日、一日と
私が負った心の傷は

癒えていく。


分かるのは

私が一つの壁を
乗り越えるたびに

私はより
地上の女神として
輝いていくことだ。


私は
私を深く傷つけた
T先生も

そのT先生に
私の陰口を吹き込んだ
K先生も

もう別の次元の人たちだと
判断し

哀れみの目で持って接し
保育に専念した。



明確になったのだ。

私の生きる目的が。

地上の天使として
生まれて来た子供たちを

慈しみ
守ること。


ただ、それだけに
専念した。

そこにフォーカスしだすと
絶対に許したくなかった
T先生もK先生も

私と同じ
目的に向かう同志と
とらえられた。



だから
私は先生方の
雑談話には一切関わらなかったが

子供たちの様子などの
大切な情報は

何気ない顔で質問し
普通に会話していた。



K先生とは
以前から大天使ミカエルから

明確に境界線を引くよう
言われつづけていたので

ちょうど都合がよかった。



私がGW最終日の日曜日に
園長に電話して

退職すると伝えた話しは
翌日、すぐにT先生に
伝わっていた。


T先生は
「なんでやねん!
別にあんたのこと、キライって
言ったわけちゃうねん。」と
ぼやいていたらしいが

私はT先生に対して
明確なる意思表示を
できたのだ。



私はいかなる圧力、
いかなる権力にも

屈しないことを。



もし大天使ミカエルの
愛と光のメッセージがなければ

私は傷ついた心を
引きずったまま

保育園で働きつづけ
また腰を痛めていただろう。


でも、大天使ミカエルに
言われたとおり

保育園を退職する、という
強い意思表示をすることにより

園長やU先生の
深い愛と優しさに
触れあうことができた。



最終的に
私が保育園に戻る
決断を下したのは

大天使ミカエルの
アドバイスでもなく

私自身のハートが
そう決めたのだ。



あえて許せない
相手がいる職場で

「許し、受け入れる」という
深い愛の学びを得るために。



保育園に
足を運ぶたびに

私を傷つけた
T先生とK先生に
激しい怒りの感情が
湧き上がったが

大天使ミカエルに
その感情は

私の心の傷が癒えるのに
必要な通過点だということを
伝えられたことにより

私は「今」に
集中することができた。



マグマのように
私の心の中に

吹き上がる
「怒り」の感情を
消し去るために

私は保育園の子供たちを
愛する、ということに

全身全霊をかけた。



GWを境に
驚くほど

腰の痛みが
引いていた。


前は恐る恐る
子供たちとふれあっていたのに

自然としゃがむことも
できるようになった。


園庭で
鬼ごっこしたり

ボール遊びをすると

たくさんの子供たちが
私のまわりに
集まって来る。


子供たちが
証明してくれるのだ。


私がどんなに
子供たちを愛しているかを。


そして
子供たちがどんなに
それを喜んでいるかを。




私はT先生とK先生から
受けた屈辱をバネに

子供たちを愛する、という
私が一番情熱を傾けたかったことに

フォーカスすることが
できるようになった。



それまでは
どうしても

保育しながらも
他の先生との会話も
大切にしていた。


ただ、そうした会話を
続けていると

人は必ず
私に依存のエネルギーで
接して来る。


「私の話しを聞いて欲しい」と。



それをいつも
大天使ミカエルは

懸念していた。


私が必要以上に
仕事で人に関わることにより

私は傷つき
そのリカバリーに
時間を要するからだ。


でも
この一件を境に

私は
文字通り
生まれ変わった。



クールな人間と
思われてよかった。

職場の先生方とは
保育園の子供たちに関する
会話以外は

心を一切
開かないことを
決意した。



無口になったのだ。

私の話し相手は
保育園の子供たちだけになった。



それは
本当に幸せな時間だった。


子供は
みな天使だ。



これが
私のしたかったことだ。

大人と
私はあまり
接することは
できなかった。



お迎えに来る
保護者に対しては

彼らの心が癒えるような
会話を心がけた。


どんなに
あなたのお子さんが
素晴らしい美点に
恵まれているかを伝え

彼らを笑顔にすることに
注視した。



これが
私のやりたかったことだ。


天に明確に
意思表示をすることにより、

人生は
何倍にも

喜びに満ちあふれていく。




私は
もう一人で

生きていけた。



今回、私は
大天使ミカエル以外、

ほとんど自分の心の内を
見せることなく

耐え抜いた。



体重は
その前に風邪を引いたのもあって

3kg落ちていた。


