ブログにお立ち寄りいただき ありがとうございます
生まれて初めてブログに挑戦 お勉強必至 どうなる事でしょう?
・・・と言いつつ こうして続けてこられている・・・これは
応援して下さる方から戴いている たくさんのパワーのおかげです
いつも本当に ありがとうございます
今回も過去からの<気づき>を楽しみながら 綴ってまいります
ー前回は
〜本当は、寸暇を惜しんで片付けなければならないことがあるのに〜
そう思いながら、アルバイトする為とはいえ、信じがたい偶然で、
母と同じツアーになってしまったヨーロッパへ・・・。
本当は他に、あれも、これも・・・と、やることだらけ・・・
といったところで帰国しないと、できないことばかり、と大焦り。
でも、それは全て自分が「まいた種」、」「身から出た錆」、「自業自得」
自分で刈り取らなければならない!
時間の使い方に反省しても、帰っては来ない・・・。
ゆっくりするための時間は買えるが、自分しかできない事柄に対して、
足りない時間を買う事はできないなぁ・・・・
当たり前のことだけど・・・
焦ることにも疲れて、楽しむ人々や美しい街並みを眺めながら、旅の後半は、
焦ることにも疲れていた
「全部に結果を出さなきゃ! ちゃんとやらなきゃ!」との意識が。
「何のために?」「誰のために?」「どうしたいの?」の判断がついたら、
帰国後の焦りも違っていたかも・・・でもワタシに、そんな余裕はなかった
帰国後、バタバタと、「とにかく」終わらせただけ」
❌じゃないけど⭕️じゃない・・・
終わってみると総てがギリギリ、完璧主義ではないけれど・・・。
終わってみて、さてどうしよう・・・
<まいた種の行く末>を<少しずつ考える機会に恵まれている>に気づいて、
徐々に次のステップに進んでいく決心をしていった・・・
ーというところまでお伝えしました
前回はこちら→ー第47話ー「種の行く末」
さて・・・
ー第48話ー
短大は専科を1年余分に行って3年間で終了、卒業する・・・予定でした。
ところが、バタバタ出したレポートはなんとか単位が認められたものの、
あと半期分、実習科目の単位が不足し卒業できなくなってしまいました。
「大学の大学院ならまだしも、短大の専科でこんな人は、初めてですよ」と教授から
注意を受けていましたが、卒業する意思があることを教務課には伝えていました。
「自業自得」やから!と、通常の半期分の5分の1でよかった〜と、
学費を自分で支払って通うつもりでいました。
もちろん結果を知って、両親・・・と言うか、母が激怒。
どちらかというと父は、
「あと半年ちゃんと行くなら行ってしもたら(しまったら)?」と言いました。
ーが、
母は「これ以上恥の上塗りはやめなさい! そんなに嫌なら退学してしまいなさい!あなたの人生なんだから・・・、もう、好きにすればいいじゃない!」
ワタシ「(ワタシが壊れたら、今度は好きになさいって?
・・・これまで、あれだけの<No!>をワタシに言い続けてきておいて?)」
〜勉強で成果を上げなかったら、ここまで言うんだ・・・、早く独立したい!〜
ー自宅に短大から確認書が届いた時、母は退学届けの方に必要事項を全て書き込んで押印も済ませて、ワタシに「署名して短大へ出して、謝ってらっしゃい!」と。
続ける意思表示をしてきたと説明しましたが、父も横で黙っているだけでした。
父は、母にワタシの学ぶこと全てを託している感じでした・・・
・・・美大反対以外は。
ワタシが父にSOSを出せていたら、状況は変わったかもしれないのですが、
「わかりました」と書類を受けとって・・・。
次の日、短大に出してくると行って自宅を出ましたが、気持ちは決まっていました。
〜ワタシがここでおいそれと退学してしまったら、
「一生親に言われ続ける」それだけはイヤや!〜
元々、自分で支払って続けようとしていたのだから・・・、
<この退学届は要らない!>
最寄り駅のゴミ箱に破り捨て、貯めてきたアルバイト代をほとんど引き出して、
学費を支払って、この日からアルバイトに行くと言っては、半分は実習授業の提出物のために短大に通う毎日になりました。
こうして半期を終えるまで、親は気づいていませんでした。
アルバイトについては、ずっと同じ家電量販店の楽器コーナーに行っていたので、
「そこに就職したら?」とは、言われていましたが。
そして、 〜これだけは、喜んでもらえるはず・・・!〜
と、卒業証書をもらって帰り、「良いもの見せるよ」・・・と。
父は、「おー!続けとったんか!」と、喜んでくれて、ワタシは、
「行ってたってゆーてなくてごめんなさい、ちゃんと学費は払いましたから」と。
ところが、
母が「まぁーまぁー、自分でそこまでやろうと思ったら、できたんじゃない!
