少し前からしばらく、夫じゅんさんのことを書いていた。

 

私と正反対の性格の論理的主義の人と結婚したもので・・

メンタルをえぐられることも多々あり、そして、私は倫理的に考えるのが弱い部分があると思うので、学ぶこともあり・・

 

結婚して10年経つけれど、夫婦の距離感や関係性が難しい。

 

11年よりちょっと前。

以前にも書いたけれど、私にとっては大きな失恋をして

前に進もうと思ったよりも、摂食障害とかの心の病気が再燃するのが怖かった。

 

当時は心の病気の症状がなくなった時期と、失恋がかぶっていた。

 

それで、当時の私は前に進もうと、若干ヤケ行動をしていた中で夫じゅんさんに出会った。

ヤケ行動は・・書いたら、ドン引きされそうだから割愛しとく。。

夫じゅんさんには、話したから知ってる。

 

(今の私だったらね、自分がもうちょっと自立してから相手を考えると思うのだけれど・・。

でも、このことがあったから子供達に会えたと思うことにしてる。。)

 

 

遠距離で付き合って1年も経たないうちに、同棲と共に婚姻届を出したので・・

結婚相手がここまで正反対の性格の人だとは結婚してから知ることになった。

 

 

少し前の記事で理由を書いていたように同居を続けていくという自分の中での答えは出ていて。

 

夫じゅんさんと協力しつつ、子供達を一生懸命に育てていくという答えは出てる。

 

夫じゅんさんとは良い距離感と関係性をゆっくりと模索していこう、と。

 

ちょうど、そう思った時に。

「大愚和尚の一問一答」の中で「随縁」について法話されているのを聴いて。

 

もう夫じゅんさんとは「随縁だと思おう」と前向きに思うことにした。

 

あまりに自分とは正反対の性格の論理的主義者と結婚したのもあって、ズキンと傷つくこともあるし、夫じゅんさんに共感してもらえるどころか、返り討ちで論理的意見でぶっ潰されることも多々あり・・。

 

20代で摂食障害をした経験した私にとっては、論理的主義者と結婚することは身を滅ぼす危機でもあるように感じる。

(良い方に向かえば、私は自分の中に論理的考えをとり入れられて、人格として成長できる・・かも)

 

 

そんな時には「随縁、随縁」って思うことにして、少しでも冷静に物事を考えることにしてる。

 

 

私にとって「随縁」の言葉は今の生活を少しでもより良くできる方法を考えられるように、暗示であり、呪文のようになってる。

 

 

「随縁、随縁」・・今日も言いながら、論的主義者と進んでみる。

 

(度々書いてるけれど、本当は米津玄師さんの「カナリヤ」のような夫婦に憧れてるのー。)tutuzi