「悩みのるつぼ」
朝日新聞be 2026.5.24.


親友が縁を切りたがっている?
男性 40代

文筆業 清田隆之さんの回答
「待つ」に徹するのもありかも

相談内容:
高校時代からの親友が1人いる。共通の趣味があり、大人になってもコンサートやスポーツ観戦などへよく一緒に行く間柄だった。

しかし、彼が結婚してから徐々に会う機会が減った。ここ数年は、メールやLINEも、
こちらから送れば返って来るが、遠出が必要なイベントだけでなく、近場での遊びに誘っても、断られることが増え、彼から連絡が来なくなった。家庭を持てば、不思議なことではないのかもしれない。

 

彼は婿養子。最近、義理の実家の隣に引っ越した。「自分の立場」が弱いというエピソードを過去にいろいろ聞いていた。子どもに関する不満はなさそうだが、現在の境遇について「運が悪い」「外れくじ」などと表現したこともあった。仕事も含め、あまり幸せに暮らしている雰囲気が伝わってこない。

 

一方、私は独身。彼と共通の友人がなく、理解できないことも多い。

また奥さんを紹介されたことも実際に会ったこともない。もしかしたら、彼は私と縁を切りたいのだろうか。こんごどうすればよいか。

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回答:「待つ」に徹するのもありかも
長い付き合いの親友と会う機会が減ってきた。家庭にネガティブな要因があるようだが、自分には同様の経験がなく、彼の境遇をちゃんと理解できてるとはいいがたい。心配だし力になりたいが、遊びに誘っても断られることが増え、向こうから連絡が来ることもなくなった。よほど状況が悪いのか、それとも.....親友に対する心配が、徐々に彼との友情を疑う気持ちにまで広がってきたのが相談者さんの現在地。

これを端的に言えば、「不安」。不安とは恐れの感情で、原因や対象がはっきりと存在する「恐怖」と区別されるように、曖昧さや不明瞭さがその正体。

以前と現在では関係性にギャップがある。背景や理由はよくわからない。だから、情報の断片をつなぎ合わせ、なんとか自分なりのストーリーを紡ごうとしている。

相談文には、これまで重ねてきた模索の痕跡がうかがえ、切実さを物語っている。
どこまで行っても、推測の域を出ないのがもどかしい。その果てに<縁を切りたいだけなのか>と疑念を抱いたとしても、仕方ないと思う。

すでに慎重なアプローチはなされてきた。推測もしつくされている。ならば、思い切って「待つ」に徹するのもありかもしれない。会って、じっくり事情を聞けたら理想だが、もし彼にその余裕がない状況なら、相談者さんからのコンタクトはさらなる負担となりかねない。

臨床心理士の東畑開人さんは、心が元気な状態を「晴れの日」、そうではないときを「雨の日」と表現。例えば、遊びに誘うのは心のケアに他ならないが、それは晴れの日にこそ有効かもしれない。いまは、一人で雨宿りをしているかもしれない友人を案じつつ、その心に晴れ間が差してくる時を信じて待ってみる。

その間にできることもある。例えば、つながっているSNSがあるなら、そこに近況報告をそっとあげておいたり、婿養子の問題や心のケアにまつわる勉強をしたりするのもありかもしれない。

久しぶりに合えたとき、相談者さんが頼れる話し相手に進化していたら、二人の友情をさらに地固まるはず。お茶でもしながら今回のことを振り返れば、最高ですね!

