「悩みのるつぼ」
朝日新聞be 2026.3.21.
「知らない人に声をかける小6の娘」
女性 50代
文筆業 清田隆之さんの回答
「娘さんと思いを送り合いましょう」
相談内容:
小6の次女は、天真らんまん、友だちも多く、しっかりしている。
先日の夕食の時、「バス停でおばあさんに『こんにちは』と挨拶したら、
『あら~ご挨拶してくれるの?いい子ね~』と言われた」と嬉しそうに話してくれた。バス停は、我が家の横にあり、小学校の帰宅時に前を通る。
その際に、高齢の方に挨拶していることは以前から知っていた。
バス停を使うのはご近所の方が多いし、何より、かわいい娘がご高齢の方に挨拶をして少しでも元気になってもらえるのなら、私もうれしい。
でも、知らない人に挨拶する娘が何か事件に巻き込まれないか心配。
かといって「知らない人には挨拶してはいけない」などと注意するのも寂しい気がする。
挨拶する相手は高齢の女性だけで、男性にはしないようだが、今日挨拶した方は、息子さんと一緒だったようだ。今後もこのままで良いのだろうか?
娘に何と言ったら、よいのか、アドバイスお願いします。
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回答:「娘さんと思いを送り合いましょう」
今回の相談文には、一見ネガティブなところがない。
親としても、基本的には今のまますくすく育ってほしいようだ。
できることなら、無用な警戒心や猜疑心も植え付けたくない。
私も6歳の女子を育てる身として完全に同感......
だが、悲しいかな、<娘が何か事件に巻き込まれないか心配です>という言葉が
リアルなものとして理解できる、この社会の体感治安が悪化しているのも事実。
本来なら、誰とでも気軽に挨拶できる社会であってほしい。
でも知らない人、とりわけ「男性」に対する警戒心を抱いてしまうのは、
ある意味で仕方ないこと。
メディアには性犯罪のニュースがあふれ、例えば自治体のLINE公式アカウントに登録すると、不審者情報が日常茶飯事のように流れてくる。
こういう環境にあっては、様々な不安に駆られるのも無理はない。
何かあってからでは遅い。それならいっそ、目をつけられないよう、接点を持たないよう、娘に挨拶を控えさせ方がいいか――。
相談者さんは、いまそういう葛藤の中にいると想像する。
ではどうするか。安心安全を保障できるようなアイデアはないが、娘さんには娘さんなりの考えや感覚があるはず。まずはそこに耳を傾けていくのは、いかが?
そして相談者さんの不安も素直に伝えていく。
親には親の責任と葛藤があり、子どもには子どもなりの自由や判断力がある。
もちろん対話だけで解決できる問題ではないので、ある種の強制力が必要な場面もときにはあるかもしれないが、「あなたのことは信頼している」「でも親としてはこれが心配」というメッセージを送る。そうして共有情報を増やしていったり、ルールや対応策を構築したりできれば、少しずつ不安材料は減らしていけると思う。
子どもたちの安全を守りながら、その自由と能力を育んでいく。
同時に社会的な体感治安の向上にも関わっていく。これこそが大人の責務だと、ご相談を読みながら改めて考えさせられた。
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カウンセラーの回答:「知らない人に声をかける娘さんへ、親は何を伝えるか
― 挨拶・境界線・承認欲求の育ち方」
この相談を読んで、娘さんの明るさや人懐っこさが、とても自然に見えるということです。知らない高齢の方に「こんにちは」と声をかける。
そして相手から「いい子ね」と返ってくる。
娘さんにとってそれは、きっと嬉しい体験なのでしょう。
挨拶する
↓
相手が笑顔になる
↓
褒められる
↓
また挨拶する
こうした流れは、とても自然です。
子どもは相手の反応を通して、「自分はこれでいいんだ」と学んでいきます。
ですから、ここには承認欲求の芽も見えます。
承認欲求というと、悪いもののように受け取られがちですが、本来はそうではありません。
人に喜ばれたい、認められたい、笑顔を向けられたい。
そうした気持ちは、人間関係を学ぶ上で自然なものです。
ただし「相手に喜ばれること」と「自分の境界線を守ること」は別の話です。
● 挨拶はよいこと。でも、誰にでも近づいてよいわけではない
この相談者さんは、娘さんのよさを消したくないのだと思います。
警戒心ばかり植えつけるのも寂しい。
その気持ちは、とてもよくわかります。
ただ、親としてはやはり、
知らない相手との距離感は教えていく必要があります。
「知らない人に挨拶してはいけない」
ではなく、
“親切”と“無防備”は違うということ。
挨拶をするのはよい。でも、
