あの、ぶ厚い聖書、読んだことがありますか?
読んだことがなくても、家にあった、いくつかの話なら知っている、小説になっているものを読んだことがある、様々かもしれませんね。

現在、私たちが手にする聖書は、およそ500年前、マルティン・ルターが、プロテスタントという宗派を建て上げたからこそ手にいれることができるようになりました。

それまで長い間、カトリック派が、キリスト教というものを独占することで、富と政治をコントロールしていたのですね。神と対話できるのは唯一ローマ法王だけである、恵みが欲しければ、免罪符(お守り)を買いなさい、聖典は教会員しか見ることが秘伝書である等々。

そこにドイツ人のルターは異を唱えました。
聖書にはそんなことは書いていない。神は私たち一人ひとりと対話する、神を信じる者すべてに救いを差し伸べてくださる。お守りがないと恵みをもらえないとは、では富のある者しか救われないということか?等々。

そして当時ちょうど、グーテンベルクが活版印刷を世界で初めて発明しました。この技術を用い、世界初めて、聖書を印刷し、一般人が読めるように普及しようとしたのです。カトリックは富と政治を独占したいがためにを異端者とし、火あぶりにしました。しかし彼の遺志は着実に継がれ、書店に聖書が並ぶ現在となりました。

神様とは限定された一部の人の特権ではない、神様は万人のためにいると聖書には書いてある、と唱えたルターの登場と合わせて、活版印刷の技術が世に登場したのは、神様の采配だと信じます。

この聖書一冊、66巻からなっています。当時の書物は巻物でしたから66本の巻物です。早いものでは、紀元前1600年代に書かれたもの(モーセが海を割いた、というあれですね)から、最新のものはおよそ2000年前に書かれました。

古いものから39巻を旧約、後の部分27巻を新約と呼びます。旧約は、イエスキリストがこの世に送られる前に書かれたものです。新約は、イエスがこの世に来たあとに書かれました。

イエスはユダヤ人として、ユダヤ教の慣習のなかで生まれ育ちました。旧約聖書はもともとユダヤ教の聖典ですから、イエスも旧約聖書を読んでいました。

聖書は誰によって書かれたのでしょう。
少なくとも36人以上の人々様々な人が書いています。王様、学者、漁師、医者、羊飼いと、様々な身分、職業、識者たちが、様々な年代に書いたもので、書かれた時期は1千年もの隔たりがあるものもありますが、書物間の内容は完全に一致と調和を保っています。

彼らは時代も住んでいた国も違います。知り合い同士でもありません。風俗、習慣、時代も違うのに、矛盾がないばかりか、天地創造~終末まで、驚くほどの一致と調和があるのです。

そして旧約聖書の中で預言されたものが、新約聖書の時代になってから、何百もの数の預言が本当の出来事になりました。

これは人間の技では無理です。

聖書は、5000年間の出来事が綴ってありますが、どうしようもなくだらしない人間、弱い人間のオンパレード。おかげで感情移入できるキャラクターばかりです。そんな人間たちが、神様の想像しえないほどの深い愛を知り、知恵を知って、見事に立派な人になっていきます。