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カウンセラーの回答:
親友を待つより、自分の時間を取り戻す

長年の親友と、以前のように会えなくなった。
こちらから連絡すれば返事は来るけれど、向こうからは来ない。
誘っても断られることが増えた。

そうなると、どうしても不安になります。

「もう会いたくないのだろうか」
「縁を切りたいのだろうか」
「自分が何か悪いことをしたのだろうか」

そんなふうに考えてしまうのは、自然なことです。
 

友情そのものが薄れたと考える前に、生活条件が変わったと見てもいいかもしれません。30代、40代は、誰でもそういうことがあります。
 

独身の頃は、友人との予定を自分の都合だけで決められます。コンサートに行く。スポーツ観戦に行く。少し遠出をする。時間もお金も、自分の判断で使いやすい。


けれど結婚すると、そこに家族の予定、家計、配偶者の気持ちが入ってきます。
二人とも結婚していても、以前のようには会えなくなることがあります。
休日は家族のために使いたい。子どもの予定がある。家計の優先順位が変わる。
それは、友情がなくなったからではなく、生活の中心が変わったからです。
 

まして、ご友人は婿養子で、義理の実家の隣に住んでいるとのこと。自由に動きにくい立場かもしれません。義両親の目がある。妻の実家との関係に気を遣う。自分だけが気軽に遊びに行くことに、後ろめたさを感じている可能性もあります。

