ケイの旅ブログ

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主に出掛けた時の事を綴っています。
関東、甲信越、時には遠出。
お花や城跡、2PMが好きです。
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おはようございます音譜
 
NHKの大河ドラマ、「豊臣兄弟!」が始まりましたね。
 
実は私も10年くらい前に「豊臣兄弟」の生誕地を訪れて
 
ブログに書いたことがあります。
 
 
10年も経って周辺も大分変わったと思いますが、
 
今回はその時の記事を短くまとめて載せますね。
 
 
場所は名古屋市中村区の「中村公園」です。
 
写真は、「中村公園」入口、「豊国神社」信号付近です。
 
 
 
手前が「中村公園」です。
 
因みに写真左右に通っている道路は、「清正公通」です。
 
 
現在の「中村公園」案内図です。
 
 
向きを変えると、正面が、「豊臣秀吉公」を祀った 「豊国神社
 
(とよくにじんじゃ)」ですね。
 
 
 
 
「豊国神社(とよくにじんじゃ)」です。
 
 
創建は明治18年(1885)です。 
 
こちらの神社を含めたこの周辺が「豊臣兄弟」の生誕の地
 
ではないかと考えられています。
 
 
 
「豊国神社」の東隣の「豊公誕生之地」です。
 
 
 
 
「豊臣秀吉誕生の地」の案内板もありますね。
 
 
 
最近では「秀長公」と「朝日姫」も同父同母ではないかと
 
いわれていますね。
 
 
 
この時は閉まっていて入れなかったのですが、「秀吉清正記念館」
 
があり、その庭園ではなかったかな??
 
 
 
「中村公園」の東に位置する「常泉寺(じょうせんじ)」に
 
行ってみますね。
 

「常泉寺」の参道です。

 
 
 
「常泉寺」の「山門」を潜ります。

 
 
 
こちらが「本堂」です。

 
「常泉寺(じょうせんじ)」は、「日蓮宗」の寺院です。

山号は「太閤山」。

「豊国大明神」の廟堂として、「秀吉公」「加藤清正公」と開山
 
「圓住院日誦上人」で創建されたそうです。

創建は、慶長11年(1606)。

寺号「常泉寺」は、「秀吉公」の誕生当時、近郷に類のない
 
清水の溢れる井戸(現在の産湯の井戸)があったことが
 
名前の由来です。

境内には、「豊太合産湯の井戸」や「お手植えの柊」などがあり、
 
寺宝として「秀吉の肖像画」の他、「秀吉公」が所持したと
 
伝えられる「采配」、「茶釜」、「硯」などが所蔵されています。

 
 
境内にある「豊太閤之像」です。

 
 
 
「豊太閤之像」のお隣にあるのが、「豊太閤産湯の井戸」です。

 
この「井戸」は「秀吉公」生誕当時、近郷に類のない「清水」の溢れる
 
「井戸」だったと伝えられています。

昭和40年代に入り、市の発展に伴い地下水の変動で常泉も
 
枯れましたが、多くの人々が元の姿に戻すことを願っていました。

平成に入った機に、「常泉寺」の名の通りの再現を試み
 
「清水」がよみがえりました。

滝の落下する後ろの石は「千成瓢箪」に因んで、「萬成石」を
 
使用しています。
 
                      (案内板参照)
                                                            


「豊公御誕生寺」の石碑。
 
 
 
 
 
「常泉寺」を後にして、「加藤清正公」生誕地と伝えられる
 
「妙行寺(みょうぎょうじ)」に行ってみますね。

 


「妙行寺」山門を潜ります。

 
「清正公誕生之霊地」と書いてありますね。


 
 
 
「加藤清正誕生地」の案内板です。

 
「清正公」は幼名を「虎之助」といい、永禄5年(1562)、
 
この地で生まれたと伝えられています。

天正(1573~)のはじめに秀吉に仕え、数々の武功を
 
たてました。

特に「賤ヶ岳の七本槍」は有名です。

後に「肥後国」五十四万国の領主となりました。

慶長15年(1610)「名古屋」城築城の時、自分の生誕地に
 
城の余材を持って「妙行寺」を再建したと伝えられます。

寺内には秦賜の撰文「清正旧里之碑」があります。                                                   
 
 
境内の様子です。

 
 
 
「本堂」です。

 
「妙行寺(みょうぎょうじ)」は、「日蓮宗」の寺院です。

山号は「正悦山」。

本尊は、「法華三法」です。

創建は不詳ですが、元は「本行寺」と号する「真言宗」の寺院で、
 
永仁2年(1294)に「日蓮宗」に改宗されたといいます。

その後火災により焼失しましたが、時を経て「妙行寺」として
 
再建されました。

「加藤清正」は元々「妙行寺」の近くで生まれ育ったとされ、
 
慶長15年(1610)の「名古屋城」築城の際に
 
その余材を使って「妙行寺」を自分の誕生地に移築再建しました。

そのため「熊本」の「本妙寺」とは深い関わりがあり、
 
「江戸時代後期」には「尾張国」の「清正公信仰」の

中心となっていました。

昭和35年(1960)、境内に「清正公」の銅像が建てられました。

お寺所蔵の文化財としては、「絹本著色加藤清正画像」や
 
「紙本著色一尊菩薩画像」があります。


「本堂」の裏のお庭へ行ってみましょうね。
 
 
 
「清正公」ですね、

 
「加藤清正」(1562~1611)は、「安土桃山時代」から
 
「江戸時代初期」にかけての活躍しましたね。

「熊本藩」初代藩主です。

通称は「虎之助」。
 
熊本では「清正公さん(せいしょこさん)」と呼ばれて
 
親しまれているそうです。

「豊臣秀吉」子飼いの家臣で、「賤ヶ岳の七本槍」の一人です。

「秀吉」に従って各地を転戦して武功を挙げました。

 
「清正」は、「秀吉」の親戚だと聞いたことがあります。

生誕地もこんなに近いのですね。

「清正」は、「刀鍛冶」の子として生まれました。

「秀吉」の生母である「大政所」と「清正」の生母が従姉妹、
 
あるいは遠縁にあたるらしいです。

天正元年(1573)、近江「長浜城主」となったばかりの「秀吉」に
 
「小姓」として仕えたのが始まりだそうです。
 
 
お庭をもう少し見てから帰ります。
 

 
 
「清正公誕生之地」  の石碑もたっていますね。

 
 
 
 
 
 
ご訪問くださり、ありがとうございました。