きつかったジーンズが
スムーズに入るようになった。

腰を痛めたから
ヨガもきちんとするようになった。



ネコがすぐに
ヨガマットで爪とぎしたり
かじるので

折り畳み式のヨガマットを買い
ケースに入れていたのだが

一瞬、目を離したすきに
また爪とぎされ

かじられていた。


もう笑うしかなかった。

幼い子供と
一緒だった。


汚れなき魂の
彼らにふれあうたびに

私のハートも
癒やされていく。




次男に
保育園の仕事に復帰することを
伝えた時にはじめて

「お母さん、
なにがあったの?」と聞かれ

簡単に説明すると
怒りを露わにし

「ぼくは、そんな上司に出会ったら
殴って会社を辞めて

学校の先生になるんだ!!」と

教えてくれた。



今年、大学1年になった
次男は

理系でただでさえ
勉強が忙しいのに

教職課程も取ったので
さらに忙しくなっていた。


今も次男を不登校から
救うことになった

大好きな個別塾の先生のもとで
子供たちに勉強を
教えている。


週に3回は
スーツにネクタイを締め

個別塾へと通う
次男を見るたびに

なんて立派に成長したのだろ、と
感慨深くなる。



そう、彼も乗り越えたのだ。

自分の弱さととことん戦い
大学受験という

彼の人生にはじめて
訪れた自分への挑戦に

見事打ち勝ったのだ。



のんびり屋の長男は

なにが起きても 
動じない強さでもって

私を陰ながら
支えてくれていた。


私の身に起きたことを 
唯一話せたのは

長男だけだった。



私が魂の伴侶と出会った時には
まだ中学1年生だったのに

「彼に出会って
お母さんのすべての傷は
癒えていく。

お母さんは
ターニングポイントを
迎えたんだよ」と

まるで天の啓示のように
私に伝え


翌年、私が離婚する時は

「お母さん、
前に進むんだよ。」と

私の背中を
優しく押してくれた。




昨夜は次男が
友達とご飯を食べて来ると
聞いて安堵した私は

夜9時に寝てしまっていた。



今朝は5時前に目覚め

布団の中で
ぼんやり9年前に

毎朝5時前に起床して
最愛の人に
電話をかけていた時のことを

思い出していた。


彼の「おはよう」という声が
私の耳に届くだけで

私のハートは
喜びでいっぱいになった。


その声を聞くだけで
私は安堵し

この人が私を世界中で
一番愛してくれる人だと

私が世界中で
一番愛している人だと

確信していた。



そんなことを
おぼろげに思い出しながら

ブログを書き出していた。


ブログを書くことは
今の私への新たなる気づきを与え

大天使ミカエルの愛と光の
メッセージのチャネリングの
練習にもなった。


朝、7時すぎに
子供たちは

次々に眠そうに
目をこすりながら

起きて来る。


この今の「当たり前」が
いつかは

未来の私にとって
かけがえのない
幸せな時間となるのだ。


私は共に
笑い、悩み、
心から愛した子供たちを
手放す時

子供たちと離れて
暮らすことになった時


どんなふうに
「今」を思い出すのだろう?と
思うと

涙が出た。



涙が出るということは

私が日々の幸せに
心を傾けだしたということは


私の心の傷が
完全に癒えたという
証拠だ。



私の傷の修復に
最も役立ったのは

保育園での子供たちとの
触れあいだった。


子供たちと触れあうたびに

ここに帰って来てよかったと
幸せの波に包まれた。




もう二度と会うことはない、と
覚悟を決め

退職するという道を
私が歩きだしたから

今の私の幸せがある。




私はどんな困難が
私の人生に訪れようと

乗り越えてゆける。



私のかたわらには
いつも

大天使ミカエルがいた。



私が保育園に
復帰する、と決めた日、

保育園に向かう
住吉川沿いの道に

私の目の前に
一匹の美しいカワセミが
現れた。


カワセミは
私の人生にここぞ、という時に

サインとして
現れる。



ああ、
高次元の天使たちが

みんな、
みんな、
見守ってくれている。



感謝の涙が
あふれた。



私は決して
一人ではない。

今、この瞬間も
私は私を見守る

大勢の天使たちに囲まれ
生きている。



大天使ミカエルの
愛と光のメッセンジャーとして

生きている。



最愛のあなたを
心に抱きながら

生きている。



あなたが好き。

あなたが大好き。



この想いがあるから

私はより
輝きながら

瞬きながら


天使の翼を広げ

生きていける。



私は
あなたを愛している。


一点の曇りもない
まっすぐな想いで

最愛のあなただけを
愛しつづけて
生きていく。