本人が「運が悪い」「外れくじ」と言ったことがあるなら、そこには相当の息苦しさがありそうです。
 

だからといって、相談者さんがその苦しさを背負う必要はありません。

「よい話し相手になろう」
「心のケアを勉強して、支えられる人になろう」


一見やさしく聞こえますが、相談者さんの意識はますます友人に向いてしまいます。

彼はいま、どうしているのだろう。
何に苦しんでいるのだろう。
自分はどう支えればいいのだろう。

そう考え続けることは、友情のように見えて、実は相談者さん自身がその関係に縛られていくことにもつながります。


相手の人生は、相手のものです。
相談者さんの人生は、相談者さんのものです。

友人を思う気持ちは大切です。けれど、友人の家庭の問題や不満まで、自分の課題にしなくていいのです。
 

また、近況報告をときどき上げておくという方法もありますが、相手が苦しい状況にいるとき、それが自慢のように見えてしまうこともあります。

こちらは何気ない日常のつもりでも、相手には「自由でいいな」「楽しそうでいいな」と映るかもしれません。愚痴をこぼすと、ますます自分が惨めになると感じる人もいます。
 

だから、いまは、無理に近づこうとしなくてもいい。
問い詰めなくてもいい。
支えようとしすぎなくてもいい。

もし連絡するなら、

「また余裕ができたら、声をかけてください」
「無理に返事はいりません。元気でいてくれたら、それでいいです」

そのくらいで十分です。

大切なのは、待つことそのものではありません。
待ちながら、自分の生活に戻ることです。


相手を見張るように待たない。
友人の反応で、一喜一憂しない。
そして、相手から返事がなくても、自分の人生を空白にしない。
待ち続ける人生は、しんどいものです。
 

友情には、濃く会える時期と、少し離れる時期があります。
いまは、会えない季節に入っているだけかもしれません。


もしまた会える日が来たら、そのときは無理に事情を聞き出さず、こう言えたら十分ではないでしょうか。

「久しぶり。会えてうれしいよ」
 

親友だからこそ、「何かしてあげなければ」と思いすぎないこと。
親友だからこそ、少し距離を置いて、それぞれの人生を尊重すること。

それもまた、大人になってからの友情の形だと思います。

朝ドラ「風、薫る」を見ていて、
思い出したことがあります。
 

健康状態を知るための質問は、
とても大事だけど、結構むずかしい。


ある時、義母の付き添いで
病院へ行ったときのこと。
付き添いは、いつも2~3人体制。
ひとりでは、難しい理由があります。
 

婦人科で問診票を書くとき、
義母が言いました。

「うまく書けないから、あんた書いて」
 

夫からも、
「書いてやって」と頼まれました。


私は待合室の椅子には、
コロナの感染予防のため、
×の紙が貼られていました。

けれど、婦人科の問診票。
 

周りの人に聞こえないようにと隣に座り、
少し耳の遠い義母にも聞こえる程度の
音量で、丁寧に聞いていきました。
 

その中に、
「閉経はいつ?」という質問がありました。


90歳の義母にとっては、
もう遠い昔のこと。
 

すぐに思い出せなくても、
仕方ない。


すると義母は、

「あんたはいくつの時だった?」
 

いや、いや、いまは私の話ではない。

義母は思い出せないことを
ごまかそうとしたのかもしれない。

「一般的には、50歳くらいかな」と返事した。
昔のことだから、そのくらいかなと言うので、そう書いた。
 

義母は昔から、
質問されるのが、キライです。
 

自分が話すのはいい。
自分が聞くのはいい。

でも、こちらが聞くと、
機嫌が悪くなるパターン。
 

新婚の頃、
何気なく質問しただけで
怒られたことがありました。
 

義母が言うと、
嫁は「はい」に一択。

質問は、逆らうという認識。

そういう空気感。
 

けれど介護になると、
聞かないわけにはいかない。


病院では、情報が必要。

いつから痛いのか。
どんな薬を飲んでいるのか。
過去に病気はあったのか。

 

本人が答えられなければ、
家族が補うことになります。

だから聞く。
傾聴する。
本当か、噓か、記憶違いか、わからない話を。
 

聞かれる側は、
それを嫌がることがあります。
プライドが傷つく。

責めているわけではない。
管理したいわけでもない。

ただ、診察に必要だから聞いている。


それでも本人には、
詮索あるいは詰問のように
聞こえるのかもしれません。

 

問診票を書き終えた時、
義母が急に大きな声で言い放ちました。

「あんた、何で横に座ってんの!
コロナやのに、離れなさい!!」

 

頼まれたから横に座った。
周りに聞こえないように気をつけた。
代わりに書いただけだった。

それなのに怒られた。


介護では、
こういうことが、よくあります。

 

後から考えると、
義母も不安だったのかもしれない。

病院にいる緊張。
自分で書けないもどかしさ。
昔のことを聞かれる恥ずかしさ。

そういうものが、
怒りになったのかもしれない。


医療現場では、
正しい情報が大切。

 

でも本人が、
いつも正直に答えるとは限らない。

「大丈夫です」
「ちゃんと飲んでいます」
「食べています」


そう言って、取り繕う。
見栄を張ることもある。
心配をかけまいとすることもある。

医師の前では、
急にしっかりする人もいる。

 

だから診察には、
家族が一緒にいると、
医師は安心なのだと思う。

 

診察室に入ろうとして、目の前で、
義母にドアを閉められたこともありました。
私はめげずに診察室のドアを開けて、入室。

「何で、入ってくるの!?」
「後で、みんなに説明しないといけませんから」

医師の話を脚色して、
都合のいいことだけ家族に話す。
そんなことが続いて、
義妹たちも付き添わなくなりました。

本人の言葉だけでは、
見えないことがある。

家族の言葉だけでも、
足りないことがある。

両方あって、やっと現実に近づく。
 

でも、確認のために質問すると、
怒られることもあります。

ここが、介護のむずかしさ。

 

質問する側は、
助けるために聞いている。


質問される側は、
自分を守ろうとして、取り繕う。

その間に、すれ違いが起きる。

 

親の介護は、老いだけを見るものではありません。

その人の性格も見る。
プライドも見る。
過去の関係も見る。
 

昔から何でも話せる関係なら、
少し楽かもしれない。

でも、そうではない関係もあります。


聞きたいけれど聞けない。
聞くと怒られる。
でも聞かないと困る。

そんな場面が、
介護には何度もある。

問診票は、ただの紙ではない。

 

そこには、
本人の記憶やプライド、
家族との関係まで出てくる。

だから、たった一枚を書くのにも、
神経を使うのです。

 

親の介護をしている人なら、
似たような経験があるかもしれません。

 

薬を確認しただけで、
「わかってる」と言われる。

 

体調を聞いただけで、
「うるさい」と言われる。

病院の付き添いをしても、
当たり前のように思われる。

 

それでも、やらなければならないときがあります。

 


