泉川(いずみがわ)とは、京都府の南部を流れ、淀川に合流する木津川の古名です。
川の少し手前に流れに沿ってひらけた広い平地があります。

【瓶原(みかの原)】 
現在の京都府木津川市南部あたり一帯はかつてそう呼ばれていました。

↓ 藤尾山中腹から見た「みかの原」一望
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ここから南へ山を一つ越えれば、すぐに奈良です。
木津川は、左へ右へと蛇行が大きく、景観も優れて、非常に風景明媚な場所です。
奈良時代には、この川が平城京と大阪難波(難波はそのころは港でした)を結ぶ重要な交通経路でした。

かの聖武天皇は、皇太子の時代にここを好み、この美しい泉河畔の地に離宮を営んだそうです。
天平十二年(740)以降、ここは都となりました。
それが、恭仁京(くにきょう)です

【みかの原わきて流るる泉川いつ見きとてか恋しかるらん(新古今和歌集)】
紫式部の曽祖父にあたるのが、この詩を詠んだ「藤原兼輔中納言」です。

たった4年間の都でしたが、今でも極めて美しい風情が漂う土地です。

今日は、木津川沿いの藤尾山中腹から、この「みかの原」を見下ろす高台にある「海住山寺(藤尾山観音寺)」に行ってきました。
その創建は、西暦735年(天平7年)という、かなり由緒のある寺社です。

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↓ 山をかなり登っていきます。かなりの急斜面を上りきるとそこは美しい伽藍の風景でした。
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※写真中にある貞慶上人は、笠置山で解脱された人で、その時代ではかなり有名な方だったらしいです。
※貞慶上人は、1137年に一度焼失した本寺を再興し、西大寺や唐招提寺の高僧を輩出するまでの寺に成長させた方だそう。
※本寺が今は僻地にあるとはいえ、いかに重要な役割を持っていたかがわかります。

↓ 国宝の5重仏塔と、境内の風景
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↓ 本堂では秋に楽しみな中庭も見れました。※彩色の残る四天王像が公開されていました。
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↓ 京奈のそらは、極めて美しいのです。
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↓ 銭司聖天にも寄りました。
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鋳造された貨幣としては、最近により古い通貨が出土したそうなので、和同開珎は日本最初ではないようですが、流通した通貨という解釈では未だ最古ではないかと言われているそう。

↓ 本堂内部
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↓ 本堂正面と、茶畑(京都どすな~)
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京奈・木津川の空は、とてもきれいでした。P1021388.jpg
PS. 帰りに、洋風菓子どころ「田むら」ってお店を見つけました。ティラミス買いました。
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↓ かかさんと娘へのお土産は、これ!
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食後、2時間後血糖値は、97でした。
まあまあやん! 上出来!! 糖尿治ったと思ってる”ちろおと”でしたっ!


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