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前回のブログからの
続きになります。
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偽善者、偽善なるもというのは
必ず過ぎたものですから
過ぎたものは闇ですから
その人は闇をどんどんばらまいて
歩いています





闇をばらまきながら
一方では
自分では、愛をばらまいていると
思っています
それは似て非なる愛です




その人がまく力というのは
他力ですから
すべて幻の力、暗示の力ですね




それは似て非なるにせものの愛、光を
ばらまいています




暗示というのは
闇を示すことですから
その人から出る
エネルギーというのは
闇を示しています




形は愛という名前であっても
名前はそのものではないですから
エネルギーに
力がなければ
想像の力を出しますから
それは、
幻の力、暗示をかける力です




啓示ではなく
暗示をかけています
外から暗示をかけて
これは愛、これは神だとまどわします




この人がとらわれるのは
全部言葉です
すべて言葉でとらえますから
こうなります
この人は、心でとらえることが
できないのです
だから
この人は、言葉の表現者であって
心の表現者ではありません




心の表現者というのは
事実を表現する人
愛を表現する人のことです




だけど、この人は、
言葉だけで
確認しようとしていますから
心を表現することができないのです





言葉の表現者というのは必ず
自分が正しい
そして、
あなたは間違っているというところから
出発します




言葉にとらわれるものは
心にとらわれることはできませんから
生きていません




非実在は、私が正しい
個人が正しいです
いつもあなたは
まちがっていますよ
というところから出発しています





そして、自分が正しい
あなたが間違っている
この正しい、間違いの中に
必ず損得があります





損するか、得するか
それがありますから
そこに慈悲がないのです



慈悲があるものは
正しい、間違いがあっても
そこに損得がありません




慈悲のある人の言葉は
離れていない言葉ですから
正しくない、間違いですよと言っても
個人意識がありません




個人の使う良い悪いがないから
その人に
早く気づくように促す言葉となります。
外からではなく
慈悲があれば
その人の魂に訴えますから
それは良い悪いではなく
相手に中から気づかせる言葉です
気付きをうながせる言葉を
使っているということです




だから同じ言葉でも
全然違います
個人意識の良い悪い
正しい、間違っているは
自分のことしか考えていませんから
損得を考えています




それは必ず人を非難する
責める言葉になります
そこに慈悲があれば
同じ言葉を使っても調和を促し
その人自身が
気づくように働きかけます




それはけっして人を責めたり
非難する言葉ではありません
そのように
言葉にとらわれている人は
その中のエネルギーが
全然見えないのです




だから言葉にとらわれている人は
全部自分の都合で動きます

だから昨日の敵が今日の友です
そして、今日の友は
明日の敵のなります
コロコロと変わるのです


なぜ動くのか
それは自分の都合だからです
誰も信じていないからです
また、信じることができないのです


自分のことしか考えていません
そして、
自分を信じることもできません




人を信じることができない人は
自分を信じることもできません
ただ、自分の事はよく考えています




どうしたらいいのか
どうしたら損をしないのか
だからこうしてコロコロ変わります




自分のことしか考えていませんから
自信があるときは
昨日の敵は今日の友です
でも、
個人意識はすぐにうぬぼれますから
うぬぼれた自信は
一時的なものです




自信があるときは
自分がやったのだと言い
あなたたちの力を
借りる必要はもうないと言います




自信がある人は
人が邪魔になりますから
今度は敵になります




だけどこの自信はうぬぼれで
一時的なものですから
またすぐ自信がなくなってしまいます




自信がなくなったときは
依存したくなりますから
今度は、その敵が
今度は友になります


今度はうまい具合に依存して
昨日の敵は今日の友になるのです


この繰り返しをぐるぐるやっています
それは
ほんとうの自信ではないからです

ほんとうの自信というのは
実在するものから生まれますから
いつまでたっても
この人は
ほんとうの自信はでないのです
その時期も短いのです




これは皆さんも
日常生活でやっていますね



都合のいいときは友だちですが
一人でできるようになったら
欲が出ますから
「もういらない❗」となります



そして
自分に力がないときは
「半分に分けようじゃないか」と言います



そしてまた
自分に力がついてきたときは
「お前は、もういらない❗」
と、昨日の友が敵になります


全部そういうふうに変わるのです





                「愛さえあれば」より抜粋






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