介護する人は、自分を責めすぎなくていい。

うまく聞けなくても、
怒られてしまっても、
全部が、あなたのせいとは限らない。
 

病院へ行く前に、
薬の写真を撮っておく。

気になる症状を、
メモしておく。

本人に聞ける時に、
少しずつ聞いておく。

一度に全部聞こうとしない。


それだけでも、
少し楽になることがあります。


家族だけで抱えず、
医師や看護師、ケアマネさんに
頼ってもいい。


あの日、私は義母の問診票を書いた。
そして最後に怒られた。
関係のないことまで持ち出して、
周りに聞こえるように不満を言いつのった。

 

でも、私は必要なことはした。

たぶん、文句を言いたかっただけ。
娘や息子が相手だと、

大喧嘩になる。
嫁は、距離があるぶん、聞き流せる。

介護には、そんな仕事がたくさんあります。


 

親の介護をしている人へ。

今日も本当におつかれさまです。

 


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「悩みのるつぼ」朝日新聞 be 2026.5.17.

「自分の人生に満足できない」
40代 女性の相談


「『他者』に自分を投げ出してみたら」
政治学者 姜尚中さんの回答


相談内容:

人生に不満。あれこれ考えてやってみるものの頓挫し、満足感を得られない。
43歳で未婚。子どもがいないことや、思春期の頃、妹たちと仲良くできなかったこと、20代は転職を繰り返し、心身のバランスを崩し通院したことなどが原因と思う。
親離れできておらず、毎日電話をしている。

さらに友人がいない。作りたくても職場と家の往復で出会いの機会もなかなかない。
先日、職場で話の合う同業の方がいて連絡先を聞きたいと思ったが、断られたらと思い、勇気が出なかった。

数年前に、大失恋。彼の喪失感から立ち直れておらず、心は穴が空いたまま。
親友はハードルが高いが、たまに会って気さくに話せる友人ができたらと思う。

45歳か50歳で憧れの海外に環境を変えて移住する!と自己実現の目標を立てたが、身近に幸せはあるのかもしれないとも思う。占いにハマった時期もあるが、答えは出なかった。

他人に惑わされず、ある程度、自分自身揺らがずこの先の人生を進むには、どんな指針を自分の芯に持てばいいか?
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回答:「『他者』に自分を投げ出してみたら」
昨今復活しそうな昭和的モーレツ主義からすると、あなたの悩みに「甘えるな!」と一喝する声が聞こえてきそうだが、そんな罵詈は聞き流せばいい。

あなたが感じる生きづらさと不全感はあなたにしかわからないし、時代も環境も昭和とは違っている。

 

問題は、あなたが幸せだと思えるようにするにはどうしたらいいかということ。
あなたは、姉妹、友人、恋人などの対人関係で傷つき、それでいて「孤立無援」を引き受けることもままならず。ただ無私の愛であなたを受け入れてくれる親にしばしの安らぎを求めているようだ。

だからと言って、早く親離れしなさいというつもりはない。むしろ、そうせざるを得ないあなた自身を見つめ直し、これまでどんな時に幸せな気持ちになったか振り返ってほしい。

あなたは親以外の『他者」について、妹さんたちも含めて不安な存在だと感じることはなかっただろうか。その不安が嵩じれば上司であれ、恋人であれ、不振と猜疑の対象にならざるをえない。

その結果、思い切って自分を、これはと思う人に投げ出してみようと一歩踏み出すことに躊躇せざるをえなくなったのだと思う。

ただ、自分で幸せと実感できるためには、不確かな未来でいつ心変わりするかわからない『他者」であっても、自分を投げ出してみるしかない。その決断がつけば、失敗も挫折も、次の「投企(自分を投げ出すこと)」に向けた糧となると思えるはず。

おそらく、人並み以上に繊細で傷つきやすく、「臆病な」あなたは、それにもかかわらず、というより、だからこそ、自分の「主導権」(イニシアティブ)だけは譲り渡したくないと、頑なに自分に執着していると思えるが、いかが?

