前回書いていた、境界性パーソナリティ障害と神経発達症って何が違うんだろう・・って疑問に対して、しばらく調べていたら解決した。

似てるけれど、やっぱり違っていて納得できた。

 

これも前回書いていたことから、ふと思ったことがある。

心の病気をしてから、人や物事に対してどこか冷めてる私がいる。

冷めてる私が全部じゃないし、一部分なのだけれど、心の病気になってから人や物事に対して冷めてる私が確かにいるなあ・・って自分では思う。

 

心の病気をした時の私の感覚が残っていて。

それは「私だけが本当に悪かったの?」っていうのが、治ってから10年ちょっと経った今でも、どこか消えていないままなのが要因の1つかもって思った。

 

周りに責任転嫁するつもりは全くない。

周りに心の病気のことへの理解を求めるのは難しかったのは当時も今も分かっているけれど、それでも・・っていう気持ちがしこりとして今も残ってて、それが私が人や物事に対して、全部じゃないけれど冷めてるところがある要因になってるのかなって前回書いていて思った。

 

 

 

 

 

話は変わって。

医学書でも時間を見つけて、少しずつ心の病気の勉強してみているけれど、前にも書いたように益田裕介先生のYouTubeでも勉強している

(先生の話し方とか聞いていると落ち着くのもあって)

 

(病状によっては見るタイミングではない方も中にはいるかもしれないので要注意ですが。。)

 

益田先生の摂食障害のところを見ていた時に

「落ち着くところに落ち着くのが大事」とか

「地に足をつける」とか

「平凡を受け入れる」とか

先生のそういう言葉が今の私だったら、しっくりくる。

しっくり受け入れられる。

 

他の方が同じとは全く思っていないのだけれど・・

少なくとも摂食障害が治ってから10年くらい経った今の私にはしっくりくる。

 

摂食障害真っ只中の私だったら、しっくりきたかなあ・・と考えてみたけれど

当時だったら、まだ先生の意図していることが分からなかったかも。

 

うーん・・私、依存は摂食障害だけじゃなかったからなあ。。

 

・10代終わり・20代で摂食障害の行動依存、大学3年の時にリストカット。

ODは体がしんどくて1回で終わってた(これも大学3年)

 

・同時期にあった心因性多飲症も見方によっては依存だったのかなあ?

(心因性多飲症と診断された時にも依存とは言われなかったから不明)

 

・強迫性障害は、依存症みたいな快楽を得る瞬間がなくて、ただひたすら苦痛でやめられない感覚があったから、依存症とは似てるようで違うところがあるのだろうけれど、強迫性障害が起こるメカニズムは似てる。。

 

 

リストカットは大学3年の一時期で終わったけれど、社会人になって病気が治るくらいまでやたら部屋にぬいぐるみを持ってた。

 

カピパラさんっていうキャラクターのぬいぐるみやらグッズ。

職場には持っていかなかったけれど、部屋の中でそのカピパラさんに囲まれていないと安らげないっていうのが当時はあった(社会人になってからPTSDのような症状もあったのもあって)

特にPTSDのような症状で、眠れない日々の中ようやく眠れても悪夢で苦しくて。

当時私が寝ていた場所は、カピパラさんのぬいぐるみだらけだった。

 

私の中では当時を振り返ると、カピパラさん依存って思ってる。。

私の育てている子供たちより、20代当時の自分の部屋の方が完全に子供部屋だったなあ。。

 

以前書いた20代当時の異性問題は、依存というよりはトラウマとかあって断れなかったという方が要因として大きかったように思う。

 

 

摂食障害の当時も、摂食障害になる前も、私は理想ばかり追い求めていた訳じゃないのだけれど・・。

生きていると、つらいこともしんどいことも、どんな年代でも日常的に色々と起こるからね。。

 

一瞬でも良いから逃れたいとか、誰にも理解してもらえる気がしないから悲しいとか、気持ちを切り替えられたいとか・・そう思っていた感覚は今でも覚えてる。

 

当時は自分の気持ちを表現したり誰かに言ったりするのが苦手だったのもあって、そういうのが依存として色々と現れていたのもあったかなって自分を振り返って思う。

 

 

んー・・

それで、益田先生の摂食障害のところのYouTubeを見て

「落ち着くところに落ち着くのが大事」

「平凡を受け入れる」

「地に足をつける」とかそういう言葉がしっくりきた。

 

当時の自分が夢みがちだったとか、理想ばかり追い求めてたまでいかないけれど

どこか「こうであったら良いのになあ」とか無意識の時にでもふと思ってることもあって、そして頑張っちゃう性格だったから、余計に自分のことを自分で追い詰めていた気がする。

 

あと、当時は雑誌とかでこの人素敵だなあと思うと(摂食障害の真っ只中の私は、人柄とかで惹かれるのではなくて、雑誌で惹かれる人がいても体型メイン)もっと頑張ろうって思って頑張りすぎていた

(今は芸能人やモデルで惹かれる人いる?とか聞かれても、特にそこまで思う人はいないなあって感じ)

 

目標とか理想、夢を持つって大事なことだけれど

私にとっては先生のおっしゃっていた「平凡を受け入れる」「落ち着くところに落ち着くのが大事」「地に足をつける」っていうことも大事なように思った。

色々と経験してそう思えた気がする。

 

昔、依存してたから今もストレスかかったり不安が強くなったり、疲れが溜まったら何かに依存しちゃうかもしれないなあ・・って少しだけ気をつけてる。

 

だから、思っていることを溜めすぎないように、こうしてなかなか人に話せないことはブログに書いて自分の気持ちを表出させている。

 

そういえば、今って私は何かに依存していたりするのかな・・って自分の日常を振り返ってみたけれど、あまり思い浮かばなくて。

 

ただ、ストレスや疲れが溜まったりすると、私は同じものを連日のように食べ続けるっていうのはある。

しかも、同じメーカーの同じものを連日食べるとか。

後は、お米を食べたくなくなったり、偏食が強くなる。

(→若干、こういうところが神経発達症ではないかと思っているところ。まあ、人といる時は他のものも食べるけれど・・)

 

なんとなく、自分のこういうところが分かってるから、少しでも栄養があるもので偏食したりするようにしてるけれど・・。

 

 

夫じゅんさんにも過去のことは話していて、「依存していた過去があるから、今何かに依存してそうだったら教えて欲しい」って話してる。

(→夫じゅんさんの中でも、さして思い当たるものは今はないらしい)

 

 

「平凡」とか言われると、せっかく生きてるのに何かもったいないとか昔の私だったら思っちゃうのだけれど、育児とか結婚って理想化するほど気持ちも体もついていかないから、先生がおっしゃっていた言葉を今の私も大事にしようと思う。

 

どうでも良いのだけれど、宇多田ヒカルさんのアルバムに「addicted  to  you」が入っていて、当時10代とは思えないくらいの歌詞で天才だなあって改めて感じた。tutuzi