胸がしめつかられように
痛かった。


悲しみの波が
私の胸に迫り来るたびに

私はその波を呑み込んで
黙々と家事をつづけていた。



GWに入る前の日に
保育園の先生から

深く傷つけられた時も


私は帰宅してから
子供の本棚の整理をしたり

たまった子供たちの
ワイシャツのアイロンがけを
していた。



気持ちが混乱している時に
家事に専念することは

私にとって
一つの瞑想の手段だった。



2023年、

それはまるで昨年が
嵐の前ぶれを示唆するための
「静」だったのだと
天から告げられているかのように

今年は激動の年だった。



まずは1月の次男の共通テストから始まり
2月の前期試験、
3月の大学の合格発表、
北海道への卒業旅行、

そして4月から
大学生活のスタート。


私は3月に腰を痛め
そのあとはひどい風邪を引き

5月に入ってからは
保育園の退職を迫られるような
事態が起きた。


結局、私は保育園に
とどまる、という決断をしたのだが

一度辞めたいと意思表明を
したことによって

以前とは流れが
変わったことに

今になって気付いた。



私が退職を決めた時に
初めて

私が職場において
大切にしたい人たち、

大切にしたい想いに
深く向き合わされた。



それと同時進行で
私は新たな
行動を起こしていた。

それが
ヤングリビング、

私が愛してやまない
エッセンシャルオイルの
グループを退会しようと
決意したことだ。



私が今の保育園で働き出した
ちょうど5年前に

私はレムリアン・ヒーリング®️の
チカコさんの紹介で

ヤングリビングの会員登録をし
チカコさんのグループに
所属した。


チカコさんには
本当にお世話になっていたのだが

私の心のどこかで
チカコさんのやり方と
共鳴できない部分が出て来て

ずっと悩んでいた。


悩むというのは

私が天使の扉を開いてから
いつも

私が自分のハートの声に
忠実に生きるために

行って来たこと、


それは
自分が共鳴できない人とは

その関係を断つという
決断だった。


そして、
その意図を先日、

自分のリーダーとなる
チカコさんに伝えた結果、

保育園の退職の意を
伝えた時のように
強く引き止められ

今度、Zoomで
話し合いをして
決めることになった。




ヤングリビングは
高波動のエッセンシャルオイルだ。


私はこのアロマの魔法に
魅了され

この5年間、
ヤングリビングのアロマを
手に取らない日はない。


肌に直接塗布できることから

自分で手作りの化粧水や
クリームを作り

全身に塗っている。



このエッセンシャルオイルは
店頭では購入することができない。

すべて紹介制だ。



私は縁あって

ネットワークピジネスに
今まで

2016年、
2017年と
2回関わった。


どちらも
何度も講演会に足を運び、

自分で講演会を主催したことも
あったのだが、

結局、どちらも自然な流れで
消滅した。



私がこの2回に及ぶ
ネットワークビジネスに

必然的に関わる流れとなったのは

私の聖なる使命である
ヤングリビングの
エッセンシャルオイルに

出会うためだったと
確信している。



ネットワークビジネスを
学んだから

ヤングリビングのシステムが
決して怪しいものではないと

すぐに分かった。



私は2度の
ネットワークビジネスとの関わりで
学んだことは

私にはビジネスが
できない、ということだった。


それは私の使命ではなかった。


だから
ヤングリビングを

レムリアン・ヒーリング®️の仲間から
紹介されても

私はあくまでも愛用者であり


友人にこのアロマを
紹介することはあっても

決してビジネスには
発展しなかった。



私は純粋に
このエッセンシャルオイルを

愛していた。


だからヤングリビングの
アロマについての勉強会には
参加しても

ビジネスのセミナーには
一切足を運ばなかった。



ここに来て
私は今のグループから
抜けたい、と

数年前から心に抱いていた
チカコさんへの違和感を

LINEで直接本人に
打ち明けた。



なぜなら
私はうそ偽りのない人生を

歩むと決めたからだ。




ヤングリビングの
今のグループを退会する意思は

2年前から私の心に芽生えていて

大天使ミカエルにも相談して
意志を強く固めていたはずなのに


私の紹介者となる
チカコさんから

もう一度話し合いたい、という
メッセージを受け取り


退会の手続きを一旦止めて
話し合ってみるという道を
選ぶことにした。



何事においても
私は絶対に

逃げたくなかった。


どんなことにも

立ち向かうと
決意しているからだ。



ヤングリビングは
退会した後

半年間は他のグループに
所属できない。



ヤングリビングの製品を
購入するためには

必ず紹介者を
必要とする。


私はこれまでにも

ヤングリビングを使っていた
レムリアン・ヒーリング®️の友人たちに

連絡を取って
次なるグループを探していたのだが


どれもうまくいかなかった。



宇宙は私に
なにを問いかけているのだろう?