占いにハマっても、宗教の門をたたくことはなかったのは、自分の主導権を放棄することが怖かったからではないか。鏡に映る自分をどんなに眺めても、自分がどんな人間なのかわかることはないはず。

私たちは、裸眼で自分の素顔を見ることができない以上、「他者」の眼を通して自分の姿を確かめるしかない。そのためには、「他者」と交わるしかない。

天災た戦争、不況も含めいつ何が起きるかわからない時代。そんな時代だからこそ、語弊がある表現ですが、「出たとこ勝負」でやってみるのです。

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カウンセラーの回答:

まずは「人生を変える」より、人との緊張を少しゆるめることから

相談文を読むと、あなたは「人生を変えたい」と強く願っている一方で、傷つくことをとても怖れているように感じます。

妹さんたちとの関係、転職、失恋、友人づくり。
うまくいかなかった経験が重なり、「また失敗したらどうしよう」と、体が先に固まってしまうのかもしれません。


だから、いきなり「他者に自分を投げ出す」のは、少しハードルが高すぎるように思います。

いまのあなたに必要なのは、大きな決断よりも、小さな場数です。

たとえば、職場で少し話せた人に、いきなり連絡先を聞くのが怖ければ、
次に会ったときに「この前のお話、楽しかったです」と一言伝える。
それだけでも十分な一歩です。
 

妹さんたちとも、いきなり過去を清算しようとしなくていい。
年を重ねると、相手も少し大人の対応ができるようになっていることがあります。
まずは普通の近況を話せるかどうか。そこからでいいのです。


海外移住の夢があるなら、それも悪くありません。
ただ、毎日親御さんに電話している状態で、いきなり海外に出るのは負担が大きいかもしれません。

まずは電話の回数を少し減らす。
短期のホームステイや語学プログラムを探す。
費用や期間、必要な語学力を調べる。
英会話アプリを始める。
AIで口を動かすと、英会話になれる。
そして、自分の意見を言えるようになる。
 


夢を「逃避」ではなく「計画」に変えていくのです。

あなたは、人生に満足できない人ではなく、まだ自分の安心できる距離感を探す「実験の途中」なのだと思います。


過去の失敗は、あなたが人づきあいに向いていない証拠ではありません。
ただ、少し力が入りすぎて、その緊張が相手にも伝わっている可能性はあります。


だからこそ、目標は気軽に挨拶できる人を一人増やすくらいでいい。

人生の芯は、大きな言葉で決めなくても大丈夫です。

「少しずつ試す」
「失敗しても修正できる」
「私は人との距離を練習中」
 

このくらいから始めてみましょう。

あなたの人生は、まだまだこれからです。
私たちはみんな、発展途上。

「母親に似ないようにする、って
力いっぱい入れて変顔で過ごす
みたいなことなのかもしれない」 

 

幼少期より母親の過干渉に悩んできた漫画家の
田房永子さんは、

「『女の子だからピンク・花柄』という方程式」にも

抵抗してきた。
 

が、ある日、同じ圧迫を自分も娘に別な形で

向けていることに気づき、戸惑う。

漫画『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに」から。


 

Amazon.co.jp: お母さんみたいな母親にはなりたくないのに eBook : 田房永子: Kindleストア

 

 

そのプレゼント、NG?

母の日のプレゼントと言えば、何を思い浮かべますか。

カーネーション。
スイーツ。
食事。
 

最近の母の日ギフトの傾向を見ても、
やはり「プレゼントを贈る」人は多いようです。

2025年の調査では、母の日に何かをした人は48.2%。
一番多かったのは「プレゼントを贈った」で32.7%だったそうです。
(株式会社クレオ | 買いたい気持ちをデザインする生活者マーケティングカンパニー)
 

母の日ギフトの予算は、2,000円〜5,000円くらいが中心。
2025年のアンケートでは、全体の約半数がこの範囲で
考えているという結果も出ています。(母の日.me)
 

人気なのは、やはり花やスイーツ。
最近は、花だけではなく、花とお菓子、花とお茶、花と美容アイテムなど、「少し特別感のある組み合わせ」も増えているようです。
(プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES)


