寒い季節になってきました。
急激な気温の変化は体調が崩れやすいと思いますのでご注意ください。

ちなみ昔のことですが僕は気軽に休めない会社に勤めていました。
たとえば体調を崩して仕事を休む場合、高熱があってもまずは出勤して、「よほど体調が悪ければ早退」という状態です。
そのため体調が悪いのに無理をして出勤するわけですが、「出勤したらなかなか早退させてもらえない」というブラックな状態でした。
「どうやって失踪するべきか?」と本気で悩んでいたことが多かった気がします。

とにかく気軽に休むことができなかったため、風邪をひかないように風邪薬の『パブロン』を毎日飲んでいました。
早めのパブロンです。

早すぎじゃねーか!

風邪はひきませんでしたが、むしろ身体に悪いことをしていたと思います。

どうもこんにちは!
いたみを止める。私は止めない。ブレーキの壊れたダンプカー天伴です。

ただの暴走じゃねーか!

僕は『片頭痛(偏頭痛)』が多いので、若い頃から頭痛薬を多用しています。
そのため子供の頃は「ズキンちゃん」と呼ばれていました。



ドキンちゃんじゃねーか!

ちなみに僕の愛用の頭痛薬は『バファリン』ではありません。
基本的には『イブA錠』です。
なぜか毎回イブA錠を購入してしまうのですが、なぜイブA錠なのかは僕もわかりません。

わからないのかよ!

それなりに価格が安いことが魅力のような気がします。
あまり頭痛に効いていないような気がするのですが、たぶん気のせいでしょう。

頭痛に関してですが、目に見えないエネルギーに敏感になりますと、身体に様々な不調が起こりやすいです。
僕の場合は「頭痛が起こりやすい」のですが、腹痛や、吐き気という症状の人もいると思います。

たとえば買い物などに行くと、店内にいるだけで『周囲の人が放つもの』を感じます。
むしろ、「目に見えないエネルギーが容赦なく飛んでくる」ような状態です。

一部には『エネルギーヴァンパイア(エナジーヴァンパイア)』などもいると思いますが、『頭痛を感じるようなエネルギーを放つ人』が、最近は凄く強力になっているように感じます。

ちなみにエネルギーは『霊的なもの』、『波動』、『波長』などになると思いますが、目には見えませんので「何か?」は正体不明です。
僕が感じる感覚で説明しますと、『同じ極』の二つの磁石を近づけた時の『反発力』のような感じです。
また、『気圧』の影響を強く受けたような感じに近いですが、とにかく不快な感覚で、ひどい場合は頭痛にプラスして、目がしみます。

僕の場合、数十メートル離れていても『放っている人』の存在を感じてしまうため、お店の店内で『エネルギー酔い』のような状態になりやすいです。
また、壁などの障害物に関係なく影響を受けますし、「バリアや結界もほとんど効果を感じない」ような状態です。

最近は特にひどくなっているため、涼華さんと買い物に行っても、僕はお店の外で待機していることが増えています。
できれば一緒に買い物をしたいのですが、買い物後に頭痛と疲労感に悩まされる可能性が高いので、外での待機は苦肉の策です。

ちなみに僕の経験上ですが『頭痛を感じるようなエネルギーを放つ人』は様々なトラブルを引き寄せやすい気がします。

たとえば僕の場合はエネルギーの影響で『頭痛』を感じるため、相手のエネルギーの影響をあまり受けにくい距離までなるべく早く離れるようにしています。
しかし他の人は、目には見えないエネルギーのため『無自覚』な状態かもしれません。
ただし、無自覚なだけでエネルギーの影響を必ず受けているはずです。

なぜならば広範囲でエネルギーを放っているからです。

『あまりよろしくないエネルギー』を放つと、似たような性質の『あまりよろしくないエネルギー』が引き合うことになります。
その結果、人間トラブルが発生したり、場合によっては事故などの被害があるかもしれません。

ちなみに昔勤めていた会社では僕が各従業員に一日の仕事内容の指示を伝えていました。

指示を伝える際に、従業員があまりよろしくないエネルギーを放っていた時は「念のためしばらくの間はトラブルや事故などに用心してみてください」と伝えていました。
従業員にしてみれば「一体何の話?」としか感じないかもしれませんが、実際にトラブルなどが起こることが多かったです。

不思議なことですが、トラブルが発生すると、一時的に放っているエネルギーが消えます。
仕組みはわかりませんが、『何らかのリセット』のような働きがあるのかもしれません。
ただし、あくまでも一時的に消えるだけにすぎず、しばらくすると再びエネルギーが出てくるような気がしました。

