ちろおとです! みなさん!こんにちわ~ヾ(@°▽°@)ノ

いやーもう!大変でした! 9月半ばに引っ越して2か月ちょっと。
この間、ネット回線が部屋改修をしてもいいかどうかがマンション管理会社と解決できず、えらい長いこと、携帯からの投稿をしてきました。

なんとも長い間、ブログが中途半端になりました。
申し訳ありませんでした!

昨日、やっと普通の状態に復帰しましたので、ここに記して併せてお詫びしたいと思います。

すいませんでした!!

今日は、四天王寺・一心寺・大念仏寺を中心に、この間の写真をもう一回お出ししたいと思います。よろしくお願いいたします。


四天王寺は、大阪市内で最も高名で、由緒あるお寺です。
境内に、進学校で有名な「四天王寺高校」を備え、天王寺界隈でひときわ目立つ存在です。

法興寺(飛鳥寺)が寺院創建最古の伽藍ということがよく言われています。
実際、実際に現存する木造建築では「法隆寺」がありますが、創建年度とは多少違いがあるんやね~。この四天王寺は、法興寺の前年度に創建されたと言われており、建立には2つとも聖徳太子が深く関わっているというのだから、驚きですわ~(日本書紀)



天王寺の町中から、ほんの少し北に向かうと、大きな伽藍が見えてきます。



正門から、大阪の街中では珍しい5重の塔が見えます。
京都ではない、奈良でもない、ここ、大阪で!です。

蘇我氏と物部氏は、国の生業を”仏教”に染めるか否かでもめていたそうです。
両者が争った「現在の布施」辺りが最大の激戦地になったようですが、当時14歳だった太子は四天王像を造り念をかけたそうで、成就の暁には必ず奉じることを約束したそうで、それでできたのが本寺らしいです。



卓球の石川選手が卒業した「四天王寺高校」が境内にあります。

 
金木犀が満開でした!!

 
今度、ちゃんと来て見よう!! こうご期待!!

 

一心寺は、天台宗開祖の法然上人によって開基された名刹です。
 

ここの骨仏は、数年間毎に無縁仏なんかのお骨のほか、ぜひとお納めした皆さんのお骨をいったん粉砕、混ぜて練り直し阿弥陀仏にした仏様が鎮座しており、全国でも有名な場所です。

四天王寺のほんの近く、荒陵という土地にあり、法然上人の影響か、あの四天王寺も天台宗であった時期がある(現在は宗派を総べた和宗総本山)らしく、極めて密接な関係がうかがえます。





 

上人を祀る開山堂は、近年になって建立されたものですが、趣きの深いものでした。

かつて、住民が自衛をしていた都市には、”堺”などが有名ですが、文化としての歴史には決まった時期だけに存在するものではなく、かなり古くから”ここは大阪ではない”とされた場所で有名な都市(邑)では、「ひらの郷」があります。
現在の平野区でも、喜連東あたりがそれであったと言われています。


融通念仏寺は、創建が鎌倉新仏教の発生以前になりますので、そのポジションは真言宗・天台宗に次ぐ時代の宗教であったと思われます。

つまり、この大念仏寺は、かなり古い歴史を持っているわけで、こうしてみると、奈良京都以外にも、見所満載の寺社はかなり広範囲にあることがわかります。







古刹は、しっかりと地域に溶け込んできただけに、極めて優雅で、正しい存在感にあふれています。

 
平野(ひらの)郷は、この辺りの歴史を確実に物語るとともに、自衛組織時代にあって、確実にその影響力が行使されていたことを物語っています(郷のほぼ中央にあります)。

今回は、ともすれば奈良・京都に隠れて目立たない存在である、大阪難波の寺社を紹介しました。

大阪を中心に、数多くあるであろう、そういった場所を訪れてみたい”ちろおと”でした!!
たとえば、金剛の”歓心寺”とか、行ってみたいなあ~
 


じゃ!!またね~ ちろおとでしたm(_ _ )m



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また、書きます! そんときはまた来てください!
ありがとう~www!!