今月23日(土)、祖母の一周忌の法要がある。



昨年最後にこのブログをアップした日、

入院しているおキミさんのところに行った。

言葉を発することはなかったけど、

目をパッチリ開けていて穏やかな状態だったので安心し、

母も付いていたので、実家に戻った。

おキミさんの部屋の掃除をし、カーテン、レースを洗濯した。

いつでも帰ってきてもいいように、部屋を綺麗にしておきたかった。

そんなことしか出来ない、でも祖母のために今何かしたかった。

何かできることを・・・、私の自己満足だった。



そして夕方病院に戻ったら、神戸から妹と10歳の甥が来ていた。

祖母は、いつものようにキラキラした目でまっすぐ上(天井)を見ていた。

おキミさんの状態は落ち着いているし、

母も疲れているかと思い妹たちと一緒に

先に帰ってもらった。午後19時前位だった。

祖母は、皆が帰るということがわかると、

ゆっくり左手を上げ、手を振って笑った。

妹、甥っ子がその手を握り「じゃあね、またね」と帰っていった。

それが、本当のサヨナラだったとは思わずに・・。

私にも笑って手を振ったので、

手を握って「私はまだ居るよ」と言ったら
やさしい表情で微笑んだ。

ウチの人と一緒におキミさんの傍に居た。

居たかった。

 
そのうち深い眠りに入った感じになったので、

20時ごろ病室を出た。

一度、実家に戻り夕食をとり、車で40分の我が家に帰宅。



そして夜12時を少し回った時、病院から電話があり
心拍数が減っているのですぐに病院に来てくださいと

言われた。

すぐに母、妹に連絡した。

妹は神戸の自宅に帰ったところだったようだ。

午前1時過ぎ、病院に着くと父と母がおキミさんの身体を

泣きながら、さすっていた。

おキミさんの体は、温かかったけど顔は冷たくなっていた。

繋がれていたモニターは、さするとグラフが動き出したが

手を止めると変化がなくなった。

私たちは、声を掛けさすり続けた。

そして妹が病室に着いた午前1時45分、

主治医から告知された。



昨年9月5日夜明け前に、おキミさんは無言の帰宅をしました。


今年8月1日、おキミさんは100歳の誕生日を迎えるはずでした。

私たち家族はケーキを買い、本人不在でしたがお祝いをしました。

おばあちゃん子だった私は、

祖母がいない人生を考えたことがなく

それを受け入れられるのか、どうなるのか…

 

祖母が頑張って最後の人生を歩んでいるときから
考えることも避けていた。

 

ひたすら考えないように、祖母との楽しい時間を過ごしていた。

 

そして昨年、祖母のことを書き記していこうと

ブログを始めました。



もうすぐ、一年。

このブログも開けることもなかったけど、今ひと区切りとして
振り返っていけたらと思う。