昨日、おはぎと、黄な粉餅
どうしても買ってしまった。普段は、買うことはないのに !
そして、何気なく、リビングの机の前で食べた。………….。
その向こう眼前には、父、母の写真……………………初めて、今日が、お彼岸であることを、思い出した。
何故?…偶然にも ! そういえば、去年、今年、どうしても、京都の北の、網野町、琴引き浜、や、塩江の地に行きたくなっていた。
何故?……父は生きていれば、去年100周年、今年101年目であることを知った。
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父は、僕が25歳ぐらい、今の私ぐらいのとき、裏日本の、人里離れた、寒村に、わずかの土地を買い、掘立小屋を自分で建て、ランプで生活し、自給自活で、電池式ボンベガスコンロで、インスタント食みたいなもので結構楽しく、夏場を過ごしていた。………………..
何んで一人きり?……さみしいだろうと思って、車で、後でそこに、訪ねて行ってみた。……………………
何にもない。真っ暗。....ランプ、ゴザ、ほら、お食べ、なにかの魚缶詰め、固い御豆。
周りは、うるさいぐらいな、機織りの音ガッシャ、ガッシャ“永遠に続く音…..遠くに潮騒。
父とあまりしゃべらず、じっと聞き入っていた。貴重な時間。...........
もう少し、色々なことを、聞き、教えてもらっていたら。もう少し、しゃべっていたら…..新聞社の頂点近くに上り詰め、一人、暗闇と、潮騒を聞くため一人でいる父……………………
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お彼岸とは、煩悩を脱した悟りの境地。
あちらの世界を垣間見る時間。
色々あるけど、不思議なタイミングと、たまたまな、思い出しでした。