女の後ろ姿 と一年の計 (流れない女)
花見小路を抜けて京都・宮川町にて。
写真は以前に撮ったもの。
なんだかんだと京都もよく出掛けていて、
写真がまだPC上から確認出来ていないものもある。
京都の女、大阪の女、神戸の女、
アメリカ🇺🇸の女、ロシアの女、
美人の多いウクライナの女など…、
性別でいうと なんといいますか
男性とは力に及ばずなんでしょうが、
女性の知能(能動的)には、
美的感覚や女性ならではの動き、仕草、好みは
男性よりも女性の方が様々な多色さがある。
一概には云えませんが一般的・普通というモノサシ理念から。
色でいうとねぇ。。。
男性が有色の黒であったとして、
女性は無色透明(無垢・純白)という表現が面白いかしら。







実は、無色透明は無数の虹彩カラーを光の中に施すので
とても魅力的であり、難しくもあるのですね。
女の場合、男性に媚びたり、
ワザと出すお色気では無く、
徐々に染み付いてくる…ハンカチをパッとあてがうとか、キチンと着付けの出来た着物のお端折りとか。
キチンと履物を揃えるとか、
人が観ていないところが如何に大事なことであるかということどすなぁ

(最近、ハンカチ持っていないコ多いね…。残念
)
後ろ姿も、ある程度の年齢になると
筋の通った人程、美しい姿となる。
「後ろ姿」はものをいうのでござる 



露伴の娘、幸田文の『流れる』という小説に、
しょうもない男に翻弄される若い妓と、
VS: もう妙齢のさして指名の掛からぬ芸妓が
爪に火をを灯してでも二度褄をとるときの気概を
巧く描いている。
後者を第三者的にみて、
ようやった!という土性骨を受け取ることが出来る。
花柳界で無くとも社会的にも
人は、そういった若い頃から持つ「芯の強さのある人」が
ある程度の年齢になるとものをいうのだと感じますね。
にわかには身に付くものでは無いのです。
(随分と若い時に読んだが、伝わる意味合いが宮尾文学となんとなく通ずるものがある。)
「俺様の後ろ姿もかーっこいいだろぅ〜❣️」

男も女も自分の生き方に自信のある方は、
自然と無意識に
指先の仕草や物腰、姿勢として表れるのですね。
最近、そういう事を意識してマン・ウォッチングをしています…コッソリとね。(笑)
性別としての「女」としては、
折角だもの…顔はもうひとつでも、
清潔にし、似合うものを着て
所作に磨きをかけるのはステキじゃないかしらん。

まぁ、男の色気ってものも…
自然と身に付いている人っているわね。笑
『粋人』って なかなかいないものよ…これがねω
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「ご心配なく、あなたのお頭ほどではなくてよ 」
by 峰 不二子 

by ルパン三世
by 俺、次元大介

