まいど。いつもより、怒っています。ま~いつも憤ってますから、あまり説得力無いんですが。

 世の中の流れを鑑み、布マスクを作っています。何もないわが家だけど、趣味で集めた布切れは、うなってます。😷
今しかない「愛をとりもどせ」

 マスクの作り方
①ミシンか手縫いか。うちはミシン派。無精者だし、やはり縫い目が丈夫。こいつを置場所を作る。自転車の運転より、事故は少ないたぶん。

②アイロンとアイロン台を用意する。マスクに使う綿や麻は、シワを伸ばし折り目をこまめにつけるのが、結局完成への近道。

③布を選ぶ。私が従っている作り方は、薄い布を二枚使うので、布端の始末が略せる。厚みがあると、ミシン針が折れる(折りました!消耗品だ、替え針はもちろん常備)。色は白が無難だが、好みの物なら愛着が湧く。
私「炭治郎の羽織色あるよ、黒布も!マスクで『鬼滅の刃』ごっこ、やらない?禰豆子ピンクもあるよ!」
娘「やらない」付き合いワリーなっ

④作り方通りに、作る。工程ごとの、こまめな熨斗がけが、結果的に作業を楽にする。

⑤耳にかけるゴム紐を通す。今日作った分は、離れて暮らす娘に送った。画像は上げない。一点物だし、身内のミバレを招く真似はするわけない。近いうちに、自分用は掲載します。今は、自分の出来ることは、自分でやらないと。

・今回の憤りポイント
 私は、子どもをガンで亡くしたことがある。どうもこうも、こんな思い自分が最初で最後であって欲しいが、そうは問屋が卸さない。
「死児の歳を数える」のは、無意味という例えだ。馬鹿げているのは百も承知だが、死んだ者を忘れないで思い出すのは、そんなに無駄な行為なんだろうか?
 ガンのしんどい部分は、原因が己の細胞由来なところだ。子どもの死因は子どもの一部だから、憎みきれない。恨む場所が、ない。悲しむ間もなく、現実に押し流される。前を向いて、歩くしかない。生きている者のしあわせが、せめてもの供養だと、勝手に理解している。

 でも、ガン治療に前向きに取り組んでいた人が、新型コロナウイルスで命を落とすなんて。分かっていたはずなんだ、志村けんさんだって、元々体調を崩していた。生来丈夫とか、未知の感染症が説得に傾ける耳を、持っていれば聞いてもらえるんだがね。

 私が怒っているのは「人類の叡智」とやらは、いつ使って誰を救うつもりなのか「知っている誰かがいるなら早く教えろボケッえ!」ということだ。ガンやコロナで、何人無為に見送れば、気が済むんだよ。人間を返せ、私の子どもを返せ。あの子を病理解剖に差し出したのは、医学の発展に繋がると思ったからだ、好きで切り刻ませた訳じゃない。我が身に代えてくれと、祈ったところで、何も変わらない。今を変えるのは、戦う覚悟だ。岡江久美子さんが帰らないなら、これ以上涙を流す者をふやさない為には、みんなで腹くくって乗りきろうよ。万能な人間なんていないなら、力を合わせるしか、生き残る道はないだろ?
 あの子が呼ぶなら、その場所に行く。でも、呼ばれるまでは、ここで足掻いてみる。マスクくらい、何枚でも作る。いくらでも、持っていくがいい。それは私が決める、個人の自由の許す限り。

 愛をとりもどすには、それなりの覚悟が必要で、今がその時だと私は認識している。
 ここまでお付き合いいただいたお礼