私は今まで以上に

深い愛の学びを
突きつけられていた。



ただ分かるのは

自分の目の前の現実から
決して目を背けずに

一つずつ
向き合っていかなければ
ならないこと。


その一つ一つの
積み重ねが

輝かしい未来に
つながっていくことだった。




保育園の人間関係も
少しずつ

落ち着いて来た。



私は
私を深く傷つけた
T先生とも

向き合うことに
決めた。



だからT先生には
常に心を配り

笑顔で対応した。


私は
地上の天使だ。


私に不可能なことなど
何一つなかった。


子供たちには
前以上に

一人ずつ
愛情込めて

接することを
心がけた。



私はもう2度と
ふれ合うことのないと思った

子供たちと
また一緒にいれるのだ。


本当に
「奇跡」だった。



保育園のこと、

ヤングリビングのこと、

子供たちの大学生活の
様々なフォロー、


息つく暇もないほど
忙しい時間を
過ごしているのに

まただ。



私の心を
強く揺り動かす

事態が起きた。




そこに意識を
向けると

自然と涙があふれた。


柴犬モモが
またご飯を

食べなくなった。



急に最近、
元気がなくなった。


私の夢は

私の魂の伴侶と
モモと一緒に散歩に行くこと。


私が神戸のこの地に
20歳の時に
越して来た時から

歩きつづけて来た
六甲山登山道入り口までの
緩やかな登り道が

私とモモの散歩道だった。


住吉川に沿って
山合いを歩くので

ここが都会だということを
忘れさせてくれる
憩いの道だ。



途中、甲南斎場があって
越して来た頃は

霊柩車が通る、と
懸念したが


それ以上の自然の美しさに
なにも気にならなくなった。




結婚した時に

もう2度と
ここには住めない、と
思っていたのに

「奇跡」が起きて
また私は

この愛する土地に
住んでいる。



いつか
子供たちと歩きたい、と
思っていた

六甲山登山口までの
登り坂を


まさか本当に
ここの住人として

再び歩けるようになるなんて。


世界は
「奇跡」に満ちていた。


でも
どんな「奇跡」が
起きたとしても

「命」の終わりが
訪れるのが


この地球上の旅路における
決して避けることのできぬ
通過点であり


これ以上はない
「愛」の学びだった。




いつか
いつか

その日が来ることを

私たちは
知っている。


父がいなくなることを

母がいなくなることも。


柴犬モモがいなくなることも。

3匹のネコがいなくなることも。


動物は

私たちより寿命が
短かった。



私は昨年から

イヤというほど
モモに似た犬と

道端で遭遇した。


ああ、モモは
もうすぐいなくなるんだね、って

天使に話しかけていた。



分かっていたけれど

日に日に
元気がなくなっていく

モモを見るのは
忍びなかった。



私の心が
激しく締めつけられ

平常心を
保っていられないのを


久しぶりに
感じていた。



朝も少し
散歩に連れて行った。


私は

「別れ」が昔から
キライだった。


どんなに
こらえようとしても
涙があふれ

激情に近い悲しみが
私の心に
押し寄せる。



14年間、
一緒にいた。


私たちの大切な家族。

モモ。



私はおろおろしていた。

なにをすればいいか
分からなかった。


モモのお皿に
エサが残っているのを見て

認めたくない事実を
天から
突きつけられているようだった。


「天命なのです。」と。




できるかぎりのことを
私はしようと思った。



私には
ヒーリングがあって

ヤングリビングの
エッセンシャルオイルもあった。



天使の助けを
借りよう。



私には
夢があるから。


魂の伴侶と共に
モモの散歩に行く。



私は決してひるまないし

あきらめない。



私は過去世において

死者をも蘇らせた
偉大なるヒーラーだ。



必ず「奇跡」を
起こす。

まだ見ぬ明日を
夢見て。


いつも心には
最愛の人を抱きながら

私に与えられた
愛と光の道を

前進していく。



あなたが好き。

あなたが大好き。


心の中で
浮かび上がる

私の唯一の
「真実の愛」を

抱きながら

歩き出そう。