僕の憶測ですが、ストレスや不満、苛立ちなどのネガティブな状態になると、放つエネルギーが悪くなるのかもしれません。
特に現在の人間社会は、「ストレスや不満にプラスして、恐怖なども抱えやすい」と思いますので、だからこそ最近は強力なものを放つ人が増えているのかもしれません。

たとえば『嫌な出来事』があると、嫌な気分になり、嫌な気分が『さらなる嫌な出来事』を引き寄せるという悪循環になる可能性があります。
ですから日頃から「なるべくネガティブな状態にならないように心がける」ことが大切だと思います。

また、身体の不調などによって、エネルギーが『渇望状態』になると、放つエネルギーが悪くなります。

そのため健康面に気をつけることも大切なことだと思います。

 

ちなみにご年配の人はエネルギーが渇望状態になっている場合が多い気がします。

特に不健康そうなお年寄りはエネルギーが枯れているような状態ですから、周囲の人は「エネルギーを奪われるような感覚を感じる」かもしれません。


ひどいことを言っているようですが、感じやすい人にとっては「ひたすら耐えるしかない」という状態です。

むしろ、多くの人は日常生活の中で様々な影響を受けていることを気づいていないだけだと思います。

無自覚の方が人間社会では生きやすいと思いますが、無自覚すぎるのも実は危険なことなのかもしれません。



リブログで僕のことを紹介していただきました。
ありがとうございます。
素敵なチョークアート作品を描かれるsatokoさんです。
子猫の里親さんになっていただいたご縁を含め、僕も涼華さんも大変お世話になっております。

素晴らしいチョークアート作品に感動すること間違いなしです。
似顔絵のオーダーも受付中です。
「似顔絵」オーダーについて

 


秋を感じたい『ふみ』さんの大好物は『秋刀魚』らしいです。
実は大好物ではないかもしれませんが、リラクゼーションサロンDaisyで疲れを癒して寒い季節を乗り越えましょう。

マッサージの秋ふみさんのブログ
『リラクゼーションサロンDaisy☆ふみ☆』


9月下旬から「愛について」の記事を書いていましたが、実はまだ完成していません。
困ったことに伝えたいことを書き足し続けたところ、異常なほど長文となり「とてもわかりづらい」状態になっています。
 

お待たせしている状態だけが続いていたため、大変申し訳ありませんが一度『ボツ』にして、ゼロから構成し直そうと思っています。
ただし、現在の状態でも「伝えたいこと」はいろいろ詰め込んでありますので、完全にボツではなく『未完』のまま公開しようと思います。

「未完の状態は不本意」ですが、現在の状態をボツにして再構成した場合、『省く部分』も多くなりそうです。
その場合、不要な部分をかなり省くわけですが、「せっかくであれば粗削りな状態のままもアリかな?」と思いました。
また、もしかしたら内容の『一部分』だけかもしれませんが少しでも何か参考になる点もあるかもしれません。

ですから、現状はぐちゃぐちゃの状態ですが、暇つぶしがてらでも楽しんでいただければと思います。

実はある程度完成させてから、各部分にさらに追加したり、全体を再構成しながら余分な部分を省こうと思っていたのですが、個人的に「やりたいこと」が出てきました。
再構成を考えている時に、「いっそのこと本のような状態に完全に作り直すのもアリかな?」と思うようになったわけです。

そもそも僕自身は『頭の中』に伝えたいことは「すでにある」状態です。
その内容を言語化するのに言葉選びなどをしているわけですが、「どうせやるならばゼロから構築した方が早い」と感じます。

たとえば『家』の改築ですが、何度もリフォームを繰り返すより、一度全てを壊してしまい『何もない状態』にした方が、自由に作り直せます。
家の改築の場合は現実的に『お金』が必要ですが、作業のやり直しに関しては『覚悟』さえあれば何とかなるわけです。

それが「ゼロから構築した方が早い」ということですが、潔く「ボツ」の判断を決定した方が、結果的に「時間の無駄にならない」ことが人生には多い気がします。

むしろ「完全に作り直すのもアリかな?」と思うようになってからは、作り直す方向に意識が向いてしまい、現在の内容を完成するモチベーションが消えてしまったのも正直なところです。

とりあえず近日中に『未完』の状態を掲載しますので、興味がある人がいましたらよろしくお願いいたします。

そして、そんなに遅くない時期に再構築した内容を本のような状態で完成させたいと思います。
ちなみに再構築した内容は『未完』の内容と、ブログのカテゴリーにある『救世』を組み合わせたような内容になると思います。


下記は最近のInstagramの内容です。

【10月16日】
涼華さんと近所の氏神様に参拝してきました。
参拝後に「少しドライブしよう」ということになり、足を向けたのが熊本県天草市五和町御領にある『鬼の城公園』です。

