昨日、叔父が他界した。

86歳だった。

 

幼少の頃から可愛がってもらい、私も慕っていた。

遠方に住んでいたが、たまたま同じ県に赴任したこともあり、社会人になってからも交流は続き、結婚式にも参加してもらった。

叔父、叔母というものは大概、成人になると何となく疎遠になってしまうことが多いが、この叔父だけは大人になっても関係が続き、2人で酒を飲みかわす仲でもあった。

 

それだけに、予期していたこととはいえ、連絡を受けたときはやはりショックだった。

遠方でもあり、なおかつ家族葬を希望しているとのことだったので、弔電だけ送ることにした。

 

叔父はその父(つまり私の祖父)が興した会社を2代目として引きつぎ、オーナー社長として事業をしていた。

従業員は10人にも満たない小さな町工場だったが、経営者の才覚があったようで無借金経営で堅実に経営していたようだ。

評判を聞きつけた投資家から「株を売ってくれないか」と持ち掛けられたこともあったようだ。

 

叔父の家に遊びに行くのは毎年夏休みだった。行くと必ずおもちゃを買ってくれた。

それは我が家では決して買ってはくれない金額の物ばかりで、私は毎回目を輝かせておもちゃを選んでいた。

大学生になってからはひとりで遊びに行くこともあり、その度にちょっと多すぎるのではないかと思うぐらいの小遣いをくれた。食事に連れていってもらう時も高そうな寿司屋や焼き肉屋で、「好きな物を食べなさい」と言ってくれた。

初めて会社(BMW)を運転させてもらって、高級車とコンパクトカーではこんなにも乗り心地が違うんだということも実感させてくれた。

 

どうやって富を築いていたかはわからないが、不動産の話などもよくしていたし、どこそこの会社は景気がいいな、などという話もしていたので株も手広くやっていたのだろう。骨董品にも詳しいようだった。

 

親戚の中では間違いなく飛びぬけて金持ちの存在で、幼少の頃から、「なぜこの叔父はお金持ちなんだろう。工場は小さいのに。そしてどうしてうちはお金持ちじゃないんだろう。父は名の通った会社に勤めているのに」と思っていた。

 

そしてその謎は私が富を目指し始め、投資や税金の勉強をしていくうちに解けた。

 

「会社」という箱だ。

 

どのような会社経営をしていたかは定かではないが、叔父の妻や子供たちも会社にいる姿を何度も見かけたのでおそらく役員給与を取らせているのだろう。また、自宅も社宅として計上しているかもしれないし、クラウンは間違いなく経費で落としている。

そしておいしいご飯を食べさせてくれたときも「どうせ税務署に持っていかれるんだったらこうやって使ったほうがいいんだ」などともよく言っていた。

会社の社宅として購入したマンションには子供夫婦を住まわせたりもしていた。

 

「経費」と「節税」。

当然、会社がうまく回っていることが前提だし、叔父の勤勉さと才覚があってこそのことだが、「会社」という魔法の箱が大きな役割を果たしていたことも間違いないと思う。

 

私が今、富を目指しているの理由のひとつに、そんな叔父の姿を見てきたことが間違いなくある。

 

叔父さん、もっと色々教えてほしかったですよ。

残念です。

でも、おかげで私は今、叔父さんの足元にも及ばないけど、会社を作って自分の足だけで立とうとしようとしています。

うまくいくかどうかわからないけど、どうか見守っていてください。

 

叔父さんありがとう。

大好きでした。

86年間、お疲れさまでした。

安らかにお眠りください。