(文字が小さくて見えない場合はタップ後に拡大)


 ここから第3章(「二大愛着不全に陥らないために必要な父母両性の働き」)です。

 本プレゼンでは、特に、日常的な愛情不足によって陥る「回避型」愛着不全対策としての母性を働きかけるための具体的な方法として「安心7支援」という方法を提案しています。なお、この支援が子供との間に愛着を形成する行為でもあり、それによって子供に安心感を与えることができます。

 その7つの支援行為は、「子供とスキンシップを図る」「子供と話す時にはきちんと見る」「子供に微笑む」「子供の話を最後まで否定せずに聞き、共感する」「子供に穏やかな口調で話しかける」「その子供なりの良さや小さな伸びがあった時を逃さず褒める」「以上の中でやると決めたものは、いつも心がける」です。

 なお、この支援の7番からも分かる通り、始めからこれら全てを実践しようと思う必要はありません。「これは自分にもできそう」「これは効果がありそう」と思ったものから始めても十分効果が現れると考えています。なぜなら、まず多くの子供は親から愛されたいと願っているので、親のどんな愛情行為にも敏感に反応するためです。実際のプレゼンでは、母親の「微笑む」という行為に反応してそれまでの母親への攻撃的な言動がピタリと収まった子供や、母親の「否定せずに聞く」行為に反応して母親への反抗的な言動が収まり、逆に自分の大好きなゲームの話を自分から話しかけに来るようになった子供の例を紹介しています。更に、例えば微笑むと、自然と子供を見たり話し方も穏やかになったりする等、その具体的な支援行為の背景にある「子供のためになる行いをしよう」という気持ちから、無意識の内に他の行為も伴って行われることが多いためです。

 なお、複数の支援行為をここまで具体的に示したのも、親御さんが、その具体的なアクションを起こしやすくするため、また、たとえ子供の頃に愛情を受けて育っていた親御さんでも、特に今はスマホに注意を奪われがちなので、具体的に意識していないと気分次第でやったりやらなかったりすることが多いこと等のためです。

 因みに、これらの支援で接していると親子間に愛着が形成されることから、子供はその大好きな親を困らせることをあまりしなくなるので、叱ることが格段に減ります。ですから「回避型」愛着不全(第2章参照)の子供の親に見られがちな「何やってるの!」「うるさい!」等の言葉も同じように減ります。

 中でも「微笑む」行為は、子供に与える親の印象を穏やかなものに劇的に変えることから特に効果的です。(子供は親の「困った子だ」という表情に反射的に反発してしまうのです)すると子供は安心してその「微笑む」親に寄って来て話しかけます。後は、その話を「否定せずに聞く」ことによって、子供との愛着はより強くなるでしょう

 なお、これらの支援行為は、人の自己存在感等の育成をねらう交流分析学で言う「ストローク」、「心に栄養を与える働きかけ」に当たるものでもあり、子供に限らず、大人にとっても重要な働きかけになります。



 (文字が小さくて見えない場合はタップ後に拡大)


 次に、特に、過度な子供との関わりによって陥る「不安型」愛着不全対策としての父性を働きかけるための具体的な方法として「見守り4支援」という方法を提案しています。

 その支援のポイントは、子供に任せると決めた活動中は子供を微笑みながら見守ることです。親が子供の活動から一定の距離をとって見守っていると、直接関わる場合よりも冷静になれるので、「不安型」愛着不全(第2章参照)の子供の親に見られがちな感情的・盲目的な接し方が減ります。ただし、子供がSOSを求めてきた時、または躾に関わることを含め、親が必要と判断した時には迷わず指導します。



 (文字が小さくて見えない場合はタップ後に拡大)


 このスライドのポイントは、母性の目的について、子供の気持ちを「安心7支援」の行為で「受容する」ことによって子供に「安心感」を与えることと定義したことです。決して子供が欲しがる物やお金をあげることではありません。

 父性の目的については、「見守り4支援」によって「見守ったり」「指導したり」することによって、子供に「社会的に自立できる力」を養うこととしました。

 子供は、親から言われたことで失敗しても「言われたとおりにやっただけだから」で終わりますが、例えば自分の判断で友達を傷つけるようなことがあると真剣に反省します。それ程、子供に任せることは重要です。

 なお、先の 子供の気持ちを受容する母性の働きを「子供の味方になる働き」とすれば、ここで言う 子供にやらせたり指導したりして自立を促す父性の働きは「子供に頑張らせる働き」と捉えることができると考えます。世の中のご夫婦でも、困っている子供を助けようとする母親に対して、父親が「いや、自分でがんばらせてみよう」等と促すというようなことはよくあるのではないでしょうか。


(つづく)