日課になってる動画を拝見していて(他でも時間を見つけて勉強している)

自分に置き換えて考えてみたいなあって思うことを書いてみようと思う。

 

あまり同じ先生のことを書いていると陽性転移と思われそうだけれど(→そもそも私はその先生の患者じゃない)そういうつもりじゃなくて、ヒントを得たし、なるほどなあって思ったので自分に置き換えた時にどうだったかなあって書きながら考えたくなった。

 

自分の心の中に感情がクルクルしてるので、書きながら考えてみる。

 

 

仮に、私の重症になってる気管支喘息と好酸球性副鼻腔炎(指定難病)が治ったとして、

①デュピクセント   ②内服薬8種類   ③吸入2種類(頓服の吸入とは別)

これらが全部治って、薬剤も通院も治療も何もいらなくなったとしたら、私の周りは一体何があったんだって驚くし、興味を持つと思う。

(あー、そんな風になって欲しいけれど、現実と上手に付き合うようにしてく)

 

 

でも、当時の私の摂食障害・PTSD・心因性多飲症・強迫性障害・(自傷行為は大学生の一時期)が10年くらいかかって良くなったなあ、実際に症状がなくなった期間が続いた時に、周りはどうだったか思い出しても、特に何も反応もなかった。

 

そもそも、周りにもあまり話していなかったし、両親は私の当時の診断名すら知っていなかったのもあるのかもしれないけれど・・。

 

 

私自身も治している間は、心の病気が治ったらもっと晴れ晴れとした日々がやってくるのかと思ったけれど、現実は心の病気が治ったとしても、しんどいことも次から次に降りかかってきた。

 

ただ、心の病気と向き合ってきた中で、しんどいなあって思う原因って何かなって原因に目を向けて、じゃあどう考えたら良いのかなって自分の中でも以前より考えられるようにはなれた気もする。

後は言葉で、しんどさを表現することも心の病気と向き合ってきた中でできるようになったのだと思う。

 

 

摂食障害とかの心の病気になったことで、私の中にそれまであった価値観とか色んなものが壊れた。

私の心の中で、とにかく色んなことが壊れた。

それまで当たり前の様に感じていた、両親・祖父母から言われていた言葉や教えられてきたものも壊れたというより、疑問が生まれた。

 

摂食障害とかの心の病気は私にとっての大きな転換期だった。

 

それまでの価値観とか、色んなことが壊れたけれど、そこからゆっくり時間をかけて1つ1つに向き合ってきた。

その時の自分自身にも、心の病気になる前の自分自身にも、自分の生い立ちにも。

 

 

時間はかかったし、これで向き合う方向性は果たしてあっているのか分からなくて、霧の中をひたすら進んでいる様な感じだったけれど、良くなったと実感できた。

 

 

でも、先生が仰っていたように、精神疾患って他の病気に比べて、良くなったり治ってもあまり評価されないなあっていうのは私も実感としてあった。

 

自分の経験から感じたことだけじゃなくて、心の病気を勉強していくと、自分がなった病気以外でも、どれだけ症状を良くしていくことが難しいことで、乗り越えるハードルがいくつもあるのかを感じていて。

 

良くなるとか治るとか除いても、心の病気と向き合ったり、病気と付き合っているということ自体がすごく努力を重ねていることなのになあっとも思ってる。

 

 

結局は、同じ様に心の病気をした人でないと、心の病気と向き合ったり、治したり良くしていくのがどれだけ負荷がかかって苦しいことなのか分からない世界なのかなあ・・

何だかそれも寂しいけれど。。

 

 

私も心の病気をしたのは昔のことだからもう忘れちゃった、ではなくて

身近な人が心の病気と向き合っていたりした時には、すごく努力しているんだなあって感じたり、病気があってもその人らしく生きていたら素敵だなあと思うし、治るまでいかなくても良い時期を迎えられたら一緒に喜べたら良いなあって思う。

 

 

(昔の心の病気は良くなったけれど、今も今で私も負荷のかかっている生活を続けているから、この先に心の病気にまたなったとしても、焦らず気長に向き合っていこうと思ってる。)

 

 

当時は、心の病気が良くなった時でも自分を褒めるということをしなかったので、今更だけれど、頑張って向き合っていた当時の自分を褒めたいなと思う。

 

 

自分の心の中でクルクルしている感情を書いて整理しようと思ったけれど、まだ掬い取れていないような気もして、うまくまとまって書けなかった。

 

 

と、バイト終わって、気分転換にベランダで夜の風を感じながら、音楽を聴いてたら蚊の逆襲にあっちゃった。。

さて、眠ろう。tutuzi