やりらふぃーを君は心の底から馬鹿にできるか


なんのために生きてるか、それはやはりどう考えても自身が幸福になるためだろう。人類の大義のため、子孫を残すため、いろいろそうじゃないという意見も出てきそうだが、どれをとっても結局は自身の幸福のためという利己的な目的に集約されると思う。それなりに楽しい幼少期を過ごし、それなりに充実した青春を送り、それなりに気に入ったパートナーを見つけ、それなりに良い家庭を築く。それなりにやりがいのある仕事を見つけ、社会に貢献している感じを持つ。そして次世代の者が次の時代を作っていく様子を見届けて死ぬ。その中でいかに自分は幸福だったか、自分がこの人生を体験できてよかったのだと思えるかどうかが大切なのだ。

なぜ小さい時から頑張って勉強するのか?大人になっていい会社に入れるようにするため。なぜ?多くの給料がもらえるから。なぜお金がたくさんいるのか?お金がたくさんあったほうが幸せな生活を送りやすくなるから。
はたまた、教養ある大人になるために勉強しろと言う人もいる。なぜ教養ある大人になりたいのか?まわりから立派な人として接されるから。なぜ立派な人として接されたいのか?その方が多くの人から好かれ、幸せになれるから。

要するに人は幸せになるために勉強するのだ。

しかし、勉強をする過程で自信が幸せになるという目的を忘れてしまう人があまりに多い気がする。

あくせくと真面目に勉強し、真面目に働いて、真面目に生きすぎているため世の中そのものを心の底から楽しむと言うことを忘れてしまっている。常に心の中には仕事、勉強、課題などのやるべきストレスフルな事柄がある。ちょっと待てと。その仕事や勉強は幸福になるためにやっているんじゃなかったのか?なのに幸福になるなり方を忘れてしまっては元も子もないじゃないか!!!!今嫌なことをやって、後でいいことができるようにしようという考えが根本にあるのだ。しかし嫌なことをやるのに慣れすぎて、いいことをいいことだと思えなくなっているのだ。嫌いな食べ物を先にいっぱい食べすぎたせいで気持ち悪くなってしまって、後で食べようと残しておいて好きな食べ物も全然美味しくない、という状況だ。それやったら先好きな食べ物食べとけばよかったやん。

世の中には好きな食べ物を先に食べる派も存在する。人生楽しんだもん勝ち!!とか言ってるパリピっぽい大陽キャな人たちは本当にそうだ。ほとんど勉強をせず、とにかく今を楽しむことに全力の人たち、青春を楽しむことに全てを賭けている人たち。厳密にはちょっと違うかもしれないが、そう言う人達のことを今の言葉では「やりらふぃー」とか言う。
好きなものを後で食べる派の人たちは往々にして彼ら彼女らのことを馬鹿にする。君たちは愚かだと。もっとちゃんと生きろ、と。

いきなり俗的な話になるが、昨日YouTubeで「田奈高校tiktokまとめ」なる動画を見た、tiktokとは短い動画を配信するアプリで、何かの曲に合わせて一人で踊ったり、みんなで踊ったり、はたまた面白いネタ動画を投稿できたりするSNSだ。このアプリを使っている層が特にこういう好きなものを先に食べる派の人たちで、自身のキラキラした姿を他人に見せるというところに目的が集約されている。そして田奈高校はその中でも特にtiktokに全力をかけている人たちが多いということで有名な、いわゆる"Fラン"高校であるらしい。
動画からは彼ら彼女らのヤンキーっぽい感じ、見た目に全振りしている感じ、性的に乱れてそうな感じ、勉強とか絶対全くしてないんだろうなと言う感じ、そして何より、高校生しんぬほど楽しんでるぜ!!って感じがめちゃくちゃ伝わってきた。
あとに残るのはちょっと嫉妬にも似た感情、こんな世界はちょっと自分には合わない…という卑屈な感情。

そして動画のコメントに目を移す。そうするとやはりさっきも言ったように、彼ら彼女らを馬鹿にするコメントで溢れかえっている。
「きっと高校が人生の全盛期だろうからエンジョイしてほしい」「ここに行けば(勉強で)学年一位取れそう」どれもいいね数がかなり多いコメントだ。

いやいや、ちょっと一旦待ってよく考えよう。
一つ目のコメント。
高校が人生の全盛期であることになんの問題があるのだろう。彼はきっと彼らがこの先不幸になるだろうと言うことを想像して言ったのであろうが、そんな保証はどこにもない。そして僕が思うに彼らは人生の楽しみ方を知っていそうだから経済的にある程度やっていけさえすれば不幸のどん底に陥ることはそこまでなさそうに思う。見込みが甘いだろうか。
とにかくこの動画を見て彼らが不幸になりそうだと思うことは感覚には合わない。いろんな卑屈な感情からでた理論といったところか。

二つ目のコメント。
大体ここで学年一位を取れたとしてそれ楽しいか??自分は皆を見下しているつもりでも皆から君は多分見下されている。本当にこの高校で天下を取りたいならどっちかというとtiktokのフォロワーで学年一位をとって1番の人気者になる方が良いんじゃないか?
ここに勉強してきた勢の「勉強ができるやつは全てにおいて上」という偏差値至上主義が現れている。悲しながら幸せになるのは往々にして皆どちらかと言うと下手だ。
(しかしこのtiktokのフォロワー数が多ければいいというのもフォロワー数至上主義の現れでもある。それもまた幸せに直結しているわけではない。)

そう、動画を見た人は彼らに「嫉妬」しているのだ。
こんなにキラキラして見える高校時代をおれらは送っていないと。だからなんとかして正当化して馬鹿にすることでバランスを保っている。
しかし好きなものを後で食べる派の僕達は今見ている彼らのピークをこの先超えることができるのだろうか??そんな不安が頭をよぎる。本当に心の底から彼らを馬鹿にできるのか。俺は将来本当に心の底から幸せになれるのだろうか。

勉強よりも本当に学ぶべきは、幸せになる方法だ。