令和3年11月28日参拝
20番岩之上堂からすごく近かったです
ここら辺まで札所間の距離が割と近くて、
車参拝だと「えっ、もう着いちゃったの!」が続きます。
後半はキツいものがあるけどね〜。
なんか変わった木が2本あるね
観音寺は真言宗豊山派の寺院で聖観音菩薩です。
大正12年(1923)小学校火災に類焼して再建のために小鹿野町の廃寺を移築して本堂としました。
創建縁起〝八幡宮の社地に聖観音を祀ろうとしたところ邪魔してきた鬼を八幡神が矢を放ち追い払った〟は崇仏論争を匂わせる話に聞こえてしまう。
公式にチラッと矢納村(児玉郡神川町)から移ってきたのではないかという記載がありました。
矢納の地名は日本武尊が矢を納め社を建てたことに由来しており、
東征に帯同した氏族が武器庫を置いたか住み着いたという事が考えられます。
長享2年(1488)の番付では19番谷の堂とあるので昔から(二字の制以降も)単にヤと呼ばれていたようです。
古代鉄器を使用した武器を生産していたと知られる物部氏の祖ニギハヤヒといえば矢ですね。
日本武尊が尾張に残して東征した宮簀媛命の出自は物部氏を祖とする尾張国造
(๑°ㅁ°๑)ハッ‼︎
あの二本の木は八幡さんだった。
矢尻まで描かれた紋。
矢尻が重要な理由があるのですよ。
見落としあるかも知れないのですが小さなお堂ひとつだったのであまり書くこともないんですよ。
矢之堂でいただいた御朱印です。
駐車場に秩父歌舞伎の座長を務めた中村十九十郎の供養塔が建っていました。
調べてみると秩父以外に出向いて興業するほど地芝居の域を越えたレベルの高い舞台だったようです。
まだまだ秩父の話は続きます。
■要光山観音寺(矢之堂)
埼玉県秩父市寺尾2354