皆様
新年明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します🎍
「令和6年能登半島地震」の
被害にあわれた皆さまに対して、
心よりお見舞い申し上げますと共に、
皆さまの安全と、被災地の1日も早い
復興を心からお祈り申し上げます。
両親と私達家族で一緒に行った
最後の家族旅行が石川でした。
そのときの楽しかった映像が震災後、
頭の中をよぎっています。
1日も早い復興を祈るばかりです。
話は変わります。
今年の箱根駅伝は、我が家では
特別な大会でした。
娘の通う大学が出場しているという
こともありますが、応援団、
今年4年になるチア、そして吹奏楽部が
箱根駅伝に同行します。
そこで私達も昨年の箱根駅伝のシードが
決まった瞬間に箱根の宿を探しました。
しかし箱根駅伝を観戦する人達は
毎年宿をすでに押さえていて
結局泊まるところを見つけられず💦
結果、私達は往路のスタートする大手町と
復路のゴールする内幸町に
応援団と選手を見に1月2.3日の
2日間行くことにしました。
応援は写真撮影は禁止でしたので、
襷を展示していたビルを撮りました。
往路は朝の8時スタートですが、
応援は7時30分から。
娘は朝の4時起きで5時過ぎには
家を出発しました。
私達は初めて大手町に行きますが、
娘の学校の応援するところには
学校のOB、応援団関係者、家族など
たくさんの人達が集まっていました。
そんな中、応援が始まり
校歌を観客の皆さんが大きな声で、
手を振り上げながら歌っている
姿に感動しました。
箱根を走る選手達に届けという気持ちと
母校愛などがひしひしと感じとれます。
応援は寒い中、全力です。
団長は裸足、太鼓を叩く団員の手は
血豆が破れて出血🩸していました。
重たい団旗を持つ彼は最後の方には
目の焦点があっておらず…。
すべての演舞を見終わると、
これだけで元気やエネルギーを
いっぱいもらったように思います。
私達の後ろにいた人は
「これから箱根に移動する」と
話していました
私達はテレビの前で駅伝を観戦。
もちろん娘の学校を応援するのですが、
今年もたくさんのドラマが生まれます。
今年は100回記念大会でした。
復路の応援開始は12時30分からでした。
選手や応援を観戦しようとする
観客ですでにたくさんの人が
集まっていました。
朝からテレビで観戦してから
きたので、選手の走りを一眼でいいから
見たいと沿道にも行きました。
選手は一瞬で立ち去るので、
シャッターも上手く押せず、
動画も失敗に終わりました😅
白バイや中継車が通ると選手がいる
というのがわかるので、
歓声が湧き上がります。
応援団の団長も選手が走ってくる方向を
向いて応援しています。
走り去ると走って行った方向を向いて
応援します。
すべての選手が走り去ると、
「これですべての選手が通過しました」と
アナウンスが入りました。
そして応援も終了。
振り返ると実家の両親は毎年箱根駅伝を
テレビで観戦していました。
当時の私はこんなにきついところを
なぜ憧れて走るのかと思っており、
駅伝を見ていませんでした。
しかし、娘が応援団チアに入団し、
我が家でスポーツ観戦に力を注ぐように
なってからガラッと認識が変わりました。
箱根駅伝は100年続くだけの競技だと
思います。
また来年も箱根駅伝を楽しみに
しています。
今回も最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
皆様にとって幸多き1年となりますように。