『鬼』に関係する場所は危険そうなイメージですが、天草地方の伝説では、村人と仲良くしていた鬼がお坊さんと力を合わせて、村人を襲う『大蛇』を退治したという場所らしいです。
つまり危険な鬼に関する場所ではないようです。

ちなみに鬼には様々な説がありますし、日本各地に鬼の伝承が残っています。
実際に『鬼のような異形の存在』がいたのかもしれませんが、大昔の人は日本人とは風貌や言葉が違う『異国人』のことを「鬼」と感じたのではないかと思います。

僕も涼華さんも初めて訪れたのですが、鬼の城公園内は荒れ果てており、もはや放置されているような状態でした。
それなりにお金をかけて公園を作ったのだと思いますが、人が集まってこなければ公園の意味がありません。
そのため現在は『負の遺産』のような状態だと思います。

公園の近くに『大師堂(鬼の城寺弘法大師堂)』があったので足を運んでみました。

『弘法大師(空海)』様が祀られていますが、威厳を全く感じない巨大なお人形があるだけのため「これはひどい」と思いました。
『木彫りの仏像』などを設置した方が無難な気がします。



ブログの方は更新が止まっていますが、9月末から書いている記事がまだ完成していません。
とりあえず現在の時点で約7万文字程度になっていますが、最終的には約10万文字程度になるかもしれません。
結局、一冊の本を書いているような状態になっています。

もともとは『愛』についての内容をメインに書く予定でしたが、『言葉』と『祈り』についても触れています。
ある程度完成したところで「結局のところ愛は世界にどのような影響もたらすのか?」について補足しようとしたところ、『宗教』や『神話』、そして『世界の救済』についても書くことになってしまい、延々と加筆しています。

完成したら記事にしますが、今回は「伝えたいことの粗削りな状態での内容」になりそうです。
粗削りな状態の内容のため理解しにくい部分も多いと思いますが、「だいたいこんな感じ」という内容で一度アウトプットすると、次回に『再構成』した時はもっとわかりやすく説明できると思います。
そしていつかは『完成形』にできればと思いますし、理想的には『本』にしたいです。

ちなみにある時から僕は『普遍的なもの』を作ることに興味を持つようになりました。
20代後半までは人間社会での『力』を求めていたのですが、力を求めることに無価値感を感じたわけです。

たとえば人間社会には様々な企業や会社がありますが、多くの企業は100年間持ちません。
ごく一部には100年以上の歴史のある企業もありますが、数百年間は困難だと思います。
実際のところ50年間でも継続できれば凄いことだと思います。

そして事実としては人間の寿命はせいぜい数十年間です。
必ずタイムリミットがあるわけです。

「生きている間に何を残せるのか?」と考えたのですが、僕が思ったのは人間社会での成功などよりも『真理などの普遍的なもの』を見つけて後世に残すことでした。
つまり『本質』の追求です。

たとえば仏教は約2500年ほど前から存在しますし、キリスト教は約2000年です。
キリスト教はユダヤ教がベースですから、ユダヤ教はさらに昔から存在します。
つまり「宗教の教えというのは数千年間廃れない」わけです。

企業の社長などになることも素晴らしいことだと思います。
しかし必死に自分の人生をかけても数十年間で消えてしまうのが現実です。

ですから単純な発想ですが、僕としては「数十年間の歴史を作るより、数千年間廃れないことの方がよほど重要」と思ったわけです。

たとえば現代は流行を重要視されますが、表現を変えれば「簡単に使い捨てできることが望まれている」ような状態の気がします。
だからこそ「流行などに影響を受けない普遍的なものを見つけることに魅力を感じた」のだと思います。

ただし、宗教を作ったり、開祖になりたいわけでもありませんし、名を残すことにも興味がありません。

とにかく『何らかの普遍的なもの(思想)』を残すことにロマンを感じたわけです。
その内容が完璧であればあるほど、後世に良い影響を与えることができると思いますし、普遍的なものは絶対に廃れないはずです。

一般的には「くだらないことを考えている」と思われそうですし、「そんなことを必死に考えて何の意味があるの?」と思わるかもしれません。
しかし、数千年間残るかもしれないことであれば、人生をかける価値があるのではないかと思います。

そもそもこんなことに人生をかけるのは、『頭がおかしい人』しかできない気がしますが、だからこそ「頭がおかしい人が人生を放棄して探求するべき」なのだと思います。


【10月21日】
お祭りの屋台などで定番のお菓子が『綿菓子(わたがし)』です。

お祭りは年中開催されているわけではありませんので、綿菓子を食べられる機会は少ないわけですが、現在は駄菓子で販売されています。



ちなみに僕が涼華さんと出会った頃の話ですが、涼華さんは自分の部屋に『マイ祭壇』を作っていました。
マイ祭壇とは自分の好みで神様などを祀る祭壇を作り、日々のお祈りなどをするスペースです。

