のファン』を抱えている人が発言した場合、どちらも『全く同じ内容』を伝えていたとしても、周囲から信用されるのはおそらく10000人のファンを抱えている人の発言だと思います。

また、もし10000人のファンを抱えている人が『嘘の情報』を流し、10人のファンを抱えている人が『本当の情報』を流した場合、周囲から信用されるのはおそらく10000人のファンを抱えている人の発言だと思います。
嘘の情報ということを見抜かれていれば、当然信用されません。
しかし見抜かれない場合、むしろ本当の情報を流している方が「嘘つき」と疑われることがあります。

本当の情報を伝えている方が「嘘つき」と疑われるのはとても不思議な状態だと思います。
しかし集団心理というのは『情報の正確さ』よりも、「みんなが信じているからおそらく嘘ではないだろう」程度の判断で信じる場合が多いです。

「自分自身で考えるという機会を失っている」といえますが、日本の場合は『協調性』を大切にされますし、「みんなと同調することが正解」と思いがちかもしれません。

実際に人間社会ではよくあることですが、「よくわからないけどみんなが良いと言っているから、きっと良いはずだろう」と判断して同調するわけです。
協調性は大切だと思いますが、自分自身の判断を失った状態であれば、いつのまにか『集団催眠』をかけられているような状態と同じになります。
「集団心理は洗脳状態と同じ」ということです。

ただし「私は自分でしっかり考えている」という人も当然いると思います。

僕自身はできる限り自分で考えるようにしています。
また、個性が強いせいもありますが、「意味も無くみんなと合わせるのが苦手」という性格です。

『調和』は大切だと思っていますので、無意味に反発することはありませんが、納得できないことに関しては反発ではなく、自分から身を引いて、なるべく自分がその場から離れるようにしています。

ちなみに『支配者層』という表現をしますと陰謀論のような印象になるかもしれませんが、支配者層のような存在たちはマスメディアなどを利用して「計画的に人間社会を誘導している」と感じます。

おそらく多くの人は「私は騙されない」と思っているかもしれません。

しかし現代の人間社会は、『人間を簡単に洗脳できる土台』が用意されています。
そのひとつの方法がマスメディアを利用した『集団心理』の操作ですが、情報だけで『数の力』を動かせるようになっているからです。

『特定の個人』を思い通りにコントロールすることは「不可能に近い」ですが、『大勢の人間』を思い通りにコントロールすることは実は「簡単」です。
そして『大勢の人間』が動き出せば、『個人』は同調して大勢の人間の動きに釣られます。
その結果、『特定の個人』としてはコントロールが不可能だとしても、『大勢の一部』となった瞬間にコントロールすることが可能になるわけです。

たとえば『100人』の人間がいるとします。
100人全員が興味を引くような内容は難しいかもしれませんが、『比率的』に『一番興味を引くような内容』を提供します。

その結果、『70人(70%)』が興味を持ち、『20人(20%)』が何となく興味を持ち、『10人(10%)』が無関心だったとします。
この場合、「約30%の人は誘導に失敗している」というように感じるかもしれません。
しかし実は全く大きな問題ではありません。

タイミングを見て第二弾の『興味を引くような内容』を提供することで、「あそこに70人の人が集まっている」という『数の力』に興味を持った『外部の人』たちが自然と集まってくるからです。
それを繰り返すことで『数の力』は急激に倍増して『流れ』となり『巨大な数の力』に発展します。

そして無関心だった人が「何かおかしい」と違和感に気づいて『警告』したとしても、『巨大な数の力』は集団心理での洗脳が働いていますので『少数の反論意見』を排除するようになっていきます。

言葉で説明しますと単純な仕組みですが、「実際に計画通りに可能」であり、人間社会ではマスメディアという強力な情報発信源によって当然のように活用されています。

仕組みを知っていれば「人間社会は面白いように情報に誘導されている」と眺めることができます。

ただし、『個人』というのは「木を見て森を見ず」という状態になりがちのため、『森全体』を眺める視点を忘れがちです。
森全体とは『人間社会全体』ですが、「大勢の人が関心を持っている」という状態は、「すでに大勢の人が集団心理によって誘導されている」ともいえるでしょう。

このようなことをお伝えしているのは、人間社会の風潮として「大勢が言っていることの方が正しい」と情報を鵜呑みにしたり、『発言力』の強い有名人や専門家などの発言であれば簡単に洗脳される人が多く感じるからです。

そして、あくまでも僕個人の意見になりますが「最近の人間社会は少数派や、無名の人の方が一番まともなことを伝えている」と感じます。
「少数派の意見を信じましょう」とは決して言いませんが、少数派の意見に注目して『違う視点からの情報』も必ず参考にして判断するべきだと思います。

たとえば大勢の人が『豪華な客船』に乗っていたとします。
乗船していた『旅客の1人』が重大な問題に気づき「この船はもうすぐ沈没するから早く避難しないと危険」と騒ぎ出したとします。

一部の人はその言葉を信じて、すぐに船の状況を確認するかもしれません。

しかし大勢の人は「他の人が騒いでいないからきっと大丈夫だろう」と大勢の人が騒ぎ出すまで動かないと思います。
なぜならば、大勢の人が動かないのであれば、「みんなと同じように自分も動く必要がない」と判断するからです。
また、『豪華な客船』だからこそ「巨大な客船が簡単に沈むようなことは絶対にありえない」と過信するかもしれません。

そして船長や、乗組員が騒いだとすれば『信憑性のある情報』として一大事になると思いますが、旅客の言葉であれば「旅客が何か騒いでいるだけ」と全く相手にしないかもしれません。

誰の言葉を信じるのかは本人の自由ですし、結局のところ『自己責任』です。
くれぐれも沈没寸前の船から逃げ遅れないようにご注意ください。

『【未完】言葉と祈りと愛について 24』につづきます。