できるお子さんにもいろいろあるように思います。例えば頭働き。切れるアタマを持つお子さん。判断の素早さ・正確さ。そのような力を兼ね備えている。廻るアタマを持つお子さん。思いもかけぬ発想で周囲を驚かす。そのような力を兼ね備えている。この2つのものは同じじゃない。できるお子さんのタイプがこの2つにきっちり分かれるわけではないのですが、それぞれの要素の強い・弱いがあるように思えるのです。

切れるアタマを持つお子さん。これは短時間の真剣勝負。例えばテストのようなものに向いている。おそらく御三家に受かるようなお子さんは、このタイプなのではないか。最近のブログ記事をあれこれ読んでいても、なるほど、とうなずける点が多いんですね。御三家に受かるためにお子さんに授けるトレーニングは、まさにこの切れるアタマを作るためにやっているように見えるんです。もちろん御三家に受かるためには、切れるアタマだけではなくて、その土台にどっしりした基礎が必要なことはいうまでもないのですが。切れるアタマを持つお子さんには「早熟」というコトバがよく似合うように思います。

では廻るアタマを持つお子さんの方はどうかといえば、これは時間無制限のアウトプット勝負。例えば研究や創作のようなものに向いている。ほかの誰に教わったわけでもないのに、自分なりの答えを導き出す力。そのような力を持っている。このタイプのお子さんは、切れるアタマを持つお子さんとは異なって、短時間の一発勝負が苦手な場合が多いように思います。でも、テストで頭抜けた結果を取ってくるわけではないのに、なぜかいつも、とんちの効いた発想で周囲を驚かせてくれる。廻るアタマを持つお子さんには「晩成」というコトバがよく似合うように思います。

いまどきの中学受験というものを考えた場合、学校の序列という階層社会の中で有利に働くのは、切れるアタマを持つお子さんたちの方でしょう。じっくり型の廻るアタマを持つお子さんたちにとっては、受験というハードルは少々高いかも知れません。しかしお子さんの人生を、もう少し長いスパンで考えたとき、むしろ廻るアタマを持つお子さんの方が豊かな人生を送るチャンスに恵まれているのではないか。そうも思うのです。

以下、いただいたコメントから:

同感です
 

すみません、同業ですが、先生のご意見に全く同感です。
ついポチっと押すだけでは物足りなく、ありがたい気持ちを
表せたらと思い、メッセージしてしまいました。

中学受験はたしかに切れる頭が有利だとは思いますが、それだけで
善し悪しが決まるものではないと思います。
そんなことで子供たちの才能、未来がつぶれたら、本当にもったいないことです。
また、受験で価値が決まるものでもないと思います。
ただ、子供に何かの目標があれば、それを手助けしたいと思う、そんな気持ちでいます。

読んで頂き、ありがとうございました。

飯島


お子さんたちの価値
 

飯島先生、コメントありがとうございます。

お子さんたちの価値。これを受験の結果から判断する。そんな風潮に、お子さんたちの価値はそんなことで決まるものではないですよ・・・。そんなことを伝えたくてブログをやっています。もう何年も前に家庭教師をやっていた経験から、自分の娘を教えてきたのですが、受験の結果ではなく、受験準備というプロセスからどんな果実を得ようとするのか。ここに目を向けることがとても大切なことのように思います。お子さん自身が「自分はこれでいい。愛されている」と感じることのできるような受験が、1つの理想だと思っています。

飯島先生のいつもおっしゃる「ありがたい気持ち」。いつ拝見しても「はっ」とさせられます。何に対しても「ありがたい」と思えること。難しいことですが、これこそが人の人生を幸せに、そして豊かにしてゆく秘訣だと思っています。私もこのことを自分の母親から学びました。そしてまたそれを、自分の娘に授けてやりたいと思っています。飯島先生のブログには先生の人柄がよく現れていると思います。多くのご家庭が、そこから今の中学受験に欠けている何かをメッセージとして受け取ってくれたらいいなあ、と思います。

どうもありがとうございました。ぱぱ塾ぱぱ