8歳、6歳、4歳、2歳の子供たち。

 

今、自分の心が不安定になる上位が、子供の風邪をもらって自分の病気が悪化して(好酸性副鼻腔炎と気管支喘息)薬と通院が増えて、ようやく治ったけれど、また間あかずに他の子が別の風邪をもらってきた時。

 

すーごく自分の心の中で色んな葛藤が始まって、心の揺れ幅が増える。

 

私、先週は週2回耳鼻科で処置受けて、ようやく回復したばかり・・。

 

いや、なるべく病気が悪化するリスクあっても、子供には少しでも穏やかに接したい。

子供の風邪が始まるとピリピリしちゃうのが自分で分かって自分が嫌になる。

でも、通院増えるのも、症状しんどいのも、薬増えるのも極力避けたい。

 

猛烈に心の中で葛藤する。

 

そして、病気が悪化した時に、これまで母から何度も『なんでそんな体になったんだろうね』って言われた記憶が蘇ってしまって、この頭の中の記憶を消し去りたい。

 

病気が悪化するたびに母の言葉が頭の中に浮かぶのだけれど、どうやったらこの言葉が消えてくれるのかな。。

 

 

気管支喘息で今すぐじゃなくても、いつか最期を迎える可能性があることは現実として受け入れているけれど、嫌で、できれば他が良いなと思うのは、最期を迎える時に母から何度も言われていた『なんでそんな体になっちゃったんだろうね』って言葉を最期に思い出すかもしれないから。

 

人間、いつかは最期を迎えるけれど、できれば他が良いなあ。。

 

 

 

子供たち、私の病気で迷惑かけてごめんよ。。

 

自分の病気が妊娠や、子供の風邪で悪化するのは分かっていたけれど、でも、ここまで悪化するとは思わなかったのは私の誤算だったなあと思う。

 

でも、その誤算がなかったら4人の子を授かった時に、何の迷いもなく「産みたい」という選択の時点で揺れてしまった可能性があるのかもしれないから、この私の誤算があって良かったのだと思う。

 

 

好酸球性副鼻腔炎の始まりは、5年前くらいだけれど・・

気管支喘息と診断されたのって、子供が4人産まれた後だった。

割と最近なのに、スタートから中等症の治療で始まり、今では重症の治療に入っちゃってる(まだ重症の治療の入口だと思うけれど)

 

 

でも、命に限りあること、そして時間の大切さをを常々感じられるのは、年々重くなる気管支喘息から学んだこと。

(好酸球性副鼻腔炎は良くも悪くもならず、重症のまま経過していることにも慣れた)

 

って、病気のことを書こうと思ったんじゃなかった。

 

精神医学の本も読みつつ、益田先生のYouTubeを毎日観ているのも続けている。

人それぞれ感じ方はあるかなと思うけれど、私は説明が分かりやすいなあと思うのと、先生の声のトーンとか聴いていて落ち着けるので連日聴いてる。

 

 

(摂食障害の本とかこうした動画を拝見した時に思うのは、摂食障害の背景として家族・母親が関わっているという説もあれば、関わっていないという説もあって様々な見解があるのかもしれないなあって思ったりした)

 

他の心の病気のことを知ったり、勉強して、しばらくしてまた摂食障害の動画を視聴させていただくと、毎回違った発見があったり、印象が私の中で変わる。

 

今回は、摂食障害に関して先生がおっしゃってた「120%の力で適応していることに、周りの誰も気づいていない」というような言葉が、すごく心の中に残って。

 

他の方が同じかは分からないけれど、当時の私を思い出すと、すごく納得できた言葉だった。

 

摂食障害を通して、加減をしたり、良い意味で手を抜くことの必要性を感じて、摂食障害を治していく中でそうするようにしてきたけれど・・

今、120%までとは言わないまでも、結構な力を出し続けて日々を過ごしているところがあるなあって自分自身を思って、気づいた時には休もうと思った。

 

 

自分の病気のことも、子供たちの抱えてる事情も、安心できる友達には話したりしてみたものの、返事に困らせてしまうというか・・

そういうのを感じとってしまうと、話すことが申し訳なく感じて、こうしてブログに綴って自分の心が今どんな感じなのかを確かめて自分を見つめてる。tutuzi