ちなみにマイ祭壇といっても『神様の像』などを設置して、像に向かって「神様、私の願いを叶えてください」などと『偶像崇拝』をするようになるのであれば問題です。
なぜならば自分自身の『神性』と向き合わずに、『偶像の神様』を信仰するようになり、自分自身との繋がりが離れていくばかりになるからです。

そして偶像崇拝のような状態は『どこかにいる神様』に依存した信仰になるだけですし、自分が困った時に助けがなければ「私は必死にお祈りしたのに、神様は私のことを助けてくれなかった」などと逆恨みするようになります。

自分自身を救うのは自分自身です。

ですから『どこかにいる神様』に救いを求めるのは、ただの『他人任せ』にすぎません。
ちなみにごく稀に奇跡のような出来事によって救ってもらえることもあるかもしれませんが、その場合は「自分自身の気づきのため」ではないかと思います。

それではどのようにマイ祭壇を使用するのかといえば、マイ祭壇を『自分自身の心』や、自分自身の内側にある『神聖な空間』として表現します。

そして「私の守るべき大切な場所」として祀ることだと思います。
ですからマイ祭壇に向けてお祈りすることは、自分自身の心や、自分自身の神性と向き合うことになりますので、偶像崇拝とは全く性質が違います。

僕自身はマイ祭壇を作ってはいませんが、神社という場所と雰囲気が好きなので、たまに神社に足を運んでお祈りさせていただいています。

ちなみに「神社に行く必要があるのか?」と誰かに問われたら、日本の神々様からお叱りを受けそうですが「別に神社に行く必要は無い」と答えると思います。
なぜならばお祈りは自宅を含め、どこでも可能ですから、神社という場所にこだわる必要が無いからです。
僕は神社という場所が落ち着くので、神社に足を向ける機会が多いだけにすぎません。

結局のところ『お祈り』というのは自分自身と向き合う機会に感じます。

現在は少なからず祝詞を唱えることがありますが、もともとは祝詞など何も知らない状態でお祈りの旅を始めました。
そのため神社の拝殿で目を閉じてから「今日は何を祈ろうか?今日はどのように祈ろうか?」などと苦悩していた期間がかなり長かったです。

そして苦悩の状態から現在はどうなったのかといえば「いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします」にプラスして、「その時思ったこと」を少しお祈りする程度です。

ちなみにお祈りの旅を開始した頃に必ずお祈りしていたのが「私が進むべき道に進めすようにお導きをお願いいたします。そして、もし私が間違った道に進みそうな時はすぐにお叱りをいただけますようにお願いいたします」でした。

ある意味、お願い事かもしれませんが、基本的には「神様にお任せいたします」というような状態でした。
神道を歩む人からは「なんだそれは?」と指摘されると思いますが、振り返ってみますとなかなか効果的なお祈りだったような気がします。

「私が間違った道に進みそうな時はすぐにお叱りをいただけますように」とお祈りしていると、すぐにお叱りがあるからです。

なぜならば自分自身が自分の日頃の行いを一番よくわかっていますので、反省するべき点があれば、自分自身で「まぁ…その…今後気をつけます」と気づくわけです。
ですから自分自身に向けてお祈りすれば、嫌でも自分自身と向き合うこととなり、道を誤りそうな時は軌道修正のチャンスを得られるのではないかと思います。

マイ祭壇の場合は、自分自身の気分や、天からの受け取りで飾るものを変えるなど、自由に気楽な状態で楽しむのが一番だと思います。
また、日常生活に自分にとって『神聖な場所』を用意しておくことはとても良いことですし、自分自身と向きあう機会となりとても素晴らしいことだと思います。

ちなみに『わたがし』は僕と出会った頃に涼華さんがマイ祭壇に飾っていたアイテムでした。
当時の僕はマイ祭壇という存在を知らなかったですが、「え?なぜ祭壇に綿菓子を飾っているの?」と疑問しかありませんでした。

涼華さんいわく、当時の僕は様々なものを抱えてエネルギーが重かったらしく「少しでも軽くなるように」と毎日願ってくれていたそうです。

「綿菓子で?全く意味がわからん」と笑っていましたが、わたがしを見るたびに当時のことを思い出します。

久しぶりに涼華さんと一緒にわたがしを食べましたが甘い思い出です。

それがオチか!

余談ですが、僕の同級生にアニメが大好きな友人がいました。
友人の家に遊びに行くと、神棚にアニメキャラクターのフィギュアが祀られていました。
友人いわく「神棚が一番安全な場所」らしいですが、「……いや、お前が一番危険なんだよ」と思いました。
ただし、とても優しい友人です。