①令和4年5月21日参拝
まぁ、近いしなんとなく。
さっそく大きな庚申塚を見つけまして 👀
青面金剛が三猿を踏みつけるタイプが3基。
手水にも三猿 (゜□゜*)
これらは広尾稲荷の別当寺だった千蔵寺からの移設とのこと。
ここは広尾稲荷の社殿裏だったのね。
神社の正面へまわると皇紀2600年を記念する大きな常夜燈が建っていました。
社殿周りがちょっと窮屈?
でも社域と道幅は昔からほぼ変わりないので社殿が大きくなってしまっただけなんですね。
古地図を見ると現在地に稲荷社があって南方150mにも富士見稲荷がありました。
港区って昔は鷹狩をするようなところだったわけですが、
麻布村に建てられた将軍の休憩所に屋敷神として勧請されたのが富士見稲荷でした。
鷹狩りをしない徳川五代将軍綱吉の頃には白金御殿という別荘になり間もなく火災に遭って富士見稲荷は近隣に遷されたのちに広尾神社へ合祀されたそうです(南麻布富士見町会のHPより)。
廣尾稲荷の創建は詳らかではありません。
まぁ、稲荷はわからないよね 🙄
霊験は大小でもないし。
ここにも皇紀2600年記念碑(左)。
石碑は氏子さんの団結力
𓆝𓆟𓆜𓆞𓆡
②令和4年8月4日再訪
iOSアップデートしたらカメラの設定が勝手に露出+++/Live Photosオンになってて咄嗟に好みの写真が撮れなかった日
この日の東京は朝から激し過ぎる雷雨でした⚡️
神社の方とは挨拶もそこそこに、
「ちょっと!さっきのカミナリ!」
「すごかったです〜っ!」
当たり障りないはずの天気の話題も異常に盛り上がってしまうからカミナリは偉大。
拝殿に高橋由一の天井画という説明書きがあり殿内を見上げる。
|ω・) 天井いっぱいの墨龍図!
ん〜、でもよくわからん。
廣尾稲荷神社の御朱印です。
印版がうれしい。
さっき賽銭箱の横から天井画を覗いていたのを見ていたのか「よかったら上がってご覧になったら?」と職員さん。
ありがたく昇殿させていただくと、
さっきは見えてなかった拝所から見て左側に龍頭があったのでした!w
外に向かって藍川藤原孝経拝画のサイン。
高橋由一は幼少期から狩野派の絵師に日本絵画を習っていて明治から油絵に転向した方らしい。
作風で雅号を変えたんですねぇ。
下野藩主堀田正衡の家臣を父に持つ由一は広尾の堀田藩下屋敷に幼少期から出入りしていて、
周囲から画才を認められていたので堀田藩邸の近所にある廣尾稲荷が再建された弘化4年(1847)天井画を描く機会が由一に訪れたのですね。
これハタチの時の作品ですって‥
イラスト加工してみるとわかりやすい。
墨龍図を見終えて神社を出るころには雨が上がっていました
令和5年5月20日再訪
iPhone14にして広角レンズで撮影することができるようになって早く行きたいと思ってたのが広尾稲荷でした。
改めて見てすごい天井画だわー!
◆廣尾稲荷神社(広尾稲荷神社)
東京都港区南麻布4-5-61