でも、母の日のプレゼントには、意外とむずかしいところがあります。

それは、贈る側の気持ちと、受け取る側の気持ちにズレがあるということです。

エプロンはNGと言われるけれど

母の日のNGプレゼントとして、よく「エプロン」が挙げられます。

「もっと家事をしてね」と受け取られることがあるからでしょう。


でも、私が子どもの頃は、お小遣いで買える母の日のプレゼントといえば、
エプロンくらいでした。


高価なものは買えない。
でも、何か渡したい。
母に喜んでほしい。

子どもなりに考えて選んだものが、エプロンだったのです。


いまの感覚で見れば、たしかに「家事を連想させるもの」は
避けたほうがいいのかもしれません。
けれど、子どもが少ないお小遣いを握りしめて選んだエプロンには、
その子なりの精いっぱいの感謝がこもっていたはずです。

プレゼントの意味は、時代によっても、関係性によっても変わります。

母が喜んだプレゼント

私が母に贈って、喜んでもらえたものもあります。

ひとつは、キャロットジュースのセット。
もうひとつは、色とり豊かな生菓子でした。
 

母は、自分で自由に買い物に行ける状態ではなかったので、

「せめて、選べるようにしてあげたい」と思ったのです。

一種類だけではなく、いろいろな色、いろいろな味。
箱を開けたときに、「どれにしようかな」
と選ぶ楽しみがあるもの。

プレゼントそのものより、選べる時間を贈りたかったのかもしれません。

たぶん、母は喜んでくれたと思います。
口から出たのは、「いらん!持って帰り」でしたが。



NGだったプレゼント

反対に、失敗したプレゼントもあります。

それは、夏用のパジャマ。

暑い季節だから、半そでがいいだろうと思ったのです。

ところが母は、怒りました。

「年中、長袖よ。知らんかったの?!」
 

私は、そのとき思いました。

「知らんがな」

そこまで怒られることか。


でも、相手には相手のこだわりがある。

プレゼントは、時にそのズレをはっきり見せてくれます。

それ以来、私は母へのプレゼントは、できるだけ
食べてなくなるものにしました。


残らない。
場所を取らない。
好みに合わなければ、人に分けることもできる。
食べたら終わる。

それくらいの距離感が、ちょうどよかったのです。

OKプレゼント、NGプレゼントの本当の違い

母の日のOKプレゼント、NGプレゼント。
ネットで調べれば、いろいろ出てきます。

OKプレゼントは、花、スイーツ、食事、飲み物、リラックスグッズ。
NGプレゼントは、家事を連想させるもの、年齢を感じさせるもの、好みが分かれる服や寝具。
 

たしかに、参考になります。

でも、OKとNGは、品物だけでは決まりません。

 

何を贈っても、怒る人はいます。

「ありがとう」の一言もない。

「怒らせてあげた」とでも思うほかないかもしれません。

 

つまり、プレゼント選びに正解はありません。
 

食べてなくなるもの、という安心

いまでも、母の日のプレゼントというと、
あの半そでパジャマのことを思い出します。
 

母の好きな色のパジャマを探すのに、時間がかかりました。
喜んでもらいたかったのに、怒られた。
その記憶は、案外残るものです。
 

だからこそ、私は「食べてなくなるもの」に安心します。

きれいなお菓子。
少し上等なお茶。
飲みやすいジュース。
季節の果物。

大げさではなく、重くもない。
でも、箱を開けたときに、少し気持ちが明るくなる。


母の日のプレゼントは、
「正しい娘」であることを証明するためのものではありません。

感謝を伝えたいなら、伝える。
無理をしたくないなら、無理をしない。
怒られないために選び続けて疲れるなら、少し距離を置いてもいい。

母の日は、母を思う日であると同時に、
自分と母との距離感を見直す日でもあるのかもしれません。
今年の母の日。
あなたは、何を贈りましたか。

嫌な思いをしませんでしたか?

もし、あなたが贈らない選択をするなら、
それもまた、ひとつの境界線です。

母との関係がしんどい人に、この本が役立てば、うれしいです。

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