26歳頃、下肢障害で当時は片松葉杖を使用していました。住宅設備会社に障害者雇用枠で中途入社しました。仕事は設備図面の設計でした。座る仕事を希望していたので、そうなりましたが、設計は、あちこちの部門とのやりとりやお客様との電話でのやりとりが多く、吃音でとても悩みました。チーンチーンチーン

 学生時代までは、言えない言葉は違う言葉に置き換えて話すことは可能でしたが、会社員としての職場では、それがあまり使えないのです。お客様の会社名とお名前は、正確に話さなければいけません。ガーンガーンガーンこのどもってはいけないというスゴイ緊張感のある日々が続いていたら、精神がやられました。笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

 パニック障害と不安障害で、精神科に通院することになりました。話すことが少ない仕事はあまりないので、昔は肉体労働で何とかなるとおもっていたら、下肢障害でそれが不可能になり、事務仕事しかできなくなりましたが、座る仕事は、話す機会が多い仕事ばかりです。

 

 設計の仕事はやりがいがありましたが、設計から総務業務部に人事異動になり、もう精神的に不安定でしたね。総務業務部なので、とにかく話す機会がすごく増えたのです。滝汗滝汗滝汗

 

 上司に私は吃音なので、電話にでるのが苦手です。などと説明してもダメでしたね。営業マンは、昼間営業で事務所を出払っているので、事務の女子社員が忙しくて電話に出れない場合は、私は、対応しなければいけません。もう頭がパニック状態です。

 

 それから数年後に退職しましたが、今振り返るととても無理していたと思います。ガーンガーンガーン