-
立ち止まって長く話し込まない
-
近づきすぎない
-
名前や学校名を言わない
-
一人でついて行かない
-
嫌な感じがしたら、すぐ離れる
こうした境界線は必要です。
つまり、娘さんに必要なのは、
人に優しくすることをやめることではなく、
自分を守る線を覚えること。
●「いい子ね」は、子どもを外に向かわせることがある
もう一つ気になるのは、娘さんが
「いい子ね」と褒められることに喜びを感じている点。
これはごく自然なことです。
ただ、ここには親として少し気をつけたい面もあります。
子どもによっては、「褒められると嬉しい」
が強くなりすぎる。
だんだん
“相手に喜ばれる自分”を演じる方向に行くことがあります。
つまり、
-
挨拶すると褒められる
-
褒められると嬉しい
-
もっと相手に好かれたい
-
相手の期待に応えたくなる
という流れです。
ここで境界線が弱いと、
本当は少し嫌だ、怖い、違和感がある、という感覚よりも、
相手にいい顔をしたい気持ちが前に出てしまうことがあります。
特に、もともとサービス精神が強い子、空気を読む子、しっかりした子ほど、
「相手が喜ぶなら」と無理をしやすい面があります。
ですから、今回の相談は
「挨拶を続けていいかどうか」だけでなく、
“人に喜ばれるうれしさ”と、どう付き合うかを教える機会でもあると思います。
● 挨拶のうまさと、境界線のうまさは同じではない
これまでの人生で、感じのよい挨拶をする人に好印象を持ったことは何度もありました。挨拶ができる人は、それだけで素敵に見えるものです。
けれど、挨拶が上手なことと、その人の対人関係が安定していることは、
必ずしも同じではない、と感じたこともあります。
人に好かれるふるまいができることと、
自分の境界線を大切にできることは、別です。
挨拶は、人とのよい関係の入口になります。
ただ一方で、相手に好かれることや、感じのよい子だと思われることが
強い支えになると、承認を求める力も育っていきます。
だからこそ、礼儀や愛想のよさだけではなく、
「どこまで近づくか」「どこで離れるか」
という感覚も一緒に育てていく必要があるのでしょう。
● 母親が見ているのは「事件」だけではない
小学校からの帰宅時間にバス停で会ってしまうのなら、
中学校に入って帰宅時間がずれれば、自然と会わなくなる人もいるでしょう。
そういう意味では、この“挨拶の問題”自体は、時期がくればいったん薄れていく可能性もあります。
でも、それで終わりではありません。
バス停でのやりとりがなくなっても、
人に喜ばれることの嬉しさや、
褒められることで育つ承認欲求は、その後も育っていきます。
だからこそ、親がいま見ているのは、単に
「事件に巻き込まれるかどうか」
だけではないのだと思います。
論理的に危険が証明できるわけではない。
でも、なんとなく気になる。
少しひっかかる。
この感覚は、とても大事です。
親の不安を全部子どもに伝える必要はありませんが、
親が感じる小さな違和感まで無視しなくていいのです。
境界線というのは、頭で学ぶだけではなく、
「なんとなく変」「少し嫌」という感覚も含めて育てていくものだからです。
娘さんにも、
「知らない人と話していて、少しでも変な感じがしたら、その感じを大事にしていいんだよ」と伝えてよいと思います。
● 親が伝えたいのは、「優しさ」より「線の引き方」
娘さんには、こんなふうに伝えるのがよいのではないでしょうか。
「挨拶できるのは素敵なことだね」
「おばあさんが嬉しそうだったのも、あなたのよさだと思う」
「でもね、どんなに感じのよさそうな人でも、近づきすぎないことは大事なんだよ」
つまり、最初に否定しないことです。
娘さんの善意や嬉しさを受け止めたうえで、
そのあとで“だからこそ、自分を守ることも大事”と教える。
たとえば、
-
挨拶はしても、その場で立ち止まらない
-
話しかけられても、距離を取る
-
何か聞かれても、家のことや学校のことは言わない
-
変だなと思ったら、すぐ家で話してね
こういう具体的な約束のほうが、子どもには伝わりやすいでしょう。
回答者の清田さんは、娘さんと相談者さんが
思いを送り合うことの大切さを書いておられました。
その通りだと思います。
ただ、カウンセラーの視点から一つ足すなら、
これは自由か制限かの二択ではなく、境界線を教える機会ということです。
子どものよさを消さない。
でも、無防備にはさせない。
人を怖がる子にするのではなく、
人との距離を測れる子に育てる。
そのためには、
「挨拶してはいけない」でも
「好きにしなさい」でもなく、
“優しさは持っていていい。でも、自分の線は越えさせない”
この感覚を、日常の中で少しずつ教えていくことが大事なのだと思います。