・・・どうしてそれを、もっと期限内に出来なかったのかしら・・・
お嬢さん卒業おめでとうって、
どれだけ私が周りの教授に(母は大学に勤めていて)言われ辛かったか、
貴女、そんな気遣いも無いから、長いこと内緒にしてたんでしょ?」
・・・この言葉、当時の私にとって、完全にアウト!でした・・・
その後も、どれだけワタシが天の邪鬼(あまのじゃく)か、とか、かなり色々ぐちぐち言ってこられましたが、良かったとは最後まで言って貰えなった・・・。
少しでも説明(母にしたら口ごたえ)でもしたら・・・、
「私の育て方が悪かったんでしょうけどね・・・・!」
「(思ってもいない癖に・・・でも、もう良い!)」と思いました。
<私はこの短大卒業で、親の希望に全て従った。
「落とし前」(ちょっと怖い言い方ですが)つけたから、もう本当に、好きにさせていただこう!>・・・。
・・・1ヶ月も経たないうちに、音楽仲間と共同生活をするための相談をし、
その仲間の家に泊まって、自宅にだんだん帰らない日を増やし、
とうとう全く帰らなくなりました。
当然母は家庭崩壊だ!と大騒ぎしていたそうですが、
父が1度だけアルバイト先に訪れてしっかりと話しをしてくれて・・・、
「ひとりっ子だから、自立心を養うためには良いかもしれない、
どうしようもなかったら、会社に連絡して」
と言われましたが、たった1度も父に連絡したことはありませんでした。
この日から、しばらくは母がワタシの関わっている音楽シーンに現れて、
とんでもないことに、
ワタシを勝手に音楽活動の団体から脱退させる手続きをして帰ったり、
もーここまでくると、愛情とも思えず、迷惑なだけ・・・。
〜実はワタシ、ここから数年ほど、自宅に親の誕生日に公衆電話から連絡する程度で、普段はほとんど連絡していませんし自宅へも帰っていませんでした〜
のちに借りた部屋の電話番号は知らせていましたが、本当に必要な事柄でしか、連絡はしておらず、親もだんだん独立していったのだと、ワタシがいないことに慣れていってくれました。
音楽活動に関しては、今思えばとても恵まれていました。
やはり、一旦自宅を出てしまうと、活動のための資金のためにアルバイト、
アルバイトしたら時間がない、活動ができない、悪循環に陥ったりしました。
でも、なんとなく流れにまかせて、音楽のことも親元を離れての生活も・・・、
ダメになっても失敗と思っていなかった、うまくいっている!と思って
充実していました。
はたから見れば、しなくても良い苦労だったかもしれないけれども、
ワタシには、きっとこれこそが、
自立への修行、音楽以外もすべてが、これから始まる凄いことの準備だったのです。
<どんなことも必然やから・・・>
様々なバンド活動や、日々の生活で、
メンバーと大げんかしたり、リハーサル代と生活費でカツカツで、
1ヶ月を白菜1玉と箱買いしたラーメンだけで過ごしていても、
何にも辛くなかった、それが自然でした、笑。
本当に自然に流れができて、良い方向へ進んでいったのだと思います。
短大を卒業後、約8年以上、
ワタシは1度も自宅に泊まることがありませんでした。
泊まりたくなかったの?いや、反抗や反発でもなくて、これもごく自然に・・・
そして・・・流れにまかせていたら、家を出てから6年半、
ついにとんでもないことが起こりました・・・
当時のバンドのメンバーが、<飛び上がって驚いた>、そのこととは・・・
ーこの続きは次回ー第49話ー「いきなり・・・!」でお伝えします
最後までお読みいただき ありがとうございます
〜✨素敵な 未来の旋律 が どうぞあなたに流れますように✨〜
次回はこちらー第49話ー「いきなり・・・!」