ご訪問いただきましてありがとうございます。
本日は、私の手紙ライフの気持ちの変化をお話したいと思います。
「私は手紙を書くことが趣味です」
今なら、自分の趣味としてはっきり認識していますが、昔はそうではありませんでした。
私は中学生の頃から海外文通をしています。
手紙が届くこと、返事を書くことが日常生活の一部でした。
その手紙について、たまにグラっと気持ちが揺らぐことがあります。
それは、以前も投稿した「ネガティブな印象を持つ出来事」が起こった時です。
私は、相手や周りの感情に流されやすいタイプなんです。
そのため、100%私に非がないことでも、ネガティブなことが起こると
「私が悪かったのかな?」
「こんな手紙書かなければ/作らなければよかったな」
「そもそも手紙を出すということをしなければこんな感情にならなかったのにな」
と一時的に思ってしまいます。
そして、今までは、自分に負担がかかるような手紙が届いても、お返事を出していました。
自分に負担がかかる手紙とは何かというと
・手紙の半分以上が前回私が書いた文章を写しているだけ(文章での過度なオウム返し?というイメージ)
・消えるペンで書かれて、届いたときすでに消えかかっている
・名前を間違えられる
・便箋半分ぐらいしか書かれていない
・手紙の文章が途中で終わっている
・手紙を書くペンの色を指定してくる
でも、こういう方々って、いずれ向こうから手紙が届かなくなってしまうことが多いです。
つまり、無理して書こうが、書くのを辞めようが、相手からは届かなくなるのです。
私は、自分から手紙を送るのを止めることはしない、と決めていました。
しかし、この考えも改めた方が良いのかも知れません。
なぜなら、自分の負担になるから。
上記は一例ですが、消えるペンで書いたり、名前を間違えるって、手紙のマナーとしてNGだと思っています。
そして、ペンの色を指定してくるというのは、自分の都合で相手に負担を強いていることになります。
「手紙を書く」という趣味にどのぐらいの重きを置いているかは人それぞれだと思いますが、このようなことにあった場合は、無理にお返事を書くことはないかな、と思うようになりました。
あまり無理していると、手紙が届いてがっかりしてしまうし、私自身相手にそういうことを強いてしまうかも知れません。
これでは本末転倒です。
手紙のやり取りをしていると、こんな風に気持ちがグラングラン揺らぐことがあるのです。
それでも、20年以上続けているのって、私の中には一体どんな理由があるのかな?
見えない自分の考え、今度じっくり自己対話してみたいと思います。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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写真提供元
フリー画像素材Pixabay
※当ブログでご紹介している内容は、当方の個人的見解、個人的に調査、現地に住む方に聞いて得たものとなります。
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