根室駅前を出発して30分ほどで納沙布岬に着きました。ここでは45分間下車しての見学になります。
納沙布岬は、北方領土問題から日本最東端と言わないで、「本土最東端の岬」「北海道最東端の岬」と言うのが正しいようです。
岬にある納沙布岬灯台は、明治5年に点灯された、北海道で最古の灯台だそうです。
(納沙布岬灯台)
天気が良ければ、すぐ目の前には歯舞群島の水晶島や貝殻島、そして国後島などの北方土が見えるはずでしたが、霞んでよく見えませんでした。
根室半島からわずか3.7km一番近い北方領土、貝殻島を何とか肉眼で確認することが出来ました。 貝殻島はその名の由来であるアイヌ語の「カイ・カ・ラ・イ(波の・上面・低い・もの<岩礁>)」が示すとおり、低潮時には海面に姿を見せるが、高潮時には水没するため、正しくは島ではなく「低潮高地」と言うそうです。
(肉眼で何とか見えた「貝殻島」)
釧路から根室・北方領土にかけては昆布の宝庫で、この地域のものは世界一長い昆布としても知られていて、日露昆布協定で毎年6月から9月にかけて昆布漁が行なわれるそうで、6月に採れるものを「棹前(さおまえ)」、7月中旬以降を「夏昆布」、そして9月以降のものは「後採り」と呼ばれ、特に貝殻島付近で採れる柔らかい棹前昆布は格別だとそうです。
貝殻島の次に近い水晶島は7㎞先。島名の由来は、アイヌ語の「シ・ショウ(大きい・裸岩)」が「シイショウ」に変化したと言われるとおり、島の最も高いところで標高18メートル。そのため、望遠鏡で見ても国境警備隊の建物とみられるものが何とか確認できる程度でした。
(北方館の双眼鏡からの水晶島の島影)
(北方館のテレビ望遠鏡で見る貝殻島灯台)
納沙布岬は、最東端の岬というほかに北方領土に一番近い岬でもあることから、北方領土返還に関係する建物などが多くありました。
まずは、昭和56年に完成した高さ13mの北方領土の早期返還を祈念して建てられた 「四島(しま)のかけ橋」。前にある「灯火台」には沖縄から運ばれた「祈りの灯」が燃え続けています。
つぎは、「きぼうの鐘」です。昭和62年北方領土の返還を願って日本青年会議所が建てたもだそうです。
「望郷の家」は、第2次世界大戦後、北方領土の島々を追われた元島民の心のよりどころとして、戦前の四島の生活に関わる資料や四島の街並みを折り込んだ地図などを展示している施設でした。
その隣は昭和55年に併設された「北方館」。パンフレットには「北方館は、北海道根室市の根室半島最東端・納沙布岬に位置しており、北方領土返還要求運動の原点の地で、目の前に広がる日本固有の領土である北方の島々を望みながら、北方領土問題の発生の状況や歴史的経緯を展示資料によってご覧頂き、返還運動への皆様の深いご理解とご参加を得て、より一層の国民世論の高揚を図り、一日も早い北方領土の返還実現をめざすために開設しております。」とありました。
(望郷の家(左)と北方館)
「北方館」「望郷の家」を運営しているのは、「独立行政法人北方領土問題対策協会」というところです。
設立の目的には「北方領土問題その他北方地域に関する諸問題についての国民世論の啓発並びに調査及び研究を行うとともに、北方地域に生活の本拠を有していた者に対し援護を行うことにより、北方領土問題その他北方地域に関する諸問題の解決の促進を図ること。」と「北方地域旧漁業権者等その他の者に対し、漁業その他の事業及び生活に必要な資金を融通することにより、これらの者の事業の経営と生活の安定を図ること。」だそうで、年間予算は16億8,500万円(平成23年度)で、そのほとんどが交付金と補助金によるものだそうです。
北方館には、3種類の図柄のある「北方領土視察証明書」が準備してありました。
(北方館でもらえる証明書)
又数多くの資料の中には、外務省が作っている「2010年 われらの北方領土 資料編」という、日ソ・日露間の首脳・外相会談一覧や主要事項年表、北方領土関連の条約・宣言など、北方領土問題を理解するための情報が載った60ページあまりの冊子が無料で配布されていました。
つづく