仕事が終わっての帰り道。夜も24時を過ぎたあたり、男の独り暮らしなわけで、待っている人もいなければ、待っている『料理』も無い。
俺は、毎日、行けつけのカフェBARへ寄る。
「いらっしゃい」
少ない髪の毛を無理矢理オールバックにして、泥棒よろしく髭面たれ目のバーテンダーは、誰に言ってるのかもわからない目線で挨拶をする。
カウンターしかない小さな店の奥から2番目の椅子がいつもの特等席。
左後ろと右前のスピーカーからのジャズが一番心地よく耳に入ってくるポジション。
座ると同時に手帳を広げて、朝までにやる仕事をまとめる。
パサっと手帳を広げると同時に濃いめのコーヒーが右手付近に置かれる。
「ヌル目でいいんだよな?」
「ありがと」
コーヒーが飲み終わると、きっと残り物であろうカレーが出てくる。
「誰が食うんだよ、こんな辛いのをさ。」
「人気あるんだぜ、うちのカレー。」
「へー、本当かよ。」
文句いいながらも毎日通っている。
しばらく、マイルスデービスに耳を傾けていると、一人のお客さん。
俺は「マスターめずらしいね、この店の席が二つもうまるなんて。ははは」なんて言うとマスターは、
「うるさいわ!いらっしゃい。うちのコーヒーはヌルいけどいいかい?」
ドア付近に立っていたその女性は、スラっとしたスタイルで、パンツスーツを決めていた。
長めの髪はみごとに後ろにまとめていた。
「濃い目のバーボンを。マイルス聞く時はそうしてるの」と。
彼女は、時々、どこか寂しそうな目をしながらグラスを傾ける。
僕は、他の客に話しかける事なんてまず無いのだが、何となく影のある、この女性が気になって「お住まいが、お近くなんですか?」と訪ねてみた。
彼女は「いえ」
…「ふた文字」だけ言葉を発した。
「ふられてやんの」まるでそうとでも言いたそうに口の左側『だけ』をククっとあげてマスターがこちらを見た。
それ以上は何も話さずに、一時間が過ぎた位、そろそろ家に帰ろうと1000円札をマスターにぶん投げると、彼女も立ち上がり「一緒に帰る」と言い出した。
名前も年齢も住んでいる場所すら分からない彼女が、その日は、俺の家に泊まると言い出した。
10分も歩くと、俺の家のドア。
彼女は、後ろに束ねていた髪を下ろすと、ひとつふたつと頭を左右に振った。
大きく揺れる彼女の髪の毛からは、『多分』高級であろうシャンプーの甘い匂いがした。
健康な男子34歳まだまだ青春真っ只中にいる俺は、思わず、玄関にも関わらず、彼女を後ろから抱きしめた。
彼女は、ゆっくりと振り向くと、
「てめー殺すぞ!」
低くゆっくりと小さな声で俺に言った。
「えー!!!?Σ(・◇・;」
…。
……。
こえぇ、こういう女こえぇよ。ダメだよ、こういう女に手を出しちゃ。わかってるけどさー。
こういうの憧れてたなー。
大学生位の時、社会人ってこういうのだと思ってた。
名前も知らない女と、その日だけ恋人で、次の日には何もなかったかのような一日にもどる。みたいなの。
ねえから!そういうのねーから!ドラマだけだから!そういうの!
ま、学生が思い描く社会人と、実